Light



(まったくどこへ行ったのだ?)

翡翠色の髪を耳の後ろに結い上げた美貌の青年、安倍泰継は早足で京の街を歩いていた。

その表情は彼を苦手とする安倍家の見習い陰陽士たちが見たら後ろも見ずに逃げ出すであろうほど不機嫌全開だ。

いや、本当は彼の心の中は不機嫌というよりも己への叱責で満ちているのだが。

(もう少し私が早く訪れていれば・・・・)

泰継は小さく舌打ちした。

(神子・・・・)

泰継は心の内を目一杯制圧しているお日様の色の髪を持つ少女を想って小さく溜め息をついた。










「神子様がいらっしゃらないんです!」

そう言って紫姫が八葉の待つ間に飛び込んできたのは数刻前の事だった。

その場にいた八葉は全員目を丸くする。

「花梨がいないってどういう事だよ?」

「言葉の通りです!皆様がお越し下さっていることをお知らせしようとお部屋へ行きましたら神子様が、神子様が・・・・」

「部屋にいなかった、という事だね。」

翡翠の言葉に紫姫は目に涙を溜めたまま大きく頷いた。

「ちょ、ちょっと待てよ。それって大変な事じゃねえか?」

にわかに事態の重大さを理解したらしいイサトが声をあげる。

「そうですわ!いまだ京の怨霊は封印しきれていないのですよ?!何かあったら・・・」

紫姫の言葉に泰継は心臓が掴みあげられるような感覚を覚えて反射的に胸を押さえた。

「泰継殿?」

泰継の様子に気がついた泉水が聞いてくる。

「いや、なんでもない。神子を探しに行かなくては。」

「そうだね。朝餉の時はいたのだろう?ではさほど遠くまでは行っていないだろう。私は石原の里の方を探すことにするよ。」

翡翠が立ち上がったのを皮切りに全員が紫姫の館を出た。










そういうわけで、この数刻ひたすら花梨の姿を求めて彷徨っている泰継なのである。

しかしどこを探しても花梨の姿は見あたらず、時がたつほどに焦りが募るばかり。

(こんな時、先代であったなら気を探る事で神子を簡単に見つけたであろうに!)

こんなところでも自分の力の足り無さを痛感する。

先代の地の玄武であった泰明と同じ力を自分がもっていたならば、とそればかりが頭を過ぎる。

・・・・でも・・・・

『泰継さんは、泰継さんだよ!』

今も鮮明に思い出せる言葉に明かりが灯ったように心が温かくなる。

花梨がそう言ってくれたのは数日前の事だった。

僅かな穢れを感じて花梨を守るために糺の森まで行った時、己と先代を比べ不甲斐なさを吐き捨てる泰継に花梨はあっさりそう言ってのけたのだ。

今まで誰も言ってはくれなかった・・・・おそらく一番泰継が欲しかった言葉を。

(しかし神子、私はこれほどに役にたたぬ・・・・)

心配でしかたがないのに、彼女の姿を見いだすどころか気の端でさえみつけられない。

「神子・・・・」

泰継がもどかしさを滲ませて呟いた、その時








――・・・・泰継さん・・・・――








「?!」

弾かれるように首を巡らすが、周りに求める姿はない。

「空耳か・・・?」

――・・・・泰継さん・・・・――

(いや、気のせいではない!)

自分の近くではない、どこかから呼びかけてくる彼女の声。

(どこだ?どこに・・・・!)

心の中を過ぎった風景に泰継ははっとして、走り出した。










「神子!」

泰継の声が樹木の間を木霊する。

花梨の声が聞こえた時、頭をよぎったこの場所・・・・糺の森を泰継は早足に彼女の姿を求め歩いていた。

「神子!どこにいる?」

「・・・・・ぐさん・・・・・」

「?!神子?」

やけに小さな声を拾って泰継は周りを見回す。

・・・・が、やはり花梨の姿はない。

「ここではないのか・・・・」

落胆したように泰継が呟いてきびすを返そうとした時、今度ははっきりと声が降ってきた。

「泰継さん!!ここです!上!」

(上?)

まったく深く考えずにひょいっと首を上に向けて、泰継はぎょっとするはめになった。

先刻から必死に探していた姿は、確かにあった・・・・かなり高い木の上に。

「神子!!なぜそのようなところに!」

「え?なんですか?」

「だからなぜそんな所にいるのだ?!」

「う〜ん、聞こえないんですけど。」

どうやらあまりに高いところにいるせいで下からの声は届かないらしく、小首を傾げる花梨に泰継は毒気を抜かれて溜め息をついた。

「まったく呑気な・・・・」

「?何か言いました?」

「なんでもない。今そこへ上がる。大人しくしていろ。」

そう言ってともすれば下をのぞき込みそうな花梨に釘をさしておいて泰継は力強く地を蹴った。

ザッ!

