君、恋し
夏のぎんぎら輝く太陽は容赦なく体力を奪う。 それがいかに山深く、森林に覆われた熊野といえど同じ事。 そしていかに戦場で男勝りに剣を振るおうとも体力的にどうしても男性より弱くなってしまう女性陣にはそれはとてもきつい。 「望美さん。お疲れではないですか?」 熊野に入る前から何度か繰り返した問いを繰り返す弁慶に、一歩後から着いてきていた望美が顔を上げた。 「え?大丈夫ですよ、私は。朔と、白龍は?」 いつもと変わらぬ笑みで側を歩く二人に声をかける望美を見て、弁慶は密かにほっと息を吐いた。 ここ数日、険しい山道が続いているのだ。 景時が時々「きっついね〜」と漏らす冗談に一欠片本音の響きが混じるほどに。 つまり女性である望美にとってはそれ以上にきつい行程になっているわけで。 それが弁慶は気になっていた。 望美は龍神の神子という役目を負っているせいもあるのだろうが、もともと酷く我慢強い。 小さな不満や弱音はぽろっと零しても、自分一人では解決できないような事になると尚一層抱え込もうとするのだ。 だから冬に宇治川の戦場で出会ってからの短い間とはいえ、それをしっかり見抜いている弁慶は心配でならない。 なるべく小さい内に望美が弱音を零せるように、その事で望美に我慢をさせないように。 故にこの山道がきつくなるにつれて弁慶の問いかけも増えた。 いつでも休みたいとか疲れたとかこぼせるように。 それに対して望美はいつものように笑って「大丈夫」と答えていたから。 今回も同じだった答えに弁慶は目を細めて頷く。 「よかった。もう少しで村に出るはずですから・・・・」 そこで休みましょうと続くはずだった言葉は。 「―― 大丈夫じゃねえだろ。」 何の前触れもないぶっきらぼうな声に遮られた。 いつもの九郎一行にはない声に、前後にのびていた八葉の面々は驚いて声の主を見る。 9人分の視線を浴びた声の主 ―― 謙の兄で、望美の幼なじみであるという熊野で合流した将臣はつかつかと望美の側まで来て呆れたように言った。 「お前なあ、しんどいんならさっさと言えよ。」 「え?別にどうとも・・・・」 問いかけられた望美本人ですらきょとんとしている。 だというのに、将臣は揺らぐことなく言う。 「相変わらずだな。おい、弁慶。この先に村があるっつったな?どのぐらい先だ?」 急に話を振られて記憶を探る。 「一時ほどはかかると思いますが。」 「じゃあだめだな。たぶんそこまでこいつ、もたないぞ。あ〜・・・・悪い、リズ先生。こいつを担いでくんねえか?俺は一足先に行って宿確保しとくからよ。」 「ええ!?ちょっと将臣くん!?」 あれこれ段取りを始める将臣を見て望美は慌てて止めようと一歩踏み出す。 途端 「わっ!」 「あぶねっ!」 思いきり出張っていた木の根に足を取られて体勢を崩す望美を間一髪将臣が受け止める。 一瞬動きかけた弁慶を含む他の面々が取りあえず望美が転ばなかった事に安心すると同時に、気がついた。 普段の望美であればあんなに目に入る障害に足を取られたりはしない。 つまり注意力が散漫になっているという良い証拠だった。 望美を元通り立たせながら、将臣はため息をついてその頭をぽんぽんたたく。 「ほらみろ。お前は無自覚に無理すんだよ。体育祭の時もそうだったじゃねえか。」 「うっ・・・・で、でも本当に大丈夫。まだ歩けるよ。」 「無理だな。それで無理するとお前、明日は体調崩すぞ。」 すぱっと言い切られて望美は言葉に詰まった。 その二人のやりとりを完全に蚊帳の外で聞いていた弁慶の胸の内に、何とも言えない感情が広がる。 (何が、違ったというんでしょう・・・・) その前に問いかけて大丈夫と望美が答えた時には将臣は何もいわなかったのに、今回の時は望美の体調に気付いた。 しかも本人すら気がついていなかった無意識下に。 周りには気付かれないように、弁慶は少しだけ眉間に皺を寄せた。 目の前ではまだ望美が将臣に異議申し立てをしている。 「だけど、おぶってもらわなくちゃいけない程、消耗してないってば。」 「あのな、自分が体力消耗してる事にも気付けなかった奴が何言ってんだ。」 「それは・・・・ああ、もう!だいたいどうして将臣くんが私の体調についてわかってるのよ!」 