愛情料理の罠



京の五条の夕暮れ時。

一日働いていた人たちが家路につく時間帯で通りはにぎやかだ。

そんな街の一角で今日のかせぎはどうだったとか、最近は野菜のできが良くなったとか夕食の支度をしながら井戸端会議をしている女将さん達が、ふと口をつぐんだ。

「ねえ、今日は遅くないかい?」

「そうねえ。いつもならそろそろ聞こえてもいい頃なんだけど・・・・」

「今日は上手くいったのかね?それならいい」

んだけど、と続けようとした女将さんの言葉はいつもよりは遅かった、いつもの声にかき消された。

「ああーーっ!!焦げたーーーーーーっ!!」

悲壮、というか心底悔しそうな悲鳴に女将さん達は顔を見合わせてくすくすと笑いあう。

「望美ちゃん、相変わらず苦戦してるねえ。」

「弁慶先生も大変だ。」

「おや、そうかい?望美ちゃんの作ったものなら例え泥団子だって弁慶先生はおいしそうに食べそうだけど。」

「ああ、そうだね。なんたってべた惚れだからねえ。弁慶先生は。」

「羨ましい話だこと。うちの旦那もそれくらいしてほしいもんさ。ちっちゃな焦げくらいでガタガタ言うんだからうちの旦那は。」

「あんたが望美ちゃんみたいに可愛くなれるかい!」

「ちがいない。」

けらけらと笑いながら各自洗っていた野菜やら米やら持って女将さん達は、今日も失敗してしまった新米奥さんを心の底で応援しつつ楽しそうに家へ帰っていった。















で、夕食時。

おこげのレベルを遙かに超えて炊き上がったご飯を前に、笑顔の弁慶と不機嫌絶好調の望美が向かい合っていた。

「いただきます。」

「いただきます・・・・」

二人で手を合わせて望美は恐る恐る一口。

じゃり

(なんでご飯がじゃりっていうのよ・・・・)

あまりにも素晴らしいだめっぷりに望美はがっくりと肩を落としてしまった。

弁慶と一緒に暮らすようになってそろそろ一月たつが、今のところまともなご飯は出た試しがない。

そもそもあまり家庭科の成績はよかったとは言えない方の望美である。

加えて調理器具が竈中心となれば、苦戦するのは当たり前。

だから望美としては本当はちゃんと煮炊きを教わってから、弁慶との暮らしを始めたかったのだ。

それなのにそれを聞いた弁慶はにっこり笑って一言の賜って下さったのだ。

『貴女の気持ちは嬉しいですが、僕が我慢できそうにありません。』

と。

「やっぱりちゃんとお料理教わってくればよかったなあ。」

じゃりっといおうが食べられないこともないなら食べるしかない、状態のご飯を口に運びながら望美は思わずぼやいてしまった。

それを聞いて弁慶がくすっと笑う。

「我慢できない、なんて勝手を言ってしまってすみません。」

「それは、その、いいんだけど・・・・でも弁慶さんだってここ一月、まともなご飯食べてないでしょ?辛くない?」

実のところ望美が一番心配しているのはそれだった。

(弁慶さんはどんなに失敗したのでも嫌な顔せず食べてくれるけど、本当はおいしい物の方が良いに決まってるし、それで嫌われたら嫌だし・・・・)

そんな望美の心中をよそに弁慶は至って自然に首を振る。

「辛いわけありません。それに君は少しづつ上手くなっていますよ。」

「そんなことないよ。」

「いえ。だって今日もご飯は確かに少し香ばしいですが、汁物はちょうど良い塩加減でおいしいです。」

「そう、ですか?」

「はい。」

(うう、弁慶さんってば褒めるの上手すぎ。)

望美が弁慶にかなわないと思うのはこういう時だ。

弁慶はちゃんと望美が頑張って進歩しているところを見つけてくれる。

そうして望美が落ち込むと、ちゃんと教えてくれるのだ。

(これって年上だからとかじゃないよね。やっぱり女性の扱いが上手いんだよ、根本的に。)

