生まれて初めてもらったバレンタインチョコ。 それは小さな小さな、チロルチョコだった。 ふぁーすと・ばれんたいん 「はい、まーちゃんにあげる。」 いつものように両親が帰ってくるまで小学校帰りに有川家にやってきた望美が差し出したモノに将臣は首をかしげた。 「なんだよ?」 「えーっと、今日、ばれんたいん?なんだって。だからまーちゃんにあげる。」 「ばれんたいん?なんだ、それ。」 「よくわかんない。だけどお母さんがお父さんにチョコあげる日だよ。」 なんだか要領を得ない望美の話に将臣はますますわからなくなる。 そもそも望美と将臣はしょっちゅう喧嘩ばっかりしている喧嘩友達に近い。 いつも望美から何か分けてもらうのは弟の譲の方で、将臣はそれをからかっているほうだ。 なのに今日に限って望美は自分に何かくれようとしている。 「おれはのんちゃんのお父さんじゃないぜ?」 「うん、そうなんだけど・・・・」 「譲にやればいいだろ。」 「うん・・・・、最初はゆんちゃんにあげようかなって思ってたんだけど。」 考えるように言われて将臣はなんとなくむっとする。 いつだって望美が甘いのは譲の方にだ。 それで将臣はなんとなくつっかかってしまって、しょっちゅう喧嘩になってばかり。 でもそう思う理由もわからないのに、直せるわけもない。 「おれはべつにいらねえ。」 「え・・・・でも、わたしはまーちゃんにあげたいんだもん。」 「なんでだよ!」 「だって、お母さんが言ったんだもん。ずっと仲良くしたい人にあげなさいって。」 「え・・・・」 「それならわたしはまーちゃんと仲良くしたいってお母さんに言ったらこれくれたから・・・・だから、まーちゃんにあげようと思ったのに・・・・」 言ってるうちに腹が立ってきたのかどんどん険しい表情になる望美に、慌てたのは将臣の方だ。 いくらイライラしていたからって、言ってはいけない事を言った事ぐらいは将臣にだってわかる。 「わ、悪かったよ。謝る、謝るから。」 「もういい!まーちゃんなんて知らない!」 「のんちゃん」 「いいもん、ゆーちゃんなら喜んでもらってくれるもん!」 「のんちゃんっ!!」 突然将臣が張り上げた声に、望美がびくっとして止まる。 そんな風に驚かせたかったわけじゃないが、とにかく望美が走っていかなかった事にほっとして将臣は望美に向かって手を突き出した。 「それ、おれがもらう。」 「ええ?だっていらないって・・・・」 「もらうったらもらうんだ。欲しくなった!」 ぶっきらぼうにそれだけ言うとぷいっと横を向いてしまった将臣に、複雑な気分を抱えたまま、それでも望美は手に持っていたモノを将臣の手に乗せた。 「まーちゃんのじぶんかって・・・・」 「・・・・・・・・」 言い返すこともさすがに出来ずに、とりあえず手の上に乗せられたモノを見れば、それは小さなチロルチョコ。 10円玉で買える素晴らしく庶民的なチョコレートに思わず将臣は呟いた。 「・・・・せこい。」 「ばかっ!!」 もちろん思い切り大喧嘩に発展したのは言うまでもない。 ―― それから早、10年とちょっと。 「・・・・そういや、あれが俺が最初にもらったバレンタインチョコか。」 今日も燦々と輝く南国の空の下、今日の分の食料は無事確保してのほほんっと昼寝に興じていた将臣は懐かしい記憶に苦笑した。 と、草を踏む音と共に、自分に影がかかる。 「なんだか楽しそうだね、将臣くん。」 聞き慣れた声、見慣れた姿に将臣は逆光になった顔を見ようと目を細める。 そうして徐々にはっきりと見えてくる顔は、さっきの夢の面影を残した少女の姿。 「望美。」 「なに?」 「知ってたか?今日って2月の14日らしいぜ。」 