「私は、知盛が好きだったよ。」

淡く囁かれた言葉は、銀の耳を掠めて春の風に溶けた。














明日への扉















「神子・・様?」

すっかり冬の気配が遠のき、春の匂いが満ちる野に恐ろしく不釣り合いな固い銀の声が零れる。

それが耳に届いたのか、縫い止められた視線の先にいた少女が紫紺の髪を揺らして振り返った。

春風に揺られる長い髪を耳元で押さえ、銀の二歩ほど先で少女、龍神の神子と呼ばれる望美は困ったような微笑みを浮かべる。

冬のそれよりも幾分輝きを増した太陽の光に縁取られた今まで見たことのない望美の表情に、銀は目を奪われる。

―― 否、今に限ったことではなく、いつでも銀は望美に目を奪われていた。

泰衡の命で吉野まで龍神の神子と八葉を迎えに行って出会った、あの時から・・・・あるいは初めて望美を「十六夜」と呼んだ時からかもしれない。

望美が目に入るところにいればいつでも、その姿を目に映しておきたかった。

それほどに銀にとって愛しくて愛しくてしょうがない存在、それが望美で、望美自身もその事を知っているはずだ。

なのに先ほどの言葉は。

「神子様・・・・」

なんとか声が震えることは押さえることが出来たが、それ以上言葉が出ず銀は黙り込む。

その様子を見て望美は申し訳なさそうに眉を寄せた。

「やっぱり、驚かせちゃった?」

「驚くともうしますか・・・・」

望美の真意がつかめない。

銀の想いの拒絶にしてはあまりにも柔らかすぎる。

ただじっと不安と困惑の表情で見つめるしかできない銀を、望美は真っ直ぐに見つめた。

「ごめんね。でも銀には話しておかなくちゃいけないと思ったから。
・・・・話して、知ってもらってから選んでくれないといけないから。」

「選ぶ?」

一段小さくなった呟きを聞き逃さず問いかけてきた銀に答える事はせずに、望美はゆっくりと野原を見回した。

咲き始めたばかりの小さな春の花がそこかしこに見える。

望美は深く息を吸うと再び銀に視線を合わせた。

「ねえ、銀。神子ってどういうものだと思う?」

「はい?」

「神子。あ、私って意味じゃなくて一般的な意味で。」

「そうですね・・・・」

問いの意味がつかめず、けれど望美の問いかけを無碍に出来ない銀は僅か考え込んで答えを口に乗せた。

「正しい事を成す神の使いでしょうか。」

「正しいこと・・・・うん、たぶんそうなんだと思う。でもね」

言葉を切って望美は銀から視線だけ外した。

そして奇妙に静かな声で告げる。

「私は違う。」

「?そんな事は」

ありません、と続けようとした銀の言葉は半ばで止まった。

ふいに戻された望美の視線があまりにも寂しそうに微笑んでいたから。

「・・・・違うの。私は間違えてばっかりだった。
初めて銀にあった時、私は貴方を知盛だと思った。今、考えれば全然違うのに、ね。
たぶん、私は知盛を斬ったばかりで・・・・ただ彼に会いたくて、それを銀に重ねたの。」

ずきっと、胸が痛む。

遠い瞳で語る望美の口を直ぐにでも塞いでしまいたくなる衝動を、銀は飲み込んだ。

聞かなければならない話なのだ、望美の隣にいるためには。

「少しでも銀の中に知盛を見つけようとして、必死だった。あの人は死んでなかったんだ、ここにいるんだって・・・・。
銀をみていなかった。だから」

すう、と望美が息を吸う音が聞こえた気がした。

銀を通り越して遠くの『誰か』を見ている視線が、辛そうに歪んで、唇が言葉を刻む。

「だから・・・・『銀』を失ってしまったの。」

「神子・・・様・・?」

言われた意味がよく理解できずに聞き返す銀に対し、急に望美は視線をふせた。

そして感情を押し殺したような理知的な声で告げる。

「文字通り、銀を私は失ってしまったの。その事があまりにも辛くて、悲しくて・・・・その時に初めて気がついた。
いつの間にか私が見ていたのは、銀の中の知盛じゃなくて、銀自身だったんだって。
でもその時はもう、遅すぎた。
・・・・だから、逆鱗の力を使って運命を戻ったの。銀を取り戻すために。そうして、そこから貴方の知ってる私になった。」

そこまで言って、望美は小さく息を吐いた。

そしてゆっくり目線を上げる。

その視線は、今の銀を真っ直ぐに見つめていた。

「驚いた?」

問われて、銀は是とも否とも答えられなかった。

望美が不思議な力を持っていた事はわかっていた。

時空を越えることが出来たとも聴いたことはあったし、今、望美から打ち明けられた事も自分の記憶にある限りの中では納得のいくことばかりだ。

けれど驚いてもいた。

(神子様がおっしゃる事は真実。だとするなら神子様は・・・・)

