甘い薬にご用心
弁慶さんの薬はよく効く。 効くんだけど・・・・ 「ううう・・・・」 口に含んだ薬の苦さに、春日望美は顔をしかめた。 途端にくすっと笑う声が聞こえて、望美は慌てて顔を引き締めた。 ・・・・といっても、まだ口許は引きつっていたけれど。 「無理しなくてもいいですよ。」 笑い声の主―― 武蔵坊弁慶に穏やかにそう言われて望美はちょっとバツが悪くなって曖昧に笑った。 「ごめんなさい。忙しい中調合してもらったのに・・・・」 望美はそう言って手元のお椀に目を落とした。 先刻、望美に思い切り顔をしかめさせたそれは朝方少し寒気がしたと訴えた望美に弁慶が調合してくれたものだった。 薬師でもあり、軍師でもある弁慶は常に忙しい事を知っているだけに調合してもらった薬に文句をつけるような真似は憚られて望美は申し訳ない気分で謝ったのだが、弁慶は全く気にした様子もなく笑った。 「みんな君ぐらい気を遣ってくれると嬉しいんですけどね。ヒノエなんて擦り傷に塗り薬を塗っただけで文句の嵐ですよ。」 仲が良いのか悪いのかわからない叔父甥である弁慶とヒノエだけに様子が想像できて望美は苦笑した。 「ヒノエ君も感謝はしてるんですよ。」 「それならお礼の一つぐらい言ってくれても罰は当たらなさそうなものですけどね。」 そう言うわりにあまり気にしてなさそうに弁慶は手元にあった某かの葉っぱを薬を引く臼に入れた。 その動作に望美はなんとなく興味をひかれる。 「こっちのお薬ってそういう葉っぱばかりなんですか?」 「いえ、木の根や皮、実も使ったりしますよ。」 答えながら弁慶は手際よく素材を臼でひいては調合していく。 「望美さんの世界の薬はこういうものではないんですか?」 逆に聞き返されて望美は首を捻った。 「うーん、あんまり詳しくないんですけど今の弁慶さんみたいに作る薬もあります。でも主流は違うかな。錠剤になってたり液体で売ってたりするからどうやって作るのかよくわからないんですけど、すごくよく効きますよ。」 さすがに薬剤師の知り合いもいないので適当な答えしか返せなかったが、それでも職業柄か弁慶は興味をひかれたようだった。 「それはもう調合された状態で売っているということですか?」 「はい。今みたいにその場で作ってもらわなくても大丈夫で、そのかわり飲みすぎたりすると大変な事になったりしますけど。」 「なるほど。でもそんなに便利な薬になれているとこちらでは不便ではありませんか?」 弁慶にそう聞かれて望美は大きく首をふった。 最初は確かに不安に思っていたが、意外にもこちらの薬もかなり良く効くのは実体験を経て確信済みだ。 「すごく良く効くから助かってます。私は他の薬師さんは知らないから、弁慶さんのお薬が特別良く効くのかも知れませんけど。」 何の気なしに望美がそう言うと弁慶は珍しく嬉しそうに笑った。 (あ、珍しい。) 普段落ち着いた微笑みを浮かべている印象の強い弁慶だが、意外と感情を見せた笑顔は多くない事を望美はもう気が付いていた。 だから珍しく嬉しい、という感情が素直に伝わってくる笑顔に、とくんっと一つ鼓動が跳ねる。 ふわっと頬に熱の上がる感覚に誤魔化すように望美は手の中のお椀を口許へ寄せた。 そして残っていた薬を口に入れて・・・・再び口許を引きつらせる。 その表情の変化に、堪えきれなくなったように弁慶が小さく吹き出した。 「ふふ、望美さんは素直ですね。」 「うう・・・・だって苦いのだけは慣れなくて。良く効くっていうのはすごく良くわかってるんですけど。」 今度は望美も素直に白旗を揚げた。 良薬口に苦しの意味を舌の上に残る苦みで実感しながら望美はお椀を置く。 薬といえば錠剤で、苦いといっても粉薬程度で育ってきた身としてはこの苦みはちょっとキツイ。 お行儀が悪いとわかっていて少し舌を出して苦みを誤魔化そうとしている望美を横目に見てた弁慶は、不意に顎に手を当てて考え込むように俯いた。 「苦くても良く効く・・・・ですか。」 「?どうかしたんですか?」 「いえ・・・・」 聞き返した望美に弁慶は思案顔のまま、周りを見回して。 それからいくつかの薬包を手に取ると手近に在った器に入れて湯を注いだ。 「?弁慶さん?」 望美が首を傾げて見ているとかき混ぜたお椀を持ち上げた弁慶は「これでよし」、と呟いて。 「望美さん、これも試してみませんか?」 そう言ってお椀を差し出した。 「え?試してって・・・・」 「良く効く、と言って下さったので試してみたくなったんですよ。大丈夫、身体に害のあるような物ではありませんから。」 にっこり。 