「え・・・・ええっ!?」 さらっと将臣が告げた言葉に、望美は一瞬間を開けてすぐに目をまん丸くする。 その反応があまりに素直で可笑しくて将臣は吹き出した。 「ちょっ、なんで笑うの〜?」 「だって、お前、素直すぎ。でも、その反応つーことは今年は用意してねえんだ、バレンタイン。」 「あ、当たり前だよ。今知ったもん!・・・・用意、したかったのに。」 至極残念そうな顔を隠そうともしない望美に、将臣の悪戯心がむくむくと頭をもたげる。 「残念だな。せっかく晴れて恋人って奴になって最初のバレンタインだったのに。」 「うう・・・・」 「別に俺はチョコレートじゃなくても全然かまわねえけどな。」 「そんなこと言ったって・・・・」 思いつかないよ、と恨みがましい目で見上げてくる望美に将臣はにっと笑った。 「じゃあ、望美。俺の欲しいモノをチョコの代わりにってのはどうだ?」 「え・・・・なんか嫌な予感がするんだけど・・・・」 さすがは伊達に幼なじみを長年やっている訳ではない望美は何か察知したが、確かに将臣の言うとおり、恋人になって最初のバレンタインに何かあげたかったのも、本当で。 だから結局、望美は頷いた。 「わかった。で、将臣くんは何が欲しいの?」 「んなの、決まってるだろ?」 言うが早いか、獲物を捕まえるクモよろしく望美を引っ張ると難なく自分の腕の中に閉じこめてしまう。 そして抵抗するまもなく抱きしめられてしまった望美の髪を軽く梳いて、嬉しそうに告げた。 「望美からのキスでいいぜ。」 「は!?」 「だからお前からキスしてくれよ。考えてみたら俺からばっかりだろ?たまにはされてみたい。」 「みたいっていわれても・・・・」 かあっと赤くなってしどろもどろになる望美を目を細めながら将臣は見つめる。 大事な大事な幼なじみで、今は他の誰より愛している可愛い恋人。 困らせたいわけじゃないが、実はこんな彼女の表情も結構好きで。 「ほら、な?」 少しだけトーンを落として囁けば、望美はとうとう観念したようにため息をついた。 「・・・・わかった。するから、目、閉じて。」 「おう。」 やった!という声が聞こえそうな程、嬉しそうに将臣は目を閉じる。 ―― とくっ・・・とくっ・・・ 視界を閉じた途端、聞こえる鼓動が妙に早い。 そっと近づいてくる気配にますますその鼓動が早くなる。 そして微かに、僅かに掠めるような感触を感じた ―― ―― のは、右の頬。 目を開けた時には、さっさと遠ざかっていた望美が赤い顔でそっぽを向いていた。 おかげで将臣の脳裏にさっきの夢がフラッシュバックして、思わず呟いていた。 「・・・・せこい。」 「なっ!ひどいっ!」 「だってお前、普通ここだろ、ここ。」 不満たっぷりに将臣が自分の唇を指して見せても、望美はふんっと横を向いてしまう。 「望美。」 「知らない!」 (ああ、やっぱお前はかわんねえな。) 怒った顔も、さっきの夢(きおく)のまま。 ―― 今なら、あの時どうしてイライラしたかわかる。 (考えてみれば簡単な事なんだけど、な。) 将臣はすっと手を伸ばして無造作に望美の髪を掬った。 さらさらと遊ぶように指先を滑らせれば、望美が赤い顔でこっちを向く。 そして何とも不満そうに呟いた。 「将臣くんの馬鹿、自分勝手。・・・・なんで、こんなに好きになっちゃったのかなあ。」 「望美・・・・」 ―― あの時、どうして謙ばかりに優しい望美にむっとしたのか。 ―― あれは 「俺も・・・・好きだぜ。最初のバレンタインよりずっと前から、な。」 囁いた自分の声があまりにも甘ったるくて、照れ隠しに塞いだ望美の唇は。 ―― あの日のチロルチョコより、甘かった 〜 終 〜 |