言葉がでない銀の沈黙をどう受け止めたのか、望美は不安そうに表情をゆるがせ、けれど直ぐに苦笑に近い表情を作って言った。

「ね?言ったでしょ?私は銀が言うみたいに綺麗でも、正しくもないんだよ。だから軽蔑してもいい・・・・」

「そんな事はあり得ません!」

弾かれたように銀が叫んだ声に、望美はびくっと震えた。

思いの外大きな声が出てしまった事に自分でもびっくりしながら、それでも銀は謝罪より先に言葉を続ける。

「誤解をなさらないでください。私が黙ってしまったのは、貴女が思われるような理由からではありません。ただ、驚いたのです。
貴女がおっしゃる通りだとするなら、貴女は・・・・私の為に時空を戻って下さった事になる。」

「え?」

そういう言葉は想定していなかったのだろう。

望美はきょとんとした表情で首を縦に振る。

その事に、どれほど銀が意味を感じているか、理解していないまま。

「貴女は、私のために、運命を繰り返して下さったということになります。」

少し言い方を変えたけれど、それでも望美はぴんとこないように首をかしげている。

いっそ無邪気にさえ見えるその仕草に、銀は自身を落ち着けるように息を吐いた。

そうして、言葉を紡いだ。














「私に再び出会うまで辛いことも悲しいこともあったでしょうに、その全てをもう一度繰り返して下さったという事ですか?・・・・私のために。」














「え・・・・」

銀に言葉に瞠目する望美を、銀はじっと見つめた。

望美は知盛を銀に重ねた、と言った。

けれど、それほどに心惹かれた知盛を再び手にかけても銀と出会う運命を望美が選んでくれたのだと。

望美の言葉の持つ意味が銀のとらえたとおりであったなら。

自然と真っ直ぐに銀の腕が望美を引き寄せる。

胸のぶつかるように飛び込んできた望美の紫苑色の髪が風に舞う。

その全てが、春日望美という存在の全てが愛おしくてたまらず銀の腕に力が籠もる。

「神子様、神子様・・・・望美、様。」

「しろ・・がね・・・・・?」

戸惑うような望美の声を聞きながら、銀は望美の髪に頬を寄せた。

銀の腕にすっぽり入ってしまうこの小さな少女が、どれほど手を血に染めて過酷な運命を切り開いて銀の元へ来てくれたのだろう。

「貴女こそ、私を軽蔑なさるかもしれません。」

「え?」

意外な言葉に望美が銀の腕の中で顔を上げる。

その瞳を捉えて銀は笑った。

それは、彼独特の穏やかな微笑みではなくまるで泣きそうにさえ見える笑みで。

「私は・・・・貴女が兄を手にかけたという事よりも、それほどの想いをしてまで私を求めて下さった事に喜びを感じているのですから。」

「銀・・・・」

望美の顔が歪む ―― 切なさに、喜びに。

そして手を伸ばして銀の頬に望美は銀を抱きしめる。

「銀、一度だけ謝らせて。」

反射的に否定しようとして、銀は思いとどまった。

これは望美にとっての区切りなのだろう。

「はい。」

「私は貴方の大事な物を、全部奪った。・・・・ごめんなさいっ!」

涙に詰まった声に溜まらず銀はそっと身体をはなし、望美の顔を覗き込む。

その頬に、あの幽閉されていた時でさえ零れていなかった大粒の涙が伝っていた。

それをゆっくりと、銀は唇ですくい取る。

はっとしたように望美が目を見開くのを間近で見ながら、銀は望美の頬を両手で包んだ。

そうしておいて、真っ直ぐに向かいあう。

「望美様、貴女は私の全てを奪ったとおっしゃいました。
・・・・けれど、全てを与えて下さったのも貴女です。」

優しく柔らかく、けれど真実を語る声に望美の瞳から新たな涙がこぼれ落ちる。

それをまた唇ですくって、今度は目尻に、瞼に、額に、口付けて。

「望美様。」

「・・・・銀。あのね・・・・私、銀が好きなの。」

「はい。」

「だから、全部知って欲しかったし・・・・それでも私を選んでくれるか不安でしょうがなかった・・!」

「はい。」

答えながら銀は望美に口付けをする。

言葉には出来ないほどの想いを伝えるかのように。

「銀。」

「はい、望美様。」

「全部知っても・・・・私と生きてくれる?」

不安を残す望美の瞳を見返して、銀はゆっくりと微笑んだ。

「はい。貴女の切り開いてきた運命を共に進ませてください。
・・・・愛しています、望美様。」

春の風に望美の髪が舞い、銀に望美の香を届ける。

愛おしいその存在を確かめるかのように、銀は望美を、望美は銀を見つめ、そっと唇を重ねた。

















―― 過酷な運命を駆け抜けてきた二人が未来へと踏み出す口付けに、まるで祝福のように花びらが舞い暖かな陽ざしが降り注いだ。





















                                           〜 終 〜











― あとがき ―
ありがちなネタと思って書き始めたのに、超難産でした(><)
ちょっと語りすぎた感じで申し訳ありません。
タイトルはI Wishの曲から頂きました。