それはまだ春先、桜が満開の・・・・そんな頃のお話 苦手と笑顔の方程式 〜 遙かなるお題 9 〜 その頃、あかねにはとても苦手な人がいた。 「・・・・はあ。」 「神子様?どうかなさいましたか?」 重いあかねのため息に、本日神子様業をお休みしているあかねの話し相手を務めていた藤姫がちょこんと首を傾げて聞いてきた。 「え?あ、ううん。大丈夫。」 「そうでございますか?神子様は頑張りすぎるところがおありになるから、心配です。」 言葉の通り不安そうにあかねを見上げてきた藤姫を安心させるようにあかねは微笑んだ。 ―― 神子様 ―― そんな風に呼ばれるようになったのはつい最近。 危機に瀕しているという京という世界を救う龍神の神子としてこっちの世界に呼ばれて以来のあかねの呼称だ。 最初はそんな器じゃないと随分嫌がったのだけれど、最近では京という世界に愛着もわき、この世界のためにできることがあるなら頑張ってみよう、と前向きな気持ちにもなっている。 だから、そのためには・・・・ (あの人が苦手、なんて言っていられないんだけど・・・・) あかねが苦手な、あの人。 それは龍神の神子を助ける八葉の中で天の青龍である、源頼久だった。 (最初に出会った時から、ちょっと怖かったんだよね。) あかねと頼久の出会いは思い出してみれば最悪に近い。 なにせ、唐突に京の世界に落とされ戸惑い、ここがどこだかもわかっていないあかねに向かって刀を突きつけてきた人物が頼久だったのだから。 もっともあの時は頼久にしてみればあかねはただの侵入者にすぎず、ついでに武人の心得としてはどんな外見の物でも騙されず隙を見せない方が正しいのだから、と頼久の行動は理解している。 が、のほほんっと平和な現代で女子高生をやってきたあかねにとっては生まれて初めて向けられた殺気と、武器の血も凍るような輝きはしっかり記憶に刻み込まれてしまった。 それでもまだ、知り合いになってみれば明るい気さくな人でした、とかいうオチが用意されていたらあかねだって頼久をこんなに苦手には思わなかったかもしれない。 しかし生憎頼久は「明るく気さくな人」とは対極にあるような青年だった。 (・・・・だって頼久さん、何考えてるかわかんないし、無表情だし、口数少ないし・・・・) その上、身長180以上で武士。 「少し怖い」ですんでいるあたり、あかねを褒めてあげるべきかもしれない。 これが普通の人間関係だったなら、遠巻きに見ていればいいのだが、神子と八葉ではそうもいかない。 どうしても天の青龍の力が必要になる時があるわけで、そんな時に「少し怖いから・・・・」などという理由で頼久を避けるわけにはいかないのだ。 (だから、苦手意識はなくさないと!) うん!とあかねが気合いをいれ、藤姫がさっきからのあかねの謎の行動にますます不思議そうに首を傾げた、ちょうどその時 ―― 「おくつろぎの所、失礼致します。」 御簾の外から聞こえた声にあかねは飛び上がりそうになった。 (こ、この低めで硬質な声は・・・・) 「なんですか、頼久。」 途端に主然とする藤姫を横目にあかねは内心首を竦める。 (やっぱり〜。) いくら気合いを入れたばかりとはいえ、このタイミングはあんまりなんじゃ・・・・などと考えているあかねをよそに御簾の外の青年は淡々と用件を述べた。 「は。先ほど橘少将殿から左大臣様に文が届き、何やら事件が起きたとの事でした。怨霊や鬼の仕業とも考えられるような事柄なので、藤姫様の意見を伺いたいとの事です。」 「事件?友雅殿からと言いましたね?」 「はい。」 「それはすぐに行かなくては・・・・けれど」 そう呟いた藤姫と目があう。 その瞳の中にあかねとの楽しいおしゃべりを中座せざるを得ない悔しさがにじみ出ていてあかねは逆にくすくす笑ってしまった。 「私の事は気にしなくて良いから、話、聞いてきて?困ったことになってるといけないもんね。」 「神子様、では御前失礼させて頂きますけれど、大丈夫ですか?お暇ではないですか?」 「え?うーん、暇といえば暇だけど・・・・」 正直、娯楽の少ないこの部屋に一人で残されてもやることはないし暇だ。 でもまあ、昼寝でもするし、くらいに呑気にあかねが思っていると、目の前でぱっと藤姫の表情が輝いた。 それはもう、「良いことを思いつきましたわ!」と言わんばかりに。 「頼久。」 「はい。」 「貴方、私が戻ってくるまで神子様のお話のお相手をなさい。」 「は?」 「ええ!?」 (な、な、な、なんて事を言うのよ、藤姫〜!) 思わず内心叫んでしまったあかねだが、もちろん口に出すことはできない。 その間にあれよあれよと話は決まっていく。 「そうですわ。それがいいですわ。わかったわね?」 「し、しかし私は・・・・」 「しばらくの間です。