擬音で表すならまさにその音がぴったりな笑顔を向けられて、望美はさっきの苦みとは別の意味で口許が引きつるのを感じた。 「えーっと、弁慶さん。」 「なんでしょう?」 「これって・・・・」 「薬ですよ。」 (だから何の!?) 心の叫びは口に出る前に弁慶の笑顔に黙殺された。 代わりに新しいお椀を手渡されて望美はそれに目を落とす。 (べ、別に怪しい匂いもしないし・・・・) 少し口許に近づけてみるが少しとろみのある半透明の液体からは別に怪しげな匂いもしない。 それに・・・・むしろゆっくりと湯気を薫らせるその液体はなんとなく美味しそうにすら見えた。 (害はないって言われたし・・・・) ちらっと見れば弁慶は相変わらずにこにこと笑みを浮かべていた。 しばしの熟考の後 ―― 「いただきます・・・・」 覚悟を決めた望美はお椀を傾けた。 何となく微妙な感じにどきどきと心臓が跳ねているのが気になりつつ、液体を口に含んで・・・・。 「あっ!」 「あ?」 「あまい・・・・」 驚いたように目をまん丸くする望美に弁慶はくすりと笑った。 「そうでしょう?」 「え、でもこれ薬なんですよね?こんな甘い薬初めて!すごい、美味しい!」 飲む前に緊張していたこともあって望美は興奮気味にもう一口お椀の液体を口に入れる。 現代にあったような砂糖の甘さとは違うけれど、仄かで柔らかな甘さがさっき苦い薬でしびれそうだった舌を撫でていくようで。 「ほんとに美味しい!これ何の薬なんですか?」 お椀を両手で抱えて美味しい美味しいと飲みながら聞いた望美に、弁慶はにっこり笑って言った。 「惚れ薬ですよ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 固まった。 それはもう見事なまでにぴたっと全ての動きを止めた望美は気が付いた。 いつの間にか、さっきまで弁慶が調合に使っていた道具が片付けられていて、望美と弁慶の間にはなにもない事に。 お椀を持ったまま固まっている望美の前に何の障害もなくやってきた弁慶は片膝をついて望美の顔を覗き込む。 正面からぶつかった視線にどくんっと大きく鼓動が跳ねた。 (えっ) 「媚薬、というほどきつくはないはずなんですけどね。それを飲んで最初に見た異性に常ならぬ興味を抱くという薬です。」 口許を緩く持ち上げた笑みが、酷く艶やかに見えて・・・・そう感じた自分に望美は眩暈を覚えた。 (え・・・・?) 「いつか使ってみたいと思っていたけれど、君はどうかな。」 頭が回らなくて返事が見つからず望美はただ弁慶の顔を見つめる。 まるでさっき舌先に感じた甘さが思考に回っているように、全てが麻痺しているようで。 ついっと弁慶の手が伸ばされて反射的に望美は肩を振るわせる。 しかし弁慶は望美自身には触らず、肩から無造作にこぼれ落ちていた紫紺の髪を一房掬った。 そして。 ゆっくりと自分の口許へ引き寄せて。 ―― 愛しむように口付けを落とした。 次の瞬間。 「!?!?!!!!?!っっっ!!!」 がたっ!! 声にならない声を上げて、望美は立ち上がっていた。 「望美さん!?」 驚いた様な弁慶の声が聞こえた気がしたが、構わず望美は部屋を飛び出した。 (だってだってだってだってぇぇーーーーー!!!) 頭の中で割れんばかりに響いている悲鳴の代わりに足音も荒く。 その音に驚いたのか、前方方向の部屋から九郎がひょいっと首を出した。 そして「騒々しい・・・・」と叫びかけて望美の顔を見て。 「おい、どうかしたのか?」 「え・・・・?」 「顔が真っ赤だぞ?弁慶のところで薬をもらってきたらどうだ?」 心底心配そうに九郎にそう言われて、望美は脱力してずるずると座り込んでしまった。 「おい!?」 「・・・・大丈夫」 頭の上から降ってくる九郎の心配そうな声に一応返事を返す。 大丈夫? (大丈夫じゃないよ・・・・) バクバクと騒ぐ心臓を押さえて望美は深くため息をついた。 「本当に大丈夫か?弁慶の薬は良く効くぞ?」 まさか狙っていたわけではないだろうが、あまりにも確信をついた一言に望美は沈黙し。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん、よく知ってる。」 諦めたような呟きに事情がさっぱりわからない九郎は眉間に皺を寄せたのだった。 ―― 同じ頃。 遠ざかっていった望美の足音を聞いていた弁慶は、転がったお椀を拾った。 そして縁に少し残っていた液体を指で掬って口に運んで。 「・・・・すこし、効き過ぎましたか。」 悪戯っぽく呟いた舌に残った葛の甘い味に小さく笑った。 〜 終 〜 |