『お姫様は王子様のキスで目を覚ましました。』 ―― そんなの、おとぎ話だと思ってた・・・・ 眠り姫には優しいキスを 〜 銀編 〜 ソファーの上に子猫が一匹 ―― もとい、望美が一人。 なんとなくそんな風に銀が思ってしまったのは、ソファーの上であまりにも気持ちよさそうに望美が丸くなっていたせいだ。 丸くなって、それは気持ちよさそうにスースー寝息を立てていたから。 「神子様・・・・」 思わず口から零れてしまった呼称に、銀ははっとする。 以前 ―― 銀と望美が出会った世界で、龍神の神子という希有な存在だった望美に対して使っていた敬称を使う事と望美はいつも悲しそうな顔をする。 しかし幸いなことに、望美はしっかり夢の中にいるらしく、無反応で銀はほっと息をついた。 (それにしても、いつからいらしたのだろう?) 銀がこの世界に来てから、望美は学校が終わると銀の暮らす部屋へほぼ毎日来てくれる。 合鍵も渡してあるからきっと今日も学校から真っ直ぐここへ来て、それから眠ってしまったのだろうか。 取りあえず寝室から毛布を一枚持ってきて望美にかけると、望美はごそごそと動いて毛布の端を握って丸まる。 その仕草があまりにも可愛くて、自然に銀の口元に笑みがこぼれた。 手早く着ていたスーツの上着とネクタイを外してハンガーに掛ける間も、眠る望美から目を離せない。 くつろぐようにシャツのボタンを2つ外して、望美の近くに戻る。 ソファーの前の床に座って、細心の注意を払って望美を覗き込む。 起きて開いている時は、一時も同じではない涼やかな瞳も今は瞼に隠されている。 それを幸いと、銀は視線の全てを望美に費やすことにした。 できるなら、望美が起きている時もいつだって見つめていたいのに、あまり見つめすぎると当の望美に赤くなって「あんまり見ないで!」と言われてしまうのだ。 それはそれでとても可愛い表情が見られるのだけれど。 思い出して、くすっと笑いを漏らしながら銀は望美の寝顔を視線でなぞった。 起きていれば気丈な光を宿して印象的な目が閉じられているだけで、随分幼く見える。 涼しげな目元、可愛い鼻先、滑らかな頬・・・・。 一目惚れしたての男だって、これほど甘い視線は持たないだろうと言うぐらいに甘い甘い恋情を映した瞳で銀は望美を見つめる。 ふと、銀はこみ上げた可笑しさに苦笑した。 (望美さんは眠っているだけだというのに、私はこれほどまでに魅了されてしまうのですね。) ただそこに居てくれること、それだけで溢れんばかりに湧いてくる愛おしさには自分でも呆れる程だと思う。 けれど銀にとって望美はそういう存在なのだ。 御簾ごしに、たった一目見たあの十六夜の夜からずっと。 僅か月が雲に隠れ、また姿を現すまでの一瞬で銀の心を奪い尽くした少女。 彼女と再び出会える未来を切望していた『重衡』だったあの頃から考えれば、目の前で望美が眠っているなど夢に等しい現実なのだから。 「望美さん。」 望美の眠りを邪魔しないように小さく小さく囁きかけると、そっと頬にかかった髪をよけてあげる。 「ん・・・・」 その動きに反応したのか、望美が小さく声を漏らして身を捩った。 つられて、望美に目を落とした銀はぴたっと視線を縫いつけられて動きを止めてしまった。 真っ直ぐ、向かった先は望美の唇。 薄く開いて規則的な寝息を漏らす柔らかそうな唇に、銀の悪戯心がくすぐられる。 その心の命じるままに、銀はゆっくりと体を倒した。 そして唇が触れる直前、ほんの少しだけ微笑んで。 「ご無礼、お許し下さい。」 甘く響く戯れ言に被せるように、銀は望美の唇を塞いだ。 「ん・・ぅ・・」 塞ぐだけで数秒、呼吸を遮られたせいか望美が身じろぎする気配に銀は僅かばかり身を起こした。 すぐ間近で、望美の睫が震え、ゆっくりとその瞳が開かれる。 覚醒したてで、頼りなく視線を彷徨わせる望美の仕草に高鳴る鼓動を完璧に隠して、銀は望美に優しく微笑みかけた。 「お目覚めでございますか、望美さん?」 銀はかなり整った顔をしている、と望美は常々思っていた。 優しい目と、整った顔立ちはそんじょそこらのアイドルなんか目じゃない。 そんな顔が寝起きにアップであったら、正直に言って心臓に悪い。 しかも・・・・ 「っ!銀!?」 目の前の人物を認識するやいなや、望美は目を見開いて、バネ仕掛けのごとく飛び起きた。 ぶつからないように一瞬で体を引いた銀が、あまりの勢いにびっくりしたように目をしばたかせる。 