穏やかな眠りを



最初に気付いたのは朔だった。

「あら、望美。どうしたの?顔色が悪いわ?」

「え?」

驚いたように望美が顔に手を当て、その動作で次の屋島の戦いに向けての軍議のため顔をそろえていた八葉の面々が望美を見る。

「ホントだ。なんだか顔色悪いね。」

「調子悪いんですか?そう言えば朝ご飯もあまり進んでいませんでしたよね?」

心配性で面倒見のいい白虎sに聞かれて望美は慌てたように首を横に振る。

「ううん、大丈夫。うん、全然。朔ってば気にしすぎだよ。ね?」

「し、しかし、神子は先ほどから・・・・」

「口数が減っていたな。」

自分たちだってたいして発言しないくせに、望美の事に関しては良く見ている玄武の二人に言われても望美は頑なに首をふる。

「大丈夫ですってば。私が大人しいとそんなに変ですか?ねえ、九郎さん?」

「え?あ、まあ、別に大人しいのはかまわないが・・・・」

咄嗟に話を振られて、最近言葉遣いに気をつけようを心がけている九郎は思わず言葉を濁してしまう。

それに力を得たように「でしょう?」と望美は笑って話を打ち切ろうとした。

その様子を見ていた弁慶は静かにため息をつく。

「わかりました。軍議を続けましょう。」

「「弁慶(殿)!?」」

「ただし」

梶原兄妹の抗議には答えず、弁慶は真っ直ぐ望美を見つめる。

その視線に怯んだように俯く望美に過剰とも言えるほど優しい声音で弁慶は言った。

「熱だけ測らせて下さい。そうでないと納得しない人も多いでしょうから。」

「・・・・熱なんてないです。」

「なら計ってもかまわないですね?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

無言になってしまった彼女に、こっそり弁慶は苦笑する。

こういうところは隠し事が酷く下手だと思って。

「失礼します。」

断っておいて望美の額に手を当てて・・・・ため息をひとつ。

そして望美ではなく朔に言った。

「朔殿、お手数ですが女房に床を作るように言ってくれますか?それから、水を張った桶と飲むための水も。」

「はい。」

「弁慶さん!」

望美の抗議の声が飛んでくるが、かまわず朔は部屋を出て行った。

「やっぱり無理してたんだね、姫君。少し休むと良いよ。」

「そんなの、できないよ。だってこれから屋島の戦略を決めるんでしょ?」

「軍議は続けますよ。ですが、決定はしませんし、ちゃんと君にも意見を聞きます。それでいいでしょう?九郎?」

「ああ。具合が悪いなら大人しく寝ていろ。」

「・・・・だって・・・・」

みんなからたたみ込まれるように言われて望美は俯いて唇を噛む。

確かに、言われるとおり体調は朝から最悪だった。

でも軍議に出たかったから。

歴史を、運命を動かしそうな場面にはどうしても居たかったから無理矢理自分の体調の悪さを無視したのだ。

なのに、こんなところで退席させられるなんて不本意以外のなにものでもない。

(こんなじゃダメなのに・・・・。私がこんな風じゃ・・・・)

大事なところで体調を崩した自分の不甲斐なさに望美が落ち込みかけた時、頭の上でため息がひとつ聞こえた・・・・と、思った瞬間

ぐいっ!

「え、きゃあっ!?」

いきなり腕が引っ張られたと思った時には、望美は弁慶に抱き上げられていた。

「な、何するんですか!弁慶さん!」

「いいから大人しくしていて下さい。でないと落ちますよ?」

「!だったら降ろして!」

子どもを抱えるように腰から抱き上げられた望美は抗議と恥ずかしさでバタバタするが、細身に見える弁慶の体はびくともしなかった。

もとから体調の悪い望美の抵抗がそんなに続くはずもなく、早々に力尽きた望美の耳にきっぱりとした返事が返される。

「お断りします。すみません、九郎。中座しますね。」

「あ、ああ・・・・」

ほとんど反射的に頷いた九郎に愛想良い微笑みで返して、足早に弁慶は部屋を出て行った。

―― それを半ば呆然と見送って、残された八葉の面々は顔を見合わせる。

「・・・・あれ、怒ってた、よね?」

「怒ってたつーか、苛立ってたんだな。あいつにしちゃ珍しいぜ。あんなにあからさまに見せるなんざさ。」

さすが神子姫、面白いモノを見せてくれると言って肩をすくめるヒノエを横目に九郎と景時は連れ去られた望美を思ってこっそり心中合掌したのだった。

















望美が弁慶の腕からやっと降ろしてもらえたのは彼女の部屋に手際よく作られた寝床の上だった。

弁慶は手近な女房に簡単に礼を言って手渡された単衣を望美に差し出す。

「はい、望美さん。着替えて下さい。」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

いつもの穏やかな弁慶の口調には違いないが、その声の何処かに不機嫌な色を感じて望美は単衣を受け取った。

「僕は表に出ていますので早く着替えて下さいね。」

一言言い置いて部屋を出て行く弁慶を無言で見送り、一人のこされた望美は小さくため息をついた。

(もう、大人しくしてるしかないか・・・・)