神子様を退屈させないようにするのですよ。では神子様、少しの間席を外させて頂きます。」 「え、あの、藤・・・・」 一瞬助けを求めるように伸ばされた腕はむなしく空を掻き・・・・さやさやという衣擦れの遠ざかった頃には御簾の内と外で呆然とするあかねと頼久が残された。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、あの」 数分後、なんとか状況を飲み込んだあかねが恐る恐る声をかけた。 「はい。」 簡潔な返事と共に御簾に映っている影が動く。 「あの、藤姫はああ言ってたけど私一人でも大丈夫ですから、仕事に戻ってもらってもいいですよ?」 さっきの苦手意識払拭宣言はどこへやら、いきなり現状逃避に向かっている自分が情けないのは百も承知なのだが、思わずそう口走ってしまったあかねに頼久はきっぱり首を振った。 「いいえ。藤姫様がああおっしゃられた以上、神子殿のお話相手、努めさせて頂きます。」 (努めさせて頂きますって、そんな固い声で言われても〜) 第一、何を話せばいいのか思いもつかない。 取りあえず、あかねに出来たのは御簾の外に座っている青年の影に向かって遠慮がちに言う事だった。 「えーっと、それじゃ取りあえずこっちに入ってくれませんか?」 「いえ、それは・・・・」 「その、御簾ごしで話すって慣れていないのでお願いします!」 「・・・・失礼致します。」 無理矢理押し切ったあかねの言葉に、一瞬戸惑うような間があったが、頼久は従う事にしたらしい。 少しだけ御簾の裾がめくられたかと思うと、するりと長身の影が滑り込んできた。 その音も立てない滑らかな動きに、思わずあかねは感嘆のため息を漏らす。 それを拾ったのか、頼久は怪訝そうに聞いてきた。 「神子殿?」 「え?あ、ごめんなさい。別にたいした意味はないんですけど・・・・やっぱり頼久さんって武士なんだなって思って。」 「はあ?」 「イノリくんとか天真くんが入ってくると御簾がバサバサいうんですよ。私が通り抜ける時もそう言う音がするし。でも頼久さんは音が立たなかったから。」 「武人だからという事でしょうか?」 「うん。あ、そういえば友雅さんもあんまり音させないな。」 「あの方は宮中でも抜きん出た武芸者でいらっしゃるそうです。」 雅やかで優雅な物腰から普段は武人とは意識しない殿上人を思い出してくすりと笑った所で、あかねははっと気がついた。 (これって会話になってない!?) いつもは相づちだけで終わる頼久が一言発してくれたし、会話のキャッチボールは続いている。 しかもいたって自然に。 ぱあっとあかねの背後に後光がさした。 (やった!自然に話せたかも!) ついに苦手意識克服!・・・・と、一人盛り上がったあかねは嬉しさを隠しきれずに頼久に笑いかけた。 「でも友雅さんってあんまり武人って感じはしないよね?」 「はい。」 スパッ。 あまりに切れ味のいい返事にあかねは会話が音をたてて終わる瞬間を知った。 (せ、せめて微笑みながらとか、もうちょっと別の言葉だったら会話が発展しようがあるのに・・・・) 無表情に「はい」、でその後どういう風に続けろというのか。 生憎あかねは興味がなさそうな相手に楽しげに語りかけられるほど神経が強くもないし、鈍感でもなかった。 たちまちあかねの背後にさした後光は消え、部屋中にどうしたらいいのか戸惑う非常に居心地の悪い沈黙が漂う。 その時、ほんの偶然に庭から一枚の桜の花びらが舞い込んできたのは、あかねにとっては見るに見かねて龍神が助けてくれたのではないかと思うほど、天の助けだった。 例えその花びらが御簾の端っこに力無く落ちてしまっただけであろうとも、それでもあかねはその薄紅の欠片を目端に捉えた瞬間、藤姫の言っていた事を思い出したからだ。 「頼久さん!頼久さんって桜が好きなんですよね?」 「は・・・はあ」 急に勢い込んで話しかけてきたあかねに、珍しく驚いたような表情をして頼久は頷いた。 (よし!新たな話題発見!) 内心ぐっと握り拳でガッツポーズを決めたあかねは、ゆっくりと言葉を選んで口を開いた。 さっきのように一言で終わってしまってはせっかくの話題がもったいない。 「私たちの世界では桜が咲くと、みんなでごちそうをもってお花見に出かけたりするんですけど、京ではそういう事はしないんですか?」 いきなり花より団子かよ、という年上のクラスメートの突っ込みが聞こえた気がしたがそれは綺麗さっぱり無視しておいた。 当然、頼久からはそんな突っ込みが入るはずもなく、至って真面目な青年は少し考えて首をふった。 「雅を解される方々は花を愛でながら管弦の会を開いたりなさる事はあるようですが、庶民はあまり特別なことはしません。」 