縋る亡骸も残さず

夕日の輝く海を透過して舞い散る魂の欠片・・・・

まるであの人の存在があった事が幻だったかのような、最期。

のばした腕は空を切って、手の中には何も残らない。

あんな想いは、もう、二度と・・・・














たったひとつの決意















バタバタと船内を行き交う平家の兵士達の足音が否応なく飛び込んでくる。

船尾に近い甲板で望美は船底にぺたりと腰を下ろして、膝を抱えていた。

さっきから敵方で神子と呼ばれる望美に対する好奇の視線が何度も向けられるのを感じていたが、望美はそれを綺麗に無視した。

平家を劣勢に追い込んだ望美に対して罵りの言葉が向けられないのは、龍神の神子というこの世界の伝説的存在であると言われているせいだろう。

(罰でもあたると思ってるのかな。)

そんな風に思って、継いで彼女の神たる白龍の姿を思い出した望美はくすっと笑った。

力をそがれ人の形をとっている彼の神には誰かを害する姿はものすごく似合わない。

(それに・・・・)

急に伏せていた頭上で足音がして望美ははっと顔を上げた。

と、その視界に映った平家の兵士がぎくりとしたような顔で慌てて去っていく姿が目に映る。

「・・・・違った。」

残念、と言うように呟いて望美はまた膝の上に頭を戻す。

そうして、望美はまた待つ。

この船に乗っているはずの、武蔵坊弁慶を。

弁慶が源氏を裏切り、望美を人質としてこの船に乗り込んだのは昨夜の事だ。

とすれば、彼はそろそろ望美に会いにやってくる ―― 望美の『記憶』が正しければ。

(ここまでの歴史は変わってないから、きっと・・・・)

昨日、望美が『見て』きた通りに弁慶は源氏を裏切り、忠度に同じセリフを告げた。

違っていたのは唯一つ。

弁慶が望美を捉えた時に、望美はさほど驚かなかった。

と言うより別の事に対して覚悟を決めていたから、『一度目』のように驚かなかっただけなのだが。

望美は首もとに革ひもでぶら下げた宝石にも似た石を握りしめる。

それは、望美が持つ最大の力。

時空(とき)を渡る、龍の逆鱗。

一度目にこれを使った時の事も、二度目に使った時の事も出来るなら思い出したくない。

特に二度目の時の事は。

望美は自分の体を抱きしめるように、ぎゅっと膝を縮めた。

―― 夕陽だった。

砕けたガラスが無数に散らばっているように夕陽が波に反射していた。

美しい、紅のそんな風景の中で。

・・・・望美は恋した人を消したのだ。

大丈夫だからという最後の嘘に騙されて、八咫鏡の欠片を向けてしまった。

風景を透かしてかろうじて残像を残した彼が、寂しそうに、でもどこか満足そうに微笑む。

贖罪が成って、それが望美の手で最後を迎えたことに満足そうに。

嘘つきで意地悪で、勝手すぎる彼の最期。

煌めく夕陽の中で何も無くなってしまった空間を前に、大きすぎる喪失感に望美は愕然とした。

無意識にのばした手が掴んだのは空。

その瞬間、力が抜けたように望美は膝をついた。

(痛い・・・いたい・・・)

たぶんそれは痛覚とは違ったのだろうけれど、その時の望美にはそうとしか表現できなかった。

ただ、痛くて。

張り裂けるかと思うほど痛む胸を抱きしめるように自分の体を抱く。

(もう・・・・いない?あの人が?この世に・・・・?)

泣いていたのかも、自分では覚えていない。

覚えているのは、あまりにも圧倒的な感情の渦の中で、自分の喉から迸ったとは思えないほど悲鳴じみた叫びだけ。


『弁慶さんーーーーーーっ!』


望美は手のひらに跡が残るほどきつく握りしめた。

(・・・・もう二度と、あんな想いはしたくない。)

小刻みに震える体を鎮めるように望美は深く息をする。

そして自分の胸元に大切にしまった鏡の欠片の存在を確かめるようになぞった。

一度目の歴史と一番違うのは、望美が弁慶の最期を知っている事に加えて、この切り札を持っている事だ。

「絶対・・・・変えてみせるんだから。」

くぐもった自分の声が決意を表すように固かった。

ふと、望美は自嘲気味に口元を歪めた。

白龍は望美を自分の神子だと言って大切にしてくれるし、他の八葉のみんなも望美は優しいとか神聖な気を纏ってるとか言ってくれる。

敵方の平家でさえそうだ。

怨霊を浄化する神聖な神子姫。

そう言う噂が流れていることも知っている。

(だけど、きっと私が一番・・・・罪深い。)

一人だけでも無事に自分の世界へ帰ってくれと白龍が存在をかけて渡してくれた逆鱗を使い、時空を遡ってたった一人の人を助けたいがために歴史を塗り替える。

たった一人、弁慶を助けたい・・・・ただそれだけのために。

(でも、いい。弁慶さんが生きていてくれるなら、それでいい。)

それだけのために時空も越える。

もう二度と・・・・

「こんなところにいたんですね。」

はっと、望美は顔を上げた。

その目に、いつの間にそんなに近くまで来ていたのか、弁慶が立っているのが映った。

瞬間、望美は泣くかと思った。

唇を噛んでその衝動を堪えなければならないほど ―― 弁慶がそこにいて、生きていることが嬉しかったから。

それを誤魔化すように望美はゆっくりと立ち上がる。

歴史を変えるのはここからだ。

信じてくれるかは一種の賭だけれど、一度目より自分はずっとたくさんの事を知っている。

ぎゅっと望美は胸元で拳を握った。

切り札はそこにある。

未来を変える、その切り札が。

望美はしっかりと弁慶の目を見つめた。

何処か驚いたような琥珀の瞳を見つめて、望美はゆっくりと口を開いた ――
















・・・・もう二度と、あんな想いはしない

         好きだから、大好きだから、貴方を助けるために私は今、ここに在る


















                                            〜 終 〜











― あとがき ―
「たったひとつの真実」と対創作で、望美ちゃんの決意でした。
つーか、弁慶、痛すぎるでしょう!目の前で死ぬのは!しかも消えるし(T T)
弁慶としては望美ちゃんの手で決着をつけてもらえて満足だったかも知れないですけどねー。望美ちゃんはねー。
というわけでこの話ができました。ちなみに望美ちゃんがやたら男前なのは私のイメージの暴走によります。
望美ちゃんって歴代の神子様の中でも随一の男前だと思うんですよ、私としては。
自分の気持ちから目をそらさないというか、潔いというか。
だからシリアスに書くとどんどん八葉を置き捨てて男前になっていってしまいます(^^;)