そう考えるとなんだか複雑な望美である。

それはともかく、いくらフォローが上手いといっても今日のご飯の出来具合を「少し香ばしい」と表現するのはさすがに苦しい。

「やっぱり、もう少し上手くなりたい。だって弁慶さんにこんなご飯ばっかりしか食べさせられないなんて、私が嫌なんです。」

じゃりじゃりとご飯をなんとか噛みながら眉間に皺を寄せて言うと、弁慶が驚いたようにちょっと目を見張る。

継いで、溶けるように淡く微笑んだ。

その笑みに望美の胸がどきっと跳ねる。

それは最近になってやっと望美が知ることが出来た、いつも穏やかな微笑みをたたえている弁慶の本当の笑顔だったから。

すっかり目を奪われそうになって望美は慌てて汁物を飲んで誤魔化した。

「えーっと、でも、このままじゃ進歩も少ないしいっそ誰かに教わろうかな。」

「誰かにですか?」

「うん。でも、誰に教わったらいいのかなあ。さすがに料理は景時さんに教わるわけにはいかないし・・・・」

「・・・・え?」

弁慶の返事に一拍の間があった事に気付かず望美はあれ、言ってませんでしたっけ、と首をかしげた。

「洗濯ものの仕方は景時さんに教わったんですよ。最初、どうしたらいいのかわからなかったから洗濯物抱えて梶原のお屋敷まで乗り込んじゃって。」

その時の状況を思い出したせいか、照れ笑いのように笑う望美とは反対に弁慶は複雑な表情になる。

「?どうかしたんですか?」

「・・・・朔殿のところへ行っていると思っていたんですけど、景時がこっちに来ていたとは・・・・」

「え?何?」

「何でもありません。それより、望美さん。」

にっこり、と音がしそうな程完璧に微笑まれて望美は一瞬怯む。

(こ、この笑い方って・・・・)

しかし望美が何か言うより先に弁慶が口を開いた。

「料理なら僕が教えてあげます。」

「え?弁慶さんが?」

「ええ。僕は荒っぽい生活もしていましたし、少しぐらいはできるんですよ。謙君ほどは上手くないでしょうけれどね。」

「でも、弁慶さんは忙しいでしょ?」

「かまいません。望美さんの事が僕にとっては最重要ですから。それに・・・・」

すさまじい事をさらりと言って弁慶は片手をはい、とばかりに差し出した。

「?」

弁慶の意図はよくわからないが、なんとなく望美はその手に握手するように手を乗せてしまった。

次の瞬間、しまったと思ったがすでに時遅し。

弁慶はしっかり掴んで引き寄せた彼女の右手に、真新しい火傷の跡を見つけて眉をひそめる。

「あ、あの、えーっと、その・・・・!?」

隠していたのを誤魔化したくて何か言葉を言おうとした望美の試みは、見事不発に終わった。

弁慶が望美の手の火傷の跡にそっと唇を落としたから。

反射的に引こうとした手をしっかり押さえて、弁慶は真剣な表情で望美を見つめて言った。

「我慢強いのは美徳ですが、君は度が過ぎるんです。だから僕は心配でしかたない。小さな傷でもすぐに気がついて治してあげたいんです。ですから、料理は僕が君に教えます。」

「け、決定事項なの?」

「はい。」

(はいって・・・・)

きっぱりと宣言されてしまって、望美は思わずため息をついた。

(弁慶さんって変なところ、強引なんだから。押しが強いというのとはまた違うけど、強引で勝手・・・・)

「・・・・そんなのわかってた事だっけ。」

「何ですか?」

「なんでもないです。」

思わず零れた心の声を誤魔化して、望美は覚悟を決めた。

本当は自力で上手くなって驚かせてあげたいところだったが、好きな人の健康状態を考えるにこのままのペースではまずい。

結局のところ、望美にとっても弁慶は最重要事項なのだから。

「じゃあ、よろしくお願いします。弁慶さん。」

「はい。承知しました。」

どことなし嬉しそうに笑った弁慶がとても素敵で、どきっと望美の胸が高鳴る。

赤くなってしまうのを見られないように、慌てて手をほどいて謎のじゃりじゃりご飯による夕食を再開した望美は、小さな弁慶の呟きを聞き漏らしてしまった。

「・・・・景時にはもう少し牽制しておく必要がありますね・・・・」

くすっ。

―― 微笑んだその顔は、軍師のそれだった。
















で、その後、五条の夕暮れ時の若奥様の悲鳴が聞こえなくなったかというと・・・・

「・・・・そろそろだね。」

「まだじゃないのかい?」

「いいや、そろそろ・・・・」

「何するんですかーーーーー!弁慶さんーーーーーーーー!!」

「ほうら、きた。」

「先生も懲りないねえ。」

・・・・内容が変わっただけで、やっぱり井戸端会議の主婦達の楽しみになっているのでありました。
















                                               〜 終 〜















― あとがき ―
・・・・何したんでしょう、弁慶さん(笑)
本当はこの話、弁慶視点でほのぼの嫉妬話になるはずだったのに、書いているうちに景時に嫉妬した弁慶さんがプチ黒になってしまいました。
脳みそ溶けてるような創作ですんません(^^;)