『お姫様は王子様のキスで目を覚ましました。』 ―― じゃあ、君には・・・・ 眠り姫には優しいキスを 〜 弁慶編 〜 「おや・・・・」 しとしとと春の雨がふる日。 雨の日はほとんど患者が来ない事もあって今の内にとばかりに薬の調合をしていた弁慶は、一段落ついて部屋を見回して思わず呟きを漏らした。 弁慶が背を向けていた囲炉裏端に突っ伏している人影を見つけたからだ。 弁慶にとって大事な大事な人、妻である望美の姿を探して部屋を見回したのだが、なかなか予想外の格好だったことに少し驚きつつ弁慶は腰をあげる。 近づいて望美を覗き込んでみて、弁慶はくすりと微笑んだ。 囲炉裏に背を向ける格好で横向きに転がっている望美の口から漏れるのは規則正しい・・・・寝息だったから。 彼女の手元には弁慶が一回分ずつ小分けした薬を包んだ薬包がいくつか散乱している。 が、中の薬が零れるほど中途半端な作りかけがないところが責任感の強い彼女らしい。 望美が緩く握りこんだ薬包を細心の注意を払って引き抜き、周りに転がっている薬包を集めて一つの籠に入れると弁慶は手頃な衣を1枚持ってきて望美にかけてやった。 すると、季節は春とはいえまだ肌寒かったのだろう。 望美が寝ぼけた動きで衣を自分の体に巻き付けて丸くなる。 「なんだか子猫のようですね。」 微笑ましい動きに微笑みながら弁慶は望美の枕元に自分は囲炉裏の方を向いて座った。 そうしてすっかり本格的に眠っている望美に目を落とす。 普段は凛とした意志を湛えている瞳が閉じられているせいで今は年相応にあどけなく見える。 ―― そう、ほんの数ヶ月前まで『龍神の神子』という伝説の存在と呼ばれていたとは思えぬほどに。 刀を振るい、人のどす黒い思惑の渦巻く戦場に現れた清浄なる神子。 あの争乱の時はそんな風に彼女を見た事もあったが、今ではそれは誤りだったと思っている。 あの時、泥沼の源平の争乱に未来への道しるべをつけたのは神の力ではなく望美自身が足掻いた結果なのだ。 穏やかな世界で生きてきた彼女が、その綺麗な手を血に染め必死になって仲間達を・・・・自分を助けようとした、その結果。 そのために望美は弁慶も、他の誰にもわからない幾多の辛い思いをしたに違いないのに、今、目の前で眠っている少女にはそんな影は見えない。 それが弁慶にとっては嬉しかった。 「退屈でしたか?」 薬の調合に集中していたとはいえ、彼女を放っておきすぎただろうか、などと考えながら弁慶はそっと望美の髪に触れる。 床に散らばっている艶やかな髪は望美の性格を代弁しているように真っ直ぐで揺るぎない。 さらさらと指の間で遊ばせながら、口元に笑みがこぼれてくるのを止めることが出来なかった。 (こんな穏やかな時間が過ごせて、その上、側に君がいてくれるなんて想像もしてなかった・・・・) 出会った時はまさかこんな想いを抱くようになるとは思わなかった。 日々、必死に戦っていた時はこんな未来を想像もしなかった。 ―― けれど、今 望美は弁慶の妻として、こんな風に穏やかに弁慶の側にいてくれて。 今はこんなにも望美が愛おしい。 「・・・・ん・・・・」 髪を梳いたり、指に絡めたり戯れていると望美が小さな声を漏らす。 一瞬、起こしてしまったかと覗き込んだ弁慶だったが、相変わらず心地よさそうな寝息を確認してほっと息をついた。 そしてふと、まだ彼女が龍神の神子だった時、彼女の対の女性と彼女の神に語って聞かせていた話を思い出す。 「眠り姫、でしたか。」 望美が語っていた話は運命の恋人である王子の口づけで眠り続けていた姫君が目を覚ますという、他愛もないおとぎ話。 けれど、弁慶がそれを覚えているのは、話し終わった後に望美が朔に内緒話のように言っていた言葉のせいだ。 『王子様のキスで目が覚めるっていう最後がお気に入りだったんだ。いつか私もそんな恋人がほしいなって思ってたんだよ』 あの時、望美は似合わないかな?なんて照れ笑いを浮かべていたけれど。 眠っている望美の頬を指の背で撫でて弁慶は囁く。 「・・・・僕は君の『王子様』になれていますか?」 いつか欲しいと言っていた、そんな憧れの恋人に。 起きていたら絶対「否」とは答えないだろう問いを、寝顔に投げかけて弁慶は引き寄せられるように腰をかがめる。 柔らかい寝息を零す桜色の唇に目を奪われたまま、望美の顔の横に片手をついてそっと唇を寄せた。 触れたのは ―― 「もったいないですから。」 悪戯っぽく笑って弁慶は自分の唇で触れた望美の頬を撫でた。 眠っている望美がおとぎ話の姫君よろしく自分の口づけで目覚めてくれるのも悪くないけれど、やっぱり口づける時だけ見せてくれるうっとりした表情や、離れた後の照れた顔も見たいから。 (早く起きて下さい。) 体を起こして、手を望美の髪に戻しながら弁慶は微笑んだ。 随分望美を振り回して、辛い思いや苦しい想いをさせた自分はおとぎ話に出てくるような理想の男ではないかも知れない。 でも、指を滑る望美の髪に触れていられることが胸が痛くなるほど嬉しいぐらいに。 「・・・・君を愛しています。僕の、眠り姫様。」 ―― 秘密を囁くように厳かに、密やかに紡がれた弁慶の言葉に、望美がほんの少し笑った気がした。 〜 終 〜 |