「―― 約束だよ、望美?」 「うん、ヒノエくん、どうか無事でね。」 ―― そう言って別れたのはもう十日前 本気と不安 「急げ、野郎ども!予定から遅れてんだ!きりきり歩きやがれ!!」 『へいっ!』 淡路島の山中をばらした船の部分を運んでいた男達は、若い怒声にそろって返事を返し足を速める。 どう見ても船を造る人足達ではない、荒くれ者の顔をした男達は本来は船を運ぶ役目の者達ではなく乗っているべき男達、熊野水軍の面々だ。 なのに、この強行とも言えるべき仕事に彼らは愚痴ひとつ言うことなくとにかく出来る限り早く前に進むことだけを考えて前進し続けている。 それだけ彼らが若い棟梁に寄せる信頼が絶大なものである事を示しているともいえるだろう。 しかしその信頼を一身に受ける頭領 ―― ヒノエは隊列の側面を警戒しつつも落ち着かなさそうに行ったり来たりを繰り返している。 それは常に冷静さと余裕を忘れない熊野別当の姿にしては奇異なものだったが、八割方理由がわかっている水軍の面々は余計な事は言わずただ前を目指していた。 と、後方から大柄な男がヒノエに走り寄ってきた。 「よお、随分いらだってんな。」 おそらく先ほどの怒声が聞こえていたのだろう。 にやにや笑いながらそう言ってくる隻眼の男にヒノエは僅かに顔をしかめた。 「うるせえ。さっさと報告しろ。」 「へいへい。最後尾まで無事に淡路に上陸したぜ。何事も起こらず抜けられればあと五日で何とかなるかもしれねえな。」 「なんとかなるかも、じゃなくてなんとかするんだ。先の露払いは烏の一部に行かせた。」 「おお、準備万端だな。そりゃまあそうか。間に合わなかったら神子姫様の信頼を失っちまうもんな。」 「はっ。オレがそんなヘマするか。」 にっと笑ってそう言ってみせるヒノエだが、隊列の進み具合を気にする様子は隠しきれず声をかけた男は忍び笑う。 『は!?半月で淡路を陸路で越える!?』 10日前、熊野水軍の本拠地に戻ってきてヒノエが持ち出した計画を聞いた時には、ちょっとやそっとの事では動じない水軍の面々もさすがに目をむいた。 あまりにも突拍子もなく、成功する確率も低かったからだ。 熊野を危険にさらさない、その道をほとんど本能的に選び取ってきたヒノエの計画とはにわかには信じがたい程だったのだ。 しかしもっと目をむいたのは、動揺する水軍の面々の前でヒノエが、頭を下げて言った事だ。 『正直に言うとオレはこの策が熊野にとって最善かどうか自信がねえ。今熊野水軍が源氏に加勢すれば平家には七割方勝てる。 けど、それ以前にこの計画が上手くいくか、間に合うのかについては七割とは言えねえ。たぶん五分がいいとこだろう。 ・・・・だから、今オレがこんな事を言い出してんのは熊野のためじゃねえのかもしれない。 それでもオレはこの計画を成功させたいし、熊野を動かし始めたなら勝つつもりでいる。 判断はお前達に任せる。 だが、できるなら力を貸してくれ。頼む。』 その場に居並んだ男達は顔を見合わせる。 こんなに切実な顔をしているヒノエを正直、見たことがなかったから。 頼む、と頭を下げた彼が誰のためにそうしたのか水軍の主立った面子はみな知っていた。 それならばと、うなずき合った彼らの返事は決まっていたのだ。 彼らの肯定の返事を受け取ってからヒノエはほとんど不眠不休で動き通してここまで来た。 どうしてそこまでするのか、などという野暮な事は誰も聞かない。 だからこそ、間に合わないわけにはいかないのだ。 隻眼の男は片方残った目を面白そうに細めて大声で言った。 「おーい、野郎ども!間に合わねえと俺らの頭領が神子姫様に逃げられちまうぜ!!急げ急げ!」 「て、てめえっ!」 「おおっと、俺は後方には発破かけてくるぜ。」 ヒノエの繰り出した拳を軽々と交わして、再度走り出そうとした男の背中に荷を運んでいた男から声が飛ぶ。 「おい!青海!神子姫様ってのはそんなにいい女なのかよ!?」 