例えば『恋人』とか、『兄妹』とか、『親友』とか。 そんな名前に当てはめるのはちょっと難しい。 私と 俺の ―― さて、なんて名付けようか? 絆 〜 名前のないモノ 〜 今日も今日とて、龍神の神子様は元気がいい。 「勝真さーーん!翡翠さーーん!遅いです!」 「というか、お前が早いんだろーが!」 「やれやれ、若いねえ。」 神護寺の前の石段を駆け上がっていく花梨に数メートル遅れで追いかける勝真と翡翠はため息をつくように言って苦笑する。 むっとしたように花梨は振り返ると腰に手を当てて言い返した。 「だって二人とも全然疲れてないじゃないですか。」 花梨の言葉通り二人は息も切らせていない。 さすがは武官と海賊と言うべきか。 そうこう言っているうちに同じ段まで上がってきた勝真にぐしゃっと頭を撫でられる。 「お前は無駄に元気すぎるんだ。少しは大人しくしてろ。」 「ぐっ。ほっといてくださいよ。」 「まあまあ、それぐらいにしたまえ。それより神子殿、神護寺の方が随分にぎやかなようだが。」 「え?」 翡翠に言われて残った階段の上にある山門を見上げてみれば、確かにいつもは人気も少ないはずなのに何人か人がいるのが見えた。 姿を見るにちゃんとした貴族かなにかの侍従のように見える。 「あれ、何かあるのかな?」 「ちょっと待ってろ。聞いてきてやる。」 そう言って数段上がったところで勝真は思い出したように振り返って言った。 「おい、翡翠。そいつがどっかいかないようにちゃんと捕まえといてくれよ?」 「なっ!子どもじゃないんですから!」 「馬鹿、心配してんだ。大人しくしてんだぞ。」 「はーい。」 不満げにしながらもちゃんと返事をする花梨にため息をつきつつ、勝真はさっさと残りの数段を上がりきって山門の中へ消えていった。 それを見送ってふと、花梨はもう一人の同行者を振り返って眉を寄せた。 「何でそんな顔で見てるんですか?」 不満げに言われて翡翠は今まで浮かべていた微笑を本格的な笑いへ変えた。 「いやいや、仲が良いことだと思ってね。」 「・・・・からかってるでしょ?」 「本当にそう思っただけだよ。君と勝真は仲が良い。これは皆の共通認識だと思うがね。」 問いかけるように言われて花梨は少し考え込むような仕草をした。 その仕草に翡翠は少し驚いた。 「自分ではそうだと思っていないのかい?」 「うーん、いえ、思ってます。でもなんだか翡翠さんの言ってる感じとはちょっと違う気がして・・・・」 「違う、というと?」 「翡翠さん、さっきの『仲がいい』っていうのに特別な意味を込めたでしょ?」 「確かに匂わせたかも知れないね。それが違うのかい?」 「好きな人とか、想い人とかいう意味なら違います。」 きっぱりと言われて翡翠はますます意外に思う。 確かに勝真と花梨のじゃれ合いには恋人予備軍のような甘さはない。 しかしそんな仕草の裏には甘い気持ちがある・・・・と、そう読んでいたのだが。 「意外だね。では君は勝真の事をどう思っているんだい?」 そう聞いたのは純粋に興味だった。 男女の間に好き嫌い以外の感情が成り立つのか、恋愛感情の遊技に慣れた翡翠にしてみればあり得ない事に思えたから。 問われた花梨の方はしばし考え・・・・ 「好きな人未満、友達以上、家族擬き、の凄く頼れる人・・・・かな。」 真剣に返された答えに翡翠は吹き出した。 「随分と複雑だねえ。」 「うー・・・・笑われるのはしゃくですけど、確かにそうです。」 怒りたいような笑いたいような微妙な表情でいまだに笑い続ける翡翠を花梨はにらみつける。 「だってしょうがないじゃないですか。本当にそう思ってるんですから。」 「ふーん?」 「勝真さんって、凄く頼れると思うんです。それは絶対。でも好きな人っていうほどは思ってなくて・・・・まだ。どっちかというとお兄ちゃんみたいな感じだけど、本当のお兄ちゃんはきっとこんなに優しくないんだろうなって思うわけで・・・・」 「それを総じて言うと『好きな人未満、友達以上、家族擬きの凄く頼れる人』なわけだ。」 「そうです。」 「それは勝真には気の毒な事だ。」 「―― そうでもないぜ。」 ふいに割り込んできた第三者の声にびっくりして花梨が振り返ろうとする前に、がしっと頭を押さえられてそれを阻止される。 「勝真さん!?」 「おう。翡翠、どっかいかないように見ていろとは言ったが、悩ませろとは言ってないぜ?」 「それは失礼した。姫君が少しばかり無邪気でいらっしゃるから、思わず悪戯心が働いてしまったよ。」 くっくっと喉を鳴らす翡翠を呆れたような目で見て勝真は言った。 「質が悪いんだよ、あんたの悪戯心ってやつは。」 「そうかい?君としては面白い評価を聞けたんじゃないかと思うがね。」 「あのなあ、翡翠。」 溜息をつくようにそう言うと、勝真は押さえていた花梨の頭を例によって甘さもない仕草で思いっきり自分の方に引く。 そしてバランスを崩して自分の胸の中に背中から転がり込んできた花梨の耳をふさぐように腕を回して抱きしめると、その頭越しに翡翠を見てにっと笑った。 「『好きな人未満、友達以上、家族擬きの凄く頼れる人』、結構な評価じゃないか。つまり俺はどう転んでもこいつにとっては特別な奴ってことさ。」 「!・・・・なるほどね。」 (・・・・面白い) つまり勝真は綱渡りをしているわけだ。 花梨の張った『どんな名前もつけられない特別という名の絆』の上を。 どこに転がるのかわからない、アブナイ綱渡りを。 地上では何人もの恋敵達が彼が転がり落ちるのを待っているという状況で。 「面白いね。」 「まあな。」 思わず零れた本音に好戦的に笑って、勝真は花梨を捕まえている腕をゆるめた。 同時に花梨が転がり出して勝真にくってかかる。 「勝真さん!苦しいじゃないですか!!」 「ああ、悪かったよ。さて行くぜ。今日は神護寺で蹴鞠をする会があるとかで人が多いんだそうだから、力の具現をするにはちょうどいいんじゃないか?」 「蹴鞠!」 あの雅なスポーツがいたくお気に召しているらしい花梨はぱっと顔を輝かせる。 「今日こそは全員降参させてあの麿をぎゃふんと言わせてやるんだから!行きますよ!勝真さん!翡翠さん!」 目に見えて闘志を漲らせた花梨が勢いよく残りの石段を駆け上がっていく後ろ姿に、勝真は苦笑し翡翠は肩をすくめる。 「やれやれ、どうやら我らの姫君は男に抱きしめられた事より蹴鞠の雪辱を晴らす方が大問題らしい。」 「そうだな。まあ、『好きな人未満、友達以上、家族擬きの凄く頼れる人』だからな。」 冗談ぽく言う勝真を横目で見ながら翡翠は含みのある笑みを浮かべた。 「それが君たちの『絆』か。」 それを聞いた勝真は一瞬驚いた顔をして、それからゆっくり笑って言った。 「ああ・・・・『今の』、な。」 例えば『恋人』とか、『兄妹』とか、『親友』とか。 そんな名前に当てはめるのはちょっと難しい。 なら、名付けなくてもいい。 私と 俺の ―― 綱渡りの絆 〜 終 〜 |