『お姫様は王子様のキスで目を覚ましました。』 ―― それならもちろん、その役目は・・・・ 眠り姫には優しいキスを 〜 ヒノエ編 〜 『息抜きをしにいこう』 そうヒノエに誘われて、京の街に出たのは確か数刻前。 秋とはいえ、まだ風は心地よい程度の暖かさで吹いていて空は抜けるような青空で、それは気持ちの良い日だった。 ・・・・のは、確かだったが。 「・・・・それでどうして、こんな事になるの。」 思わず望美が呟いてしまった「こんな事」とは、人がさほど多くないとはいえ一般開放されている神泉苑の一角の木陰で、ヒノエの足の間に座らされているというこの状況。 「あれ、姫君はご不満かい?」 「不満とかそう言う問題・・・・もう、どこから突っ込んで良いのかわからないんだけど。」 はあ、とため息をつく望美にヒノエは楽しげに声を上げて笑った。 「オレに抱きしめられてそんな風に言った女は初めてだよ。さすがだね。」 「他の人と比べて変わってるなんて言われたって嬉しくない。」 すぱっと切り返してもヒノエの笑い声は相変わらずで望美はもう一度ため息をついてしまった。 「相変わらずヒノエくんってわからないよね。」 「そう?」 「そうだよ。何がしたいのかわからないし、何が可笑しいのかわかんないし。」 「ふふ、オレが笑ってるのは望美が可愛いからだよ。」 「・・・・そう言うことをさらっと言えちゃうあたりもわかんない。」 一瞬言葉に詰まってそれでも言い返した望美の髪をさらさらと弄んで、ヒノエは一房に口づける。 「オレが考えている事なんて単純なもんだぜ?望美が好きだって、それだけ。」 「だーかーら!」 思わずばっと体ごと振り返ってしまった望美は、一瞬にしてしまったと思った。 足の間に座っていたという事は当然距離が近いわけで振り返れば、ほとんど至近距離に顔がくる事になる。 実際、すぐ近くにヒノエの緋色の瞳を捕らえて望美の鼓動が跳ね上がる。 かといって、すぐに体の向きを戻すのは負けたようで悔しい。 なんとか踏みとどまった望美の密かな努力に気づいているのかいないのか、ヒノエは相変わらず余裕のある表情で言う。 「本気だって。本気で望美の事が好きだから望美の事ばっかり考えてる。わかんない?」 「わ、わかんないって聞かれたって・・・・」 言いよどむ望美の手をついっと絡め取ってヒノエは口元に引き寄せた。 「この手が触れるのはオレだけだと良い。」 そう言って手の甲に口づけを落として、ヒノエは望美の瞼に唇を寄せる。 「この瞳が見るのはオレだけだと良い・・・・そんな事ばっかり考えてるだけさ。」 「あ、う・・・・」 何か反論(?)を試みようとした望美の口から出たのは、生憎意味不明の音だけだった。 まだ冗談まじりだと思っていた時にはこんな時の切り返しもできたのだが、紀ノ川でヒノエの告白を受けて以来、軽い口調の中に混じる一欠片の本気に気づいてしまえるようになったせいで、何も言えなくなってしまった。 「・・・・ヒノエくんのばか。」 かろうじて絞り出した反撃も、ヒノエにとっては痛くもかゆくもなく ―― むしろ可愛くしかうつらなかったらしくヒノエはとろけるように笑った。 その笑顔が、いつもの不敵な笑みと違いあまりに嬉しそうで幸せそうで、望美は思わず視線反らして体を正面に戻してしまった。 そのぐらい。 (綺麗すぎて心臓に悪い・・・・) 元々綺麗な顔立ちなのに、あんな笑顔なんて絶対反則!・・・・などと密かに心の中で文句を言いつつ、望美はヒノエと距離を取ろうとそっと背中を離そうとした。 (ただでさえドキドキしてるのに、抱きしめられっぱなしじゃ心臓止まっちゃうよ〜) かなり切実に自分の身を心配して起こした行動はあっさりヒノエに見つかってしまい、しっかり腰を引き寄せ直されてしまう。 「何逃げようとしてるんだ?」 「べ、別に逃げようなんて・・・・」 「ふーん?」 「し、してない。」 「そう、ならこのままでもいいよな。」 