ここまで派手に連れ出されてしまっては、これ以上だだをこねてもどった所でなんの意味もないだろう。

不承不承、着替えて整えられた寝床に転がった所で実にタイミングよく声がかかった。

「望美さん、もう入ってもいいですか?」

「あ、はい。」

返事に答えるように入ってきた弁慶の手にある物を見て望美は顔をしかめる。

「弁慶さん・・・・そのお椀、もしかして。」

「ああ、朔殿が頼んでくれた簡単な薬湯だそうです。後で僕が調合した物を持ってきますが、今はこれでいいでしょう。」

「・・・・それってやっぱり、苦いです・・・・よね?」

「良薬口に苦しと言いますから。」

にっこり、と渡されたお椀の中の見るからに苦そうな色に望美は思わずうめく。

(絶対苦いよ、これ。絶対、ものすごく。)

自分でも嫌な予想と共に助けを求めるように視線を彷徨わせてみるが、部屋の中にいるのは生憎望美の他には弁慶しかいない。

「弁慶さん、やっぱり飲まないわけには・・・・」

「飲みたくなければ飲まなくてもかまいません。」

「え?ほんと?」

「ですが、自主的に飲まない場合は強制的に飲ませますけど。」

「きょ、強制的って・・・・」

「それはもちろん、口移しで」

「ごめんなさい、飲みます。」

弁慶の言葉を遮って望美はお椀に口を付けるとほとんど一気のみに等しいスピードで薬湯を喉に流し込んだ。

「ごちそうさまでした!」

この台詞はなんかちぐはぐだと思いつつ、望美は弁慶にお椀を突き返すと布団代わりの着物の下に潜り込む。

その様子を見ていた弁慶がくすりと笑って呟いた。

「口移しでと言った途端にその反応は結構傷つきますね。」

「え!?え、その、えっと」

(嫌だった訳じゃないけど・・・・)

否定の言葉を口にした方がいいのか、それともしないほうがいいのか、一瞬迷った望美の額の髪を弁慶がさらっと梳いた。

細身でどちらかというと中性的な雰囲気を持つ弁慶の、意外にもしっかりとした手が額に触れて望美は自分の鼓動が一つ跳ね上がるのを感じた。

「あ、あの、弁慶さん?」

「・・・・やはり熱がかなりあるな。望美さん、どうしてこんな体調を押してまで軍議に出ようとしたんですか?」

「え?」

「君にとっては積極的に参加したい状況じゃないはずでしょう?なのに、何故?」

訝しむように問われて望美は困った。

確かに普通だったら平和な世界から戦乱の世の中に放り込まれて、積極的に戦に参加しようなんて考えないかも知れない。

―― 実際、『一度目』は望美もそうだった。

けれどそれでは誰も救えない、と知ってしまったから。

成り行きに任せただ戦に巻き込まれているだけでは・・・・目の前にいる弁慶を救うことは出来ない。

「・・・・護りたいんです。」

迷った末に望美がぽつっと呟いた言葉は質問の答えとしては酷く謎かけめいていたけれど、望美はそれ以上口を開こうとはしなかった。

唇を噛みしめて、忘れられない炎の記憶を見つめる望美を弁慶はしばし無言で見つめていたが、やがて小さくため息をついた。

「君は本当にわからない人だ。僕たち、いえ僕にはわからない決意を秘めてここにいるのはわかっていましたが・・・・。
けれど体をこわしてはいざというとき何もできませんよ?」

「それは・・・・わかってるんですけど。」

バツが悪くなって口元まで布団を引き上げた望美に、弁慶は僅かに苦笑する。

「わかっているなら気をつけて下さい。君を心配している人間がいることも忘れないで。」

叱っているような弁慶の言葉は、ひどく柔らかく優しい響きで紡がれて。

労るようなその声音に望美の胸がトクトクと音を立てる。

その鼓動を感じながら、同時に望美は泣きたくなった。

(失いたくない・・・・)

この人を。

薬湯が効いてきたのか、トロリと襲ってくる眠気の中で望美は弁慶を見上げる。

「弁慶さん・・・・」

「なんですか?」

「ひとつだけ我が儘を言っても良いですか?」

「珍しいですね。ええ、何でもどうぞ。」

何処か面白そうに頷く弁慶に、望美は小さな声で言った。

「起きた時もそこにいて下さい。」

「え?」

「私が眠ったら軍議に戻っていいですけど、私が起きた時にはそこにいて・・・・」

一瞬、弁慶の表情が微かに強ばった気がした。

しかしその表情はすぐにいつもの緩やかな笑みの下にしまい込まれ、弁慶は望美の右手をすくい取った。

「?」

「起きた時だけでなく、君が嫌でないならここでずっと君の眠りの守り人をさせて頂きますよ。」

「え?だって、それじゃ・・・・」

「そうすれば軍議はこれ以上進まない。君もその方が安心できるでしょう?それに・・・・」

言葉を切って弁慶は望美の手を柔らかく握る。

その手が、熱を持った望美にとっては少し冷たく、でも暖かく感じられて更に眠気が強くなる。

(・・・弁慶さんが何か・・・・でも・・ねむ・・・・・)

ゆっくりと浸食してくる眠気に飲み込まれるように望美が瞼が閉じていく。

「――・・・――・・・・・・・・せんよ」

秘めるような弁慶の声を遠くに聞きながら望美は緩やかに眠りに落ちていく。

―― 次に目が覚める時もきっと最初に笑いかけてくれるのが弁慶であることを確信しながら・・・・
















                                                〜 終 〜
















― あとがき ―
・・・・ヤアなし、オチなし、甘くなし(- -;)
病気ネタという弁慶×望美にはひじょ〜にメジャーなネタでありながら、何故・・・・。
すみません、修行し直します(T T)