とうとう逆ギレに転じた望美の額にこつんと拳を当てて、将臣は言った。 「俺が何年お前の面倒みてたと思ってんだ。お前の事ならお前以上にわかってんだよ。」 自信があるようにでもなく、不敵にでもなく、当たり前の事を言う口調で言われた言葉に弁慶は自分の内に生まれた感情が大きくなるのを感じて二人から目をそらした。 それでもどろどろと胸の内に凝ったものは消えずに脳裏を支配する。 (・・・・らしくないですね。) 弁慶は息を吐いて軽く頭を振った。 こんな事を考えている場合ではない。 「おい、弁慶?どうかしたのか?」 九郎に声をかけられて、弁慶は被り慣れた微笑みを浮かべて振り返る。 「なんでもありませんよ。」 そう答えて根が素直な九郎を納得させていまだに将臣と何か言い合っている望美の側へ寄ると、望美が身構える暇もないほど自然な動作でその額に触れる。 「少し、微熱があるようですね。将臣君の言うとおり、のようですよ?」 「うっ。」 「ほらみろ。医者の言うことは大人しく聞け。」 「だ、だって・・・・そんなのリズ先生に申し訳ないよ。」 「私はかまわない。行くぞ、神子。」 「わわっ!」 簡潔に一言だけ言うとリズヴァーンは軽々と望美を抱き上げる。 俗に言うお姫様だっこ状態にされてしまって大いに慌てる望美を見て、けらけら笑って将臣は言った。 「いーんじゃねえ?たまには甘えろよ。じゃ、俺は先行ってんな。」 「あ!まてよ、兄さん!俺も行く。」 慌てて譲が申し出て将臣について行くのを見送って、一行もその後を追うように動き出す。 リズヴァーンに抱えられた望美も諦めたのか、師の腕の中で大人しくなっている。 そのくたりとした様子に釈然としないものを感じながらも、弁慶も歩き出したのだった。 数刻後、宣言通り将臣が確保していた宿までたどり着いた一行は将臣の判断が正しかったことを知ることになった。 というのも、望美が宿についてしつらえられた寝床に入るやいなや吸い込まれるように眠ってしまったからだ。 心配する仲間達を追い出し、自分は治療の名目で一人望美の元に残った弁慶は眠る望美の顔を見つめながらため息をついた。 いつもなら血色のいい望美の頬が、今は青白くすら感じられるほどになっている。 病気という程のものではないが、たまっていた疲労が吹き出したのだろう。 弁慶は何度目になるかわからないため息をもう一度ついた。 「・・・・我慢しすぎですよ。」 思わずこぼれ落ちた言葉が恨みがましい響きを含んでしまう。 どうせ起きている望美にそう言ったところで、彼女は笑ってすみませんと謝る代わりにけして我慢をやめようとしないことを知っているから。 そういう意味では望美は自分と同じだと思う。 笑顔で人を騙す・・・・もっとも、それが弁慶と望美では根本的な所に大きすぎる違いがあるが。 (けれど、僕ならば貴女に騙されることはないと思っていたのかな。) 我慢を覆い隠している笑顔を、見抜くことが出来ると。 実際、望美が意識的にそうしている時は見抜ける自信があった。 しかし今回は無意識的に望美は自分のことを隠していた。 だから弁慶にはそれを見抜くことが出来ず、見抜いたのは将臣だった。 「・・・・・」 弁慶が手を止めたちょうどその時、僅かな足音と共にひょこっと件の人物が顔を出した。 「よお、望美、大丈夫か?」 「将臣君・・・・」 この何とも言えないタイミングで現れた人物に対して弁慶は一瞬対応に困る。 しかし将臣はそれを気にとめた様子もなく、眠る幼なじみの方に目を移した。 「ああ、やっぱ寝てたか。」 「・・・・いつもこうなるんですか?」 「まあな。望美はちびっ子の頃から元気な奴だけど、時々無理しすぎるとな。」 何か思い出したのかくっくっと笑いながら、将臣は望美の枕元まで無造作に歩み寄る。 そしてさらっと前髪に指を通した。 ―― 瞬間、弁慶はすんでで動きそうになった己の腕を唇を噛んで堪えた。 次いでたった今吹き荒れた衝動に愕然とする。 (僕は・・・・) 将臣の手が望美の髪に触れた瞬間、その手を力ずくでも払いのけようとした。 ―― 触るな ―― (・・・・馬鹿な。