売り言葉に買い言葉で言い返してしまった望美は後悔した。 ヒノエの腕ががっちり望美を抱きしめてしまったから。 これはどうやっても逃げられそうにない。 (ど、どうしろっていうの〜) 行き詰まった望美の耳に、その時、ふと小さな欠伸が聞こえた。 「?ヒノエくん?」 疑問系で聞くのが不自然なほど近くで聞こえた欠伸なのだから、発した主は一人しかいないはずだが、ヒノエが欠伸をしたという事が何だかすごく意外で望美は思わず肩越しに振り返ってしまった。 「あ、ああ。悪い。良い天気だからつい、ね。」 少しバツが悪そうに苦笑するヒノエの目尻には、欠伸の名残の涙がちょこっと乗っていて、望美は思わず吹き出してしまった。 「ちぇ。格好悪いな。」 年相応の顔で呟くヒノエがまた可愛くて、望美は笑いを堪えながら言った。 「そんなことないよ。良いお天気で気持ちいいもんね。」 「まあ、ね。」 まだ納得のいかなそうなヒノエの胸に、望美はぽすっと寄りかかった。 「姫君?」 「ねえ、ヒノエくん、お昼寝しない?」 「ん?」 「私も何だか眠くなって来ちゃった。」 ちょっと前までドキドキしていて余裕がなかったせいで気がつかなかったけれど、気温も、お日様の具合もお昼寝には最適だ。 (それに、最近よく眠れなかったし・・・・) 源平の戦いが大詰めに来ている今、繰り返した運命の事やヒノエのこと、考えることが多すぎて、最近寝不足気味だった望美は自然にひとつ欠伸をした。 その耳に優しい声が響く。 「昼寝でも何でも、神子姫様の望むとおりに。」 「もう、ヒノエくんったら、またそれなんだから。」 言い返しながらも、背中から伝わるヒノエの体温が気持ちよくて、だんだんと瞼が重くなる。 (あ・・・・ヒノエくんの鼓動も聞こえる・・・・) とくんとくん、と背中に伝わる自分の物ではない鼓動が自分と同じぐらい早くて、なんだか望美は嬉しくなった。 その優しい鼓動に包まれて、望美はゆっくりと眠りの中に落ちていった。 不意に自分にかかる腕の中の重みが増した事にヒノエはくすりと笑った。 そして細心の注意をはらって望美の横顔をのぞき見れば、すっかり夢の国へ旅立った後の気持ちよさそうな寝顔で。 「意外に寝付きがいいんだね、望美。」 かなり耳に近い位置で囁いても、望美は身じろぎもせずに眠り続けている。 それだけ体が眠りを必要としていたのだろう。 望美が真っ直ぐに寄りかかってくれているおかげで自由になっている手で、ヒノエはさっき唇を寄せた手をすくって小さくため息をついた。 ヒノエの手の中にすっぽり収まるその手についたいくつもの生傷が、いかに日々望美が必死で己を鍛え戦っているかを証明している。 それなのに最近、望美があまり眠っていない事にヒノエは気づいていた。 いつも通り明るく笑って見せ、なんの遜色もなく戦って見せていても、うっすらと見える隈や時折見せる疲れたような表情を見逃せるはずもない。 それに気がついた何人かの仲間が遠回しに望美に休むように促したのを、望美はことごとく断っていた。 だからヒノエは今日、望美を連れ出したのだ。 正攻法で休めなんて言ったところで望美は絶対に休まないだろうから。 (頑固だからな。) すぐおれそうに見えて、けして曲がることも折れることもなく美しく風にしなる若竹のように。 だからこんなまどろっこしいやり方をせざるを得なかったのだ。 ヒノエのためなら望美は「一緒に」眠ってくれるだろうから。 (まあ、そういう所にも惚れてるけどね。) 望美が聞いたなら、また馬鹿と言われそうな事を考えつつ、ヒノエはすうすうと寝息を立てる望美の寝顔を盗み見る。 「それに、さ」 意志の強そうな瞳が閉じられているだけで、随分あどけなく感じる寝顔に、いつか望美が白龍と朔に話して聞かせていた彼女の世界のおとぎ話が蘇る。 「お前を起こすのは、オレの役目だぜ?お姫様。」 悪戯っぽく囁いて望美の髪にキスを落としたヒノエは、酷く満足そうに微笑んだ ―― 〜 終 〜 |