「望美さん?どうかされましたか?」 「えっ!?あ、や・・・・」 中途半端きわまりない声を出して、望美はズルズルとソファーの上を後ずさる。 その反応が銀はお気に召さなかったらしい。 僅かながら眉を寄せて、ずいっと距離を詰められてしまう。 「望美さん?」 また近づいてしまった銀の顔から望美は明後日の方向へ目を反らした。 そうでもしないと、茹で蛸よろしく真っ赤になってしまう・・・・と思ったのだが、当然それを銀が許すはずがなくやんわりと頬に手を添えられて、視線を戻さざるをえなくなる。 「あの、銀。そ、の、なんでもないから。ね?」 「失礼ながら、なんでもないようには見えません。何か私がお気に障るような事をいたしましたでしょうか?」 戸惑ったように悲しそうな目で見つめられて、望美はうっと呻いた。 望美はこの銀の目にとにかく弱くて逆らえた試しがないのだ。 「銀、そんな目で見るのは反則〜。」 「反則でも結構です。貴女に・・・・疎まれるよりは。」 そう言ってますます頼りなげな瞳になってしまった銀に、望美は慌てた。 「違う違う!疎むとか、そう言うんじゃないの!!」 「では、何故私から距離を取ろうとなされるのですか?」 「それはその・・・・ちょっと、恥ずかしかったからで・・・・」 「恥ずかしい、ですか?」 聞き返してくる銀をちらっと見て、望美は大きくため息をついた。 (もう、降参。) このまま変な誤解をされてしまうよりは、恥ずかしくてもしゃべった方がマシと望美は諦めた。 やっぱり、この瞳には勝てないのだ。 「あのね、夢を見てたの。」 「夢、ですか?」 「そう。こっちの世界の童話の「眠り姫」っていう話の夢なんだけどね。そのお姫様が・・・・」 言いずらそうに望美が言葉を切った事に、銀はぴんと来た。 「望美さんだったんですね?」 「うっ・・・・そう。 ・・・・その、銀は眠り姫って聞いたことある?」 「以前、白龍様に話していらしたお話ですか?悪い妖術使いに眠りにつかされてしまう姫君の。」 「そう、それ。で、お話の通りに夢が進むの。」 なんでだか登場人物が、かつての異世界にいた八葉のメンバーであった事は取りあえず伏せておいた。 (あれはあれで面白かったんだけど・・・・) 予定通り、紬車に指をさして眠ってしまうところまでは、相当おもしろ話として語れる内容だったと思う。 問題は。 「で、ね、お話通りお姫様・・・・私なんだけど、は眠りについちゃってそこから夢は真っ暗なの。夢の中で眠ってたみたい。それで・・・・その、真っ暗だなあって思っていたら、唇に何か触れて・・・・」 暗闇の夢の中で、暖かくて優しい感触がして。 (・・・・ああ、やっぱり『王子様』は銀だったんだって) 我ながら乙女チックだだなあって思いながらぼんやり目を覚ましたら。 「夢の中じゃなくて、現実で目が覚めて、しかも目の前に銀がいるんだもん。」 驚いたし、恥ずかしかったんだよ、と照れくさそうに笑う望美の姿に、銀は一瞬めんくらったような顔をして、それからそれは嬉しそうに目を細めた。 「では、私の口付けは『じゃすとたいみんぐ』だったのですね。」 「そうだね・・・・って、え!?」 普通に聞き流しそうになった内容に、ぎょっとして望美は銀を見た。 「私の口付けって・・・・まさか、ほんとに?」 「はい。眠っていらっしゃるのに、無礼かとも思いましたが、貴女があまりにも可愛らしくて蜜に惹かれる虫のようにその唇に触れてしまいました。お許し下さい。」 「許すとか、許さないとかじゃないけど・・・・じゃあ、私はほんとに銀のキスで目が覚めたんだ。」 そう呟いて赤くなる望美の頬を、銀はそっとなぞる。 くすぐったいその動きに望美が身をすくめるのを満足そうに見て、銀は少しだけ悪戯っぽく笑った。 「そのようですね。おかげで」 言葉を切って、銀は腕を伸ばす。 背中に手が添えられたと思った時には、もう引っ張られていてもう一度間近になる銀の顔。 「夢の『王子』に、貴女の唇を奪われずにすみました。」 満足そうに笑う銀は、どんな『王子様』でも太刀打ちできないぐらい、それはそれは素敵で。 真っ赤になって次の言葉が継げない望美の額に、そっと柔らかいキスをして、銀はとどめをさした。 「愛しております、私の姫君。」 「〜〜〜〜〜〜〜〜」 心臓が止まるんじゃないかと本気で心配する傍ら、望美はひっそりと思った。 ―― おとぎ話は意外とハードだ・・・・ 〜 終 〜 |