まだ認めない



比較的過ごしやすい夏の午後、珍しいものを見つけた。

「・・・・ぅわ・・・・」

望美は偶然出会ってしまった光景に思わず呟いた。

といっても別に目の前に息を呑むほどの絶景が広がっているわけでも、世にも恐ろしい光景があるわけでもない。

場所だけで言うなら何の変哲もない宿屋の縁側。

通路として使いやすい廊下が近くにあるので比較的人通りが少ないので人はいない。

―― 自分と、目の前にいる一人以外は。

そう、望美が思わず驚きの声を零してしまったのは自分以外のこの場にいるもう一人・・・・ヒノエの姿を見たからだった。

立っていればおおよそ同じくらいに見えるはずの緋色の頭は今は望美の膝ぐらいにある。

そして顔を合わせれば、戯れのように甘い言葉を囁きながら悪戯っぽく細められる緋色の瞳は、閉じられたまま。

(寝てる・・・・)

どこからどう見ても、ヒノエは只今お昼寝中だった。

(こんな所で寝てるなんて意外・・・・)

ほんの偶然からここを通りかかった望美が目を丸くしてしまうのも無理はない。

何せヒノエと言えば神出鬼没が自称であり他称なのだから。

そんな彼が縁側で呑気にお昼寝をしているなんてどこの誰が考えるというのだろう。

(確かにここ気持ちいいけど。)

こちらの世界の夏は望美達の世界に比べてヒートアイランド現象も、アスファルトの照り返しもないせいか木陰だと涼が取れる。

そしておあつらえ向きにこの縁側は庭に生えた大きすぎない木のお陰で手頃な木陰と、風が気持ち良く抜けていた。

(・・・・しかも起きない。)

人の気配にとても敏感そうなヒノエなのに望美が来た時から今まで目を覚ました様子はない。

なんとなく望美はスカートの端を押さえてしゃがみ込んだ。

すとん、と下がった視線は座ったまま軽く俯いているヒノエの顔の位置に落ち着く。

(寝顔を見るなんて失礼かな?)

少しそう思わないわけではなかったが、すぐに望美はその考えを打ち消した。

寝顔でもなければヒノエの顔を観察するなんてできるわけがない。

じっと見つめでもしたひにはあのくすぐったいやら恥ずかしいやらな甘い言葉を山と浴びせられる羽目になるのは目に見えていた。

「ヒノエくんが悪いんだからね?」

小さく小さく呟いたのはいつも余裕ぶった態度でからかわれている意趣返し。

これで起きたら諦めようと思っていたのにヒノエは目を開けなかった。

というわけで、望美はじっくりと観察態勢に入ることにする。

(なんだか寝てるとちょっと子どもっぽい。)

そう感じるのは底知れない瞳が閉じられているせいか、いつも笑みをはいている口許が寝息を零しているせいか。

きらり、きらりと時折木陰から零れる光がヒノエの緋色の髪に跳ねて。

(顎の感じとか弁慶さんと似てるかも。)

血縁だと聞かされた時には彼らの持つ雰囲気だけで納得したが、こう見ると顔の造作なんかも似ているかもしれない、と思って望美はくすっと笑った。

きっとそんなことを面と向かって言ったらヒノエは思い切り顔をしかめるに違いない。

(弁慶さんがらみだと変に素直なんだよねえ。)

正確には聞いたことはないけれど、たぶん自分と同い年ぐらいのヒノエが年相応の顔をするのはそう言う時ばかりだ。

(他の時は・・・・何処か掴めない。)

さわり、と風が撫でた髪を額の宝玉を視線でなぞる。

(田辺で初めてあった時から何かを隠しているのはわかってるんだけどな。)

唯の熊野水軍の一人ではない、とは感じていた。

何でもない役所の人間にしては年の割にヒノエは情報を持ちすぎているから。

(口では口説き文句みたいな事を言ってても目はすごく冷静だし。)

そのぐらいはわかってるんだから、と先ほどなぞった瞼と唇を睨み付ける。

そして男性にしては細い顎の線までたどり着いた所で望美は息を吐いた。

(ほんとに腹が立つくらい綺麗なんだよね、ヒノエくん。)

