不意打ち



春を先駆けるような暖かい陽射しが射す2月のある日。

神護寺の階段を楽しげに駆け上がっていく2人の人影があった。

ほんの少し前まで龍神の神子と呼ばれていた少女、花梨と天の朱雀、イサトである。

「イサトくん、早く早く!」

「そんなにあわてっと転ぶぞ、花梨!」

2、3段上で軽やかに振り返ると花梨は笑った。

「大丈夫だよ。イサトくんは心配性なんだから。」

その言葉にイサトは小さく溜め息をついた。

(まったく、俺の気も知らねえで。)

仮に花梨が転んでしまったとしても、受け止める自信は十分にある。

だから彼女の自由にさせてもいいといえばいいのだが・・・・

(受け止めたら・・・・)

花梨の体温をそんなに近くに感じてしまったら・・・・

イサトはさっきより大きく溜め息をついた。








イサトの心を最近占領してちっとも消えようとしない感情がある。

それは、京を救った時イサトの願いを聞いてこの世界に留まってくれた少女を前にすると押さえきれなくなるもの。

―― 花梨を抱きしめて、口付けたい・・・・

頭の中に響いた願望を振り払うようにイサトは頭を振った。

(だめだ。あいつを傷つけたくない。)

花梨が自分の気持ちを受け入れてくれているのは知っている。

でもきっと彼女が思っているより自分の中の想いは大きいから、それを激情のままにぶつけて花梨を戸惑わせたくなかった。

だから花梨がこちらに残ってくれた後も2人の関係は以前のままだ。

それでも不意打ちで花梨に笑顔を向けられたりすると、危なく手を伸ばしそうになる。

(それを押さえんのは結構大変なんだぜ?)

そんなイサトの心の苦情を知る由もなく花梨は惜しみなく最高の笑顔を振りまいてくれる。

今日だって花梨に会いに行ったイサトに満面の笑みを浮かべて神護寺の緋寒桜が満開だから見に行こうと誘われた時には、危うく抱きしめてしまう所だった。

(そのへん、わかってんのかよ?)

こっそり前を行く花梨の背中にそんな言葉をぶつけてみるが、もちろん花梨が気付くはずもない。

(まあ、そういうとこも・・・・可愛いんだけどな。)

鈍感で、前向きで、明るくて・・・・きっとあげつらったらきりがない。

それだけ惚れ込んでいるということも自覚しているし。

幼なじみの勝真には「まだ何もしてないのかよ?!」と驚かれたが。

でも彼女はきっと消えないから、だからゆっくり行けばいい。

そう言い聞かせているもののやっぱり・・・・

(・・・・口付けしたいよな・・・・)








「どうかしたの?」

「うわっ?!」

いつの間にか考えに没頭していたらしいイサトは自分を覗き込む視線にぎょっとして飛び退いてしまった。

ちょうど目の前に花梨の深緑の瞳があったから。

「な、な、なんだよ?」

「そんなに驚かなくても・・・・だってイサトくん、さっきからいくら話しかけても返事してくれないから、どうかしたのかなって。」

過剰な反応をされたことをどういう意味に受け取ったのか、不満そうに言う花梨の顔からイサトは目を反らせた。

ばくばくいう心臓をなんとか押さえようとするものの、一向に上手くいかない。

衝動が手にまで伝わって、イサトは慌てて手を握る。

(もう、我慢も限界かもしれねえ。)

イサトが体に溜まった熱を放出するように息をはいた、その時 ――





荷葉の香が鼻を掠めて・・・・ふわっと羽根のように柔らかい何かが額に触れた。





「?!」

ばっと顔を上げたイサトの瞳に映ったのは、頬を赤くしている花梨の笑顔。

「えーっと、おまじない。元気なかったみたいだから、ね。」

ぽかんっとその笑顔をイサトは見上げる。

花梨の薄紅の唇が触れた額が熱い。

(・・・・まったく、かなわないよな。)

イサトは額を押さえて苦笑した。

ふと、ぱっと花梨の顔が輝いた。

「ねえ、イサトくん!こうしてると私とイサトくんの目線が一緒だ!」

嬉しそうにはしゃぐ花梨はイサトより1段上にたっていて、確かに自分の緋色の瞳と深緑の瞳は真っ直ぐにぶつかる。

「そーだな・・・・」

生返事を返して、イサトはちょうど目の前にある白い頬に指を滑らす。

「お前にもおまじない、してやるよ。」

「え?だって私はべつに・・・・」

きょとんっとした花梨の唇をすばやくついばんでみる。

触れてしまえば、あれほど悩んだのがバカみたいに優しい口付けをしていて。

さっきに輪をかけて真っ赤になっている花梨に、イサトは笑って言った。

「鈍感が治るおまじないだよ。」












                                      〜 終 〜