常人であれば下から登って行かなくてはならない高さを、泰継は地面と中間の枝の2度足を着くだけで花梨の座る枝の一本下まで登りついた。

「はい、お疲れさま。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

呑気な笑顔と共にかけられた言葉で泰継は脱力して花梨が座った枝に頭を伏せた。

「お前は神子という自覚があるのか?1人で出かけて、こんな所に登って何かあったらどうするつもりだったのだ?」

そう、もし自分がいないときに花梨が1人で怪我でもしたら、それを考えるとぞっとする。

しかしそんな泰継に花梨は驚くほど素直に頷いた。

「うん、あんまりないかもしれないです。」

「何?」

泰継は思いっ切り眉をひそめた。

しかし花梨は気にした様子もなく、目線を木の葉ごしに見える京の街に移して続けた。

「私、本当にこの京を救いたくて龍神の神子をやってるのかわかりません。わかっているのは京を救えば自分も元の世界へ帰れるかも知れないって事と、こっちに来てから優しくしてくれた人達に悲しそうな顔をしていてほしくなかった。
だから私は龍神の神子やってるんです。」

「神子・・・・?」

「そんな風に思っているから私の力は弱くて、みんなに迷惑をかけちゃったのかもしれない。」

「神子!そんなことは・・・・」

激しく花梨の言葉を遮ろうとした泰継の口は花梨の小さな手で押さえられてしまった。

「だから私は半端な神子なんです。」

きっぱりと断言して花梨は笑顔と共に言った。








「半端な神子と、半端な八葉。それで釣り合い取れませんか?」








泰継は言葉を失った。

先代の八葉に及ばないと、自分を半端な八葉だと称していたのは自分。

懸命に怨霊を封印し、京の気を整えようとしている花梨の助けにならない自分が不甲斐なくて何度もそう考えた。

しかしそれを花梨がこんな形で言うとは思ってもみなかった。

・・・・そして同時に悟る。

彼女がこんな行動をしたのは自分のためであることを。

「神子、お前は半端などではないぞ?」

おそらく頷くまいと思っていて一応否定してみる。

「そんなことないです!私は立派な半端神子です!」

思った通り力一杯矛盾だらけな答えをしてくれる花梨を見て、泰継は小さく吹き出した。

「まったく・・・・お前は・・・・」

この神子ときたらいつでも予想外で、出会ってから何度驚かされたかしれない。

しかしそれがとても心地良い。

(・・・・貴方もそうだったのか?先代。)

おそらく神子のために人になったであろう、先代。

彼も彼の神子に驚かされ、惹かれたのだろうか・・・・。

そう考えると、今までけして手が届かない至高の存在だった泰明がひどく身近に感じられて泰継は苦笑した。

「神子。」

「はい?」

まだ何か言うのだろうかと身構える花梨に笑いかけて泰継は言った。

「ありがとう。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・(///)」

「どうしたのだ?顔が赤いが。」

「な、なんでもないです。」

慌てて頷く花梨に泰継は少し訝しげに首を傾げたものの、すぐひょいと花梨を抱え上げた。

「な、泰継さん?!」

「なんだ?」

「なんだって・・・・・」

「ここから降りるのだろう?お前が降りてくるのを待っていたら日が暮れてしまう。」

「あ、う〜・・・・お願いします・・・・」

大人しくなった花梨をしっかり抱えて泰継は枝を蹴った。

「きゃああああーーーーー!!」

「・・・・・・・・・神子、うるさい・・・・・・・・・・」

そうは言うものの耳元で叫ばれる不快感以上に花梨がぎゅっとしがみついてくるのが嬉しくて口元が緩んでしまう。

だから地面について花梨を降ろした時、腕の中から消えてしまった温もりを追って彼女の手を掴んでしまったのはしかたない事、と心の中で結論付ける。

「泰継さん、あの手・・・・」

「神子が逃げないようにしているだけだ。何か不具合でも?」

ちらっと振り向きながら言われた言葉にわずかだがからかうような響きがあることに気がついて、花梨はむ〜っと黙る。

そしてきゅっと泰継の手を自分から握り直すと、小走りに泰継を追い越して前から覗き込むように言った。

「『呑気な』神子ですみません。」

「!神子、あの時下からの声が聞こえていたのか?」

途端に立場が逆転して、ばつの悪そうな顔になった泰継に花梨はくすくす笑った。

「どうでしょうね?さあ、帰りましょ!帰って紫姫に謝らなくちゃ。
・・・・それからちゃんと私の呼びかけに気付いてくれて、ありがとうございます。」

ほんの少し照れくさそうに笑って先に立って歩き出す花梨。

その後ろ姿に泰継は目を細めた。

この存在が、たった1人のこの少女が自分にとってのたった1つの明かり。

それは戸惑ってしまうほど優しくて、明るくてずっと自分だけを照らしていて欲しいと願わずにはいられないほど、愛おしい。

(ずっと、などとは言わぬ。)

それは大それた願いすぎるから。

でも今しばらく彼女がこの世界にいる間くらいその光を望んでもいいだろうか。

・・・・きっと彼女はそれを叶えてくれるだろう。

彼女の名を呼べば ――








「・・・・花梨」

「はい?・・・・ってええ??」








―― 彼女は何より輝くその笑顔で、答えてくれるから・・・・・













                                                    〜 終 〜