水軍のなかでも数少ない『噂の神子姫』に実際会っている男 ―― 青海は何度となく聞かれた言葉に、何度となく答えた言葉を返した。 「おおよ。姫君みてえに綺麗な姿をしてるくせに、そりゃあ強え目をした人だったぜ。とびっきりの宝玉みてえなな!」 「さっさと行けよ!!」 「了解。」 短く答えて体格に似合わず軽々と隊列にそって走っていく青海を見送ったヒノエは、何となくバツが悪くなって先頭の様子を見るため、と理由をつけて足を速めた。 (あいつがいい女か?そんなの当たり前だろ。) 思わず心の中でさっきの野次に答えている自分に気付いてヒノエは苦笑した。 (オレも随分惚れたもんだね。) 自分でも信じられないと思った途端に、脳裏を一人の少女の面影がよぎってぎゅっと胸が締め付けられる。 柔らかくて彼女の気質を表したような真っ直ぐの髪、すべらかな頬、誰かを護るために必死に鍛えた手のひら・・・・そしてなにより、惹き付けられてやまない彼女の意志を映すその翠の瞳。 龍神の神子と呼ばれる彼女、春日望美に最後に触れたのはもう何日前になるだろう? 『ヒノエくんを信じて待ってる。』 別れ際、そう言って笑顔で送り出してくれた望美。 彼女がそう言ったならきっと出来る限りの力を使って源氏軍を止めてくれるだろう。 そのあたりは望美の言葉で力を得られたし、信頼もしている。 ・・・・でも (ちょっと寂しかった、なんて言ったらお前は笑うかな。) 本当は望美に寂しいと言って欲しかった、なんて。 一緒に行くでも良かったかも知れない。 とにかく離れたくないと、そう言って欲しかった。 (紀ノ川で捕まえたと思ったんだけど。) 『オレの女にならない?』なんて、なんて芸のない台詞だと自分でも呆れたけれど。 本気になると言葉など選んでいられないという事を初めて知った。 彼女を護るべくして集まっているという八葉の面々はそれなりに魅力的な男ばかりで、恋敵として不足はないと思っていたのはいつまでだったか。 いつの間にか余裕ぶった表情(かお)の下で、望美への余裕だけが無くなっていった。 どこにも行かせたくない、誰にも渡したくない・・・・オレのものにしたい。 そんな想いに突き動かされて紀ノ川で勝負に出て、それでヒノエは勝って望美を得たはずだったのに実際には負けっ放しだ。 今だってたった十日と少し望美に会っていないだけで斬りつけられる程不安で仕方ない。 伊達にこの年で熊野別当の名を冠しているわけでもないから、表面上は他の人間に悟らせないぐらいはできるが、自分の事は自分が良くわかっている。 「・・・・望美・・・・」 唇に乗せれば甘く溶ける響き。 (会いたい・・・・) 素直にそう思う。 前線になる源氏の陣で、彼女の側で彼女を護っているのが自分でないのが酷く悔しかった。 そして同時にどこか嬉しいような可笑しいような気もしてきて、ヒノエはくっと口の端を上げた。 (このオレをこんなに不安にさせたり、嫉妬させたりする女、他にいるわけねえだろ?) だから助けたいし、護りたい。 そして一緒に生きていきたい。 その時、早足で先頭隊を追い抜いていたヒノエの視界が開けた。 高台の頂点に来たせいで開けたその視界にキラキラと輝く海が映る。 ほとんど無意識に口元がゆるんだ。 その向こうに望美がいる。 彼女が戦いながらヒノエの帰りを待っている。 「待ってろよ、望美。まずはここから、お前は最高の目に賭けたんだってこと、思い知らせてやるぜ?」 ヒノエは不適に笑って振り返った。 すぐ側まで来ている先頭隊の進み具合を見ても、間に合う確率が高くなった。 (もう少し、もう少しだ。) 逸る気持ちをそのままに、ヒノエは高らかに叫んだ。 「急げ!野郎ども!!海はすぐそこだ!!」 『おうっ!』 「ヒノエくん!!」 「やあ、姫君。待たせたね。」 「もう!遅いよ!・・・・会いたかったんだから。」 「っ!―― オレも、だよ。会いたかった、オレの神子姫様。」 〜 終 〜 |