「へ〜、じゃあ、友雅さんとか鷹道さんはそういうのに参加するのかな。永泉さんは出家してるってきいたからそいうのしないんですか?」 「公に参加されるかどうかはわかりかねます。」 「なるほど。泰明さんは・・・・思い切り関係なさそうですね。」 終始仏頂面の陰陽師の顔を思い出して、あかねが思わずクスクスと笑う。 ―― その時、奇跡が起こった・・・・とは、後で考えてみると大げさだったと思ったが。 ともかく、その時のあかねにとっての奇跡が起こった。 クスクスと笑うあかねを見ていた頼久が。 あの無表情、武骨な頼久が。 ―― ほんの少しだけ、微笑んだのだ。 本当に微かにだけれど、それを見た瞬間、あかねはあまりの衝撃に頼久を凝視したまま固まってしまった。 「?・・・―― !も、申し訳ありません!」 一瞬で目をまん丸に見開いたまま固まってしまったあかねに、首をかしげた頼久だったが、何をどう理解したのか、いきなり頭を下げてきた。 (え?ええ?) それがこれまた初めて見るぐらい取り乱した様子だったので、あかねはまた驚く羽目になった。 「な、なんで謝るんですか!?」 「それは、その・・・神子殿を笑うような真似をしてしまいましたゆえ・・・・」 「笑ったんですか?私、おかしかったですか?」 (変な子だと思われた?) それは大いに困る、とあかねが思っていると頼久は顔色を変えてまた頭を下げる。 「いいえ!けしてそのような!ただ、その・・・・神子殿がとても楽しそうでしたので、つられて・・・・」 「つられて・・・・私、楽しそうでしたか?」 あかねが問うと、頼久は頭を下げたまま答える。 「はい。」 答えた頼久の声は戸惑っているのが丸わかりで、あかねはこの時ばかりは頼久が頭を下げている事に助かったと思った。 そうでなかったら、にやけてしまう顔をばっちり見られてしまっただろうから。 (だって・・・・頼久さんってば) ―― かわいい 自分より大分年上の男性に対して、あまりにも失礼かもと思いつつ、あかねはそう思ってしまうのを止められなかった。 (だって、怖い人だって思ってたのに、あんなに優しく笑えて、こんなに取り乱して・・・・) その様子が、何だか酷く可愛く見えた。 あかねはそっと頼久の前まで移動すると、膝を抱えてしゃがみ込んで、まだ顔を上げない青年に声をかけた。 「頼久さん」 「はい」 「謝らないで下さい。顔上げて、ね?」 そう言われておずおずと顔を上げ、思わぬ至近距離にいたあかねの姿に驚いたようにのけぞる頼久に、あかねは辛うじて吹き出すのをこらえた。 「み、神子殿」 「頼久さん、桜好きなんですよね?」 「は?はあ・・・・」 ついさっき尋ねたばかりの言葉なのに、すっかり声に籠もる感覚が違っている事にあかね自身気がついていた。 しゃがんでいるから、正面からぶつかる紫紺の目も、もう怖いとは思っていない事も。 「今度、桜、見に行きましょう?」 「え・・・・」 目を開いた頼久にあかねはクスクスと笑った。 ―― そうしたらもっと、貴方と話が出来るでしょ? 一生懸命話題を探さなくても、こんな風に笑い合うことが出来るなら。 言葉にしなかったあかねの気持が頼久に伝わったとは思えない。 けれど、頼久はしばらくあかねを見つめて、やがてほんの少し微笑んだ。 途端に ―― とくんっ (あれ?・・・・なんでこんなに嬉しいの?) 唐突に湧き上がった感情にあかねは内心戸惑う。 ・・・・しかしあかねがその答えを出すことはなかった。 さやさやという衣擦れとともに、御簾が上がって藤姫が戻ってきたからだ。 「神子様!遅くなって申し訳ありません。」 「あ、おかえりなさい。」 答えながら、あかねは妙に残念に思う気持ちを自覚して首をひねる。 (藤姫が出て行った時には早く帰ってきてくれればいいと思ったのに、なんで?) あれ?あれ?と戸惑っているあかねの前ですっと頼久が立ち上がる。 「では、私はこれで・・・・」 「ご苦労でした。」 藤姫の労いの言葉に軽く頭を下げて出て行こうとする頼久の背中を見た瞬間、あかねは何故か口を開いていた。 「頼久さん!」 思ったより大きく出てしまった声に、頼久も藤姫も驚いたようにあかねを見る。 その視線をあかね自身驚きながら受け止めつつ、それでも言わずにいられなかった言葉を口に乗せた。 「あの、さっきの・・・約束です!」 「!・・・・はい。」 頷いて御簾から滑り出していく頼久を見送りながら、やっぱりとくんとくんと音を立てる自分の心臓自覚して首をひねっていたあかねは知らない。 ・・・・あかねの横顔を見ていた藤姫が、こっそり満足そうに笑った事を。 ―― 知りたいと思うこと ―― もっともっとと望むこと ―― それはきっと・・・・恋になるでしょう 〜 終 〜 |