何か秘密を隠している事は知っている。

時々鋭利な刃物みたいな目をすることも。

そうであっても・・・・否、それ故か。

「いっそ落書きでもしてやろうかな。」

不穏な事を呟きつつ、望美はくすっと笑った。

この何かを隠したまま自分を探っている腹の立つくらい綺麗な顔に落書き・・・・。

想像したらなんだか結構スッキリした。

(まあ、さすがに落書きはひどいしね。でも)

すっと望美が視線を移したのは柔らかそうな緋色の髪。

(少しくらい触ってもいいかな?)

子どもの頃、悪戯をした時のような気持ちで望美はそおっと手を伸ばした。

その時。

がしっと手首が掴まれて。

「え・・・・」

目を丸くする暇もない程の強さで引っ張られる。

そして。















頬に、柔らかく何かが触れた。















「っ!?」

何をされたとか、何でとか、そんなことを考える以前に剣の修行で鍛えた素晴らしい反射神経で望美は飛び退いた。

「なっ!なっ!!」

「おはよう、姫君。」

「お、おはようじゃないよ!!何するの!!」

「うん?」

楽しそうにことん、と首を傾げられて望美はかあっと赤くなった。

「起きてたの!?」

「さあ、どうかな?」

(こ、このぉ〜〜〜〜〜)

恥ずかしさとバツの悪さをコブシを握る事でやりすごそうとしている望美に、ヒノエはにっこり笑って追い打ちをかけた。

「姫君がいつ口付けで起こしてくれるかと楽しみにしてたんだけど。」

残念、とウインクされて望美は沸点を越えた。

「そんなことし・ま・せ・んっっっ!!!!」

怒声一発。

お行儀が悪いほどバタバタと足音を立てて望美はヒノエに背を向けて歩き出す。

(信じられない!信じられない!信じられなーーい!!)

誰がヒノエを口付けでなんか起こすものか。

あの綺麗で憎たらしい唇にキスなんかできるはずがない。

(ドキドキして心臓が耐えられない・・・・・・・・って、なんでそんな事考えてるの私ーーーっっっ!!)

混乱もそれ以外の何かもからかわれた怒りに何もかも混ぜ込ませた。

そうでなければひどい敗北感にうちひしがれそうだ。

(眠るヒノエくんに・・・・・見惚れてたなんてっ!)

絶対絶対認めてやらない!















―― バタバタバタ・・・

望美の足音が消えてしばし。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」

完全に足音が消えた事を確認してから、ヒノエは全身に入っていた力を抜いた。

途端に、頬の熱くなる感触にヒノエは思わず口許を覆う。

「・・・ぁぶなかった」

零れた呟きは望美が聞いたなら目を丸くしそうな程、本音丸出しのホッとしたもので。

「まさかこのオレが女の視線に耐えられなくなることがあるなんて、ね。」

自分の顔の造作がある程度整っている事ぐらいは自覚済みだし、立場上見られることには慣れているはずだったのに。

望美の視線だけはダメだった。

何故だか辿る様な望美の視線がくすぐったいやら落ち着かないやらで、あの時望美が手を伸ばしてくれなかったら危うく赤くなって狸寝入りがばれるという醜態をさらしていたかも知れない。

くっくっと零した笑いは珍しく何処か情けなさそうなものになって、ヒノエはますます頭を抱えた。

「本当に面白い姫君だよ、お前は。」

囁いた言葉は純粋な興味と、少し上乗せされたまだ言葉にならない感情。

振り仰ぐように顔を上げると木の葉の間から熊野らしいキラキラとした光がこぼれ落ちてきて。

ヒノエは緩やかに笑った。

・・・・少しだけうたた寝をした夏の午後、珍しい感情(もの)を見つけた。




















                                              〜 終 〜




















― あとがき ―
タイトルはこの時点での二人の意志みたいなものです。
惹かれ始めてるけど、まだ認めてやらない、みたいな(笑)