僕はそんな事を言える立場じゃない。) ―― さわるな ―― (・・・・将臣君は望美さんの幼なじみで、ただいつものように接しているだけなのに。) ―― サワルナ・・・さわるな・・・触るな!! ―― これ以上彼女との絆を見せつけるなっ!! 「お前でもそんな顔をすんだな、軍師殿。」 耳を打ったどこか笑いすら含んだ声に、弁慶ははっとした。 途端に、望美の髪を梳いた手をいつの間にか立て膝の上に乗せていた将臣の、酷く挑戦的な瞳にぶつかる。 何か面白い物でも見ているような表情の中に、一片真剣なものを感じ取って、弁慶は咄嗟にいつもの笑みを貼り付ける。 「そんな顔、とはどんな顔をしていましたか?」 「いや?どんな顔だろうな。」 あからさまに惚けてみせる将臣に、弁慶は動揺を手の内に握り混む。 (・・・・わかりやすい顔をしていたでしょうね。) 正直、弁慶自身自分の感情に驚いていた。 望美と将臣の間にある絆を見せつけられるにつけ感じていたのは・・・・独占欲めいた嫉妬。 しかも隠しきれないほどの、強いそれ。 まさか (今頃になって、そんな感情(もの)を抱く人に出会うなんて、ね。) 心の中で失笑したのを表に出したつもりはなかった。 それなのに、将臣はさっきまでの表情を引っ込め、うってかわった射るような視線を弁慶にむける。 「弁慶。」 「なんですか?」 「俺とこいつは生まれた時から一緒だ。ほとんどずっと同じ物を見て、同じ遊びをして、泣いて笑ってそうして育ってきた。 だから」 ぶつけられる偽りのない言葉に、僅かに揺らぐ。 彼の言うとおり、望美と将臣は本当にそうして過ごしてきたのだろう。 だから。 だから 「こいつを辛い目に遭わす奴には容赦しねえ。」 (・・・・ああ、そうでしょうね・・・・) きっぱりと宣言する彼女の幼なじみが、酷く ―― 将臣は眠る望美の頭を『今度は』親愛の情に溢れた仕草で、くしゃりとなでる。 そして立ち上がるとさっきとはうっかわったいつもの将臣の口調で言った。 「まあ、辛い目だろうがなんだろうがこいつが幸せだって言うなら、反対できねーけどな。 じゃあ、後頼むぜ。」 言いたいことだけ言って、将臣は部屋を出て行った。 足音だけを追って、それが遠く遠ざかって聞こえなくなって、初めて弁慶は深く、深く息をついた。 握りしめすぎて強ばった掌を、ゆっくりと広げ、自嘲気味の笑みを落とす。 ―― 酷く、妬ましかった この手は、望美に出会った時にはすでに血塗れで、彼女に触れることすら躊躇うというのに。 掌から視線を滑らせて、昏々と眠り続ける望美を見つめる。 「・・・・望美さん・・・・」 囁く声に、僅かに望美は瞼を振るわせた。 その仕草に惹かれるように弁慶は手を伸ばす。 そして、望美の前髪に触れるほんの僅か手前で・・・・その手は握り拳に変わり、痛む胸元へと位置を変える。 (触れられないんです・・・・・) もう、自分は選んでしまった。 これから先に待つのは裏切りと罠に溢れた独善的な道だ。 幕を引くのは、己が命。 どう足掻いたって、辛い目に遭わせるとわかっている道しか自分の前には残されていない。 だから将臣に言われなくとも、触れられはしない。 できることなら、彼の幼なじみのように誇らしげに彼女に触れたかった。 いつでも護ると言いたかった。 でも・・・・もう、遅い。 「望美、さん・・・・・」 ―― 微かな囁きに、望美が動くことはなかった・・・・ ―― 「なあ、望美?」 ―― 「ん?何?将臣くん。」 ―― 「なんで、弁慶なんだよ?」 ―― 「えっ」 ―― 「ばーか。バレバレなんだよ。なんであいつなんだ?わかってんだろ? あいつは一筋縄じゃいかねえぞ?」 ―― 「・・・・わかってるよ。」 ―― 「じゃあ、なんで。あいつには秘密が多すぎるぜ。幸せになれるかわからな」 ―― 「幸せにしてもらうんじゃなくて、幸せになるからいい。」 ―― 「は?」 ―― 「弁慶さんが秘密だらけだなんてとっくに知ってるよ。 でも案外脆くて、責任感が強いって事も。 幸せになれるか、なれないかなんて関係ないよ。 どんな目にあっても足掻いてみせるもん。 今、弁慶さんから目を離すより、そっちのほうがずっとずっと幸せに近いよ、きっと。」 ―― 「・・・・強えな。」 ―― 「当然。だって恋してるからね。とんでもなく厄介な相手に。」 〜 終 〜 |