羽衣を失った天女のその後 〜遙かなるお題10〜
『僕の背に手を回してくれませんか?貴方がこの腕の中にいると感じたいから。』 一緒に散歩に出た神泉苑で僅かな間側を離れた花梨に、不安そうな目をした彰紋がそう乞うから。 断れるはずも、断る理由もなく花梨は彰紋を抱きしめた。 ・・・・で、そこまでは大変ロマンティックな状況だったわけだけれど。 「・・・・あの、彰紋君?」 「なんでしょう?」 「・・・・いつまでこのまま?」 かなり遠慮がちに花梨が聞いたのは、ここが神泉苑といういわば公共の場所だからであった。 二人きりとかなら少し気恥ずかしいけれど花梨だって彰紋に抱きしめられているのは嬉しい。 でもすでにさっきから何度か、木陰から多分水をくみに来たのだろう、何気なく姿を現して二人の姿に慌てて引っ込む通行人の姿を見てしまっている。 普段は呑気だとよく言われる花梨とてこの状況はさすがに恥ずかしい。 というわけで、状況改善を求めるべく、未だにしっかりと自分を抱きしめている彰紋に訴えてみたのだけれど。 「もうしばらくこのままではいけませんか。」 却下された。 「えっと、でもあの、人に見られちゃうよ?見られちゃって良いの?」 東宮としてこんな場面を人に見られるのはあんまり良い事ではないのだろうか、と問うた花梨に耳元でくすり、と小さな笑い声が答えた。 「構いません。僕が龍神の神子に誰よりも夢中であることなど、もう内裏では周知のことですから。」 「え、あ、そ、そうなんだ。うーん、と、ありがとう?」 甘い声を耳に注ぎ込まれて頭に血が上った花梨が何と言うべきか迷い、口にした言葉は微妙にどこか外していて。 「ふふ、本当に貴女は可愛らしい方ですね。」 さらにぎゅーっと抱き込まれてしまった。 (逆効果!?) 離してもらおうと思ったはずなのに、と思わず頭を抱えたくなった花梨だったが、しばらく考えて・・・・諦めた。 (彰紋君ってすごく気配り屋さんで優しいけど、時々強引なんだよね。) もちろん、口調や態度が変わるわけではないけれど、柔らかい物腰でありながら自分の思うところをきっちりと押し通す、そんなところがあるともう花梨は気がついていた。 そうでなければ宮中の頂点に限りなく近い東宮なんかやってられないのだろう、とも。 (それに・・・・恥ずかしささえなければ、私も側にはいたいし。) そういう本音があるのも確かなわけで。 ふっとため息をついて花梨は彰文の背に回していた手で軽くその背を叩いた。 「もう、彰紋君ってばそんな事言ってるけど、すぐに私が側に居るのなんて当たり前になっちゃうよ?」 彰紋が時空を超えてきた自分の事を天女のようだ、といいいつか不意にその世界へ帰ってしまうのではないかと恐れている事を知ってる。 だからこんな行動に出る事も。 だから安心させようと言った言葉だったのだけれど。 (・・・・本当にすぐ慣れちゃったら) ふっとそんな疑問がよぎった。 慣れてしまったらどうなるだろう。 彰紋にとって自分が天女のように危うい存在ではなくて、ただの一人のありふれた女の子なのだと思われるようになったら。 (そうしたら、飽きられちゃうかな。) 東宮である彰紋の周りには、それこそ掃いて捨てるほど綺麗なお姫様も教養のあるお姫様もいるはずだ。 そんな中から目新しさのなくなった自分を選ぶとは花梨には思えなかった。 いつも心のどこかでそんな心配をしているせいか、緩やかな不安に襲われて、無意識に抱きしめていた手に力が入る。 一瞬前まで縋られているようだったのに、これで逆転してしまった・・・・と花梨が思ったその時。 すっと彰紋の身体が離れた。 「あ」 離れた、と言ってもまだ花梨は彰紋の腕の中に囲われている状況で至近距離にいるのだけれど、今まで触れていた体温が離れた事が急に頼りなくなって花梨の口から小さな声が零れた。 しかしそれに気づいているのか、いないのか、見上げた彰文はそれは嬉しそうに笑っていて。 「貴女が側に居てくれる事に慣れる日がくるなら、早く来て欲しいです。」 「えっ。」 どくん、と抱えていた不安を刺激されたように鼓動が鳴る。 しかしそれは刹那の事だった。 なぜなら、眉を寄せる暇もなく花梨はまた彰紋の胸の中に逆戻りしていて。 「え?え?彰紋君?」 展開と彰文の意図が読めずに目を白黒させる花梨の耳に、酷く嬉しそうな、それでいてとても楽しそうな彰紋の声が舞い込んだのだった。 「貴女が側に居ることに慣れる事が出来たなら、やっと僕がどれだけ貴女を想っているか伝えることができるでしょうから!」 彰文の言葉に花梨の頭は一瞬真っ白になって。 そして。 「・・・・今以上ってあるの?」 心の底からの疑問のように呟かれた言葉に、彰紋の笑い声があがったのだった。 〜 終 〜 |