夕暮れと月明かりの間

 

 

頼久は急いでいた。

道ですれ違う人々が何事かと思うほどのスピードで、彼は自分の家に向かっていた。

ここ三日、左大臣邸の警備の仕事が忙しくなってしまったため三日ぶりの帰宅だ。

 

 

 

―と言っても、今までの頼久ならば家にこんなに急いで帰ったりしなかっただろう。

しかしそれが変わったのは二ヶ月前、あの京を救う戦いが終わった日から。

すべてが終わって、神子―あかねが帰る前夜、今までの人生のいつよりも勇気を要した頼久の申し出に、あかねは頬を染めて頷いてくれたのだった。

「元の世界に帰らずに、自分の側で生きて欲しい」という申し出に。

それ以来、頼久の帰宅が早くなったのは言うまでもない。

しかし二ヶ月で三日も帰らなかったのは初めてだった。

 

 

 

「ただいま戻りました。」

やっと家に辿り着いた頼久は、戸を開けるのももどかしくよく通る声で奥に声をかけた。

いつもならすぐに軽い足音と共に、笑顔であかねが飛び出して来るはずだった。

しかし今日は奥は静まったままだ。

「?」

首を傾げつつ頼久は家にはいる。

そんなに広くはない部屋を行ったり来たりしてみるが、あかねの姿はない。

「出かけているのか・・・?」

頼久が溜め息をついたその時だった。

かさっと庭で音がして、反射的にそちらを見た頼久は思わず息を飲んだ。

 

 

 

それはあまりにも美しい光景だった。

夕暮れの日が赤く染めた庭の池の畔にあかねが佇んでいた。

白い頬に浮かんだ憂いを赤い陽がかたどっている。

彼女のまわりを数匹の蜻蛉が舞っていた。

頼久の帰宅にまったく気付いていない彼女に頼久は声をかける事ができなかった。

あかねがあまりに美しく、はかなくて・・・

 

 

と、あかねの瞳から一筋の涙が零れた。

―瞬間、頼久は部屋を飛び出してあかねを抱きしめていた。

 

 

「よ、頼久さん?!」

いきなり抱きしめられてあかねが驚きの声をあげる。

さっきまでの儚さはすっかり消えていた。

頼久は少しほっとして腕の力を緩める。

「すみません。」

思わず赤くなってしまう頼久にあかねは優しく笑いかけた。

「おかえりなさい、頼久さん。」

「・・・貴女が消えてしまうかと思った・・・」

頼久の言葉にあかねが目を大きく見開いて何か言おうとする。

それを軽く手でとめて頼久は言った。

「貴女は生まれた世界にたくさんの大切な物や人を置いて私の側にてくれる。

・・・だから時折不安になるのです。貴女が元の世界に帰ってしまうのではないか・・・と。

だから今、貴女が涙を零したとき、蜻蛉が貴女を連れ去ってしまうかと思った。

・・・情けない話ですね。」

言い終わって苦笑する頼久の首にあかねが飛びついた。

「み、神子殿?!」

「あ・か・ね、でしょ?」

彼女の突然の行動にあたふたしている頼久の耳元であかねが強く訂正する。

 

 

「情けなくなんかないよ。本当はそんな風に思っちゃいけないのかもしれないけど、私、嬉しかった。」

そう言ってあかねは頼久から少し身を離すと、頼久を見つめる。

「私がさっき泣きたくなったのは、龍神の神子じゃなくなったら、私、全然頼久さんの役にたってないなあって思ったからなの。

このまま頼久さんに護られてて、頼久さんの負担になるんじゃないかなって思ったら泣きたくなっちゃって・・・」

 

 

頼久は思わず息を飲んだ。

(あの時の涙は私を想って流されたものだというのか・・・?)

頭でそう理解した途端、頼久をうってかわって幸福感が包み込んだ。

「貴女はそのままで十分です。貴女が側にいてくれるだけで、負担どころか、私は何倍も強くなれるのですから。

私の事で涙を流させてしまって申し訳ありませんでした。」

「・・・謝ってるわりに、口元が笑ってるよ?」

「えっ?!」

あわてて口元に手をやってしまう頼久。

それでもあかねが自分のいないところでも、自分を想ってくれていた事に対する喜びで口元が緩んでしまうのは止められない。

そんな頼久の様子をどうとったのか、あかねが少しふくれる。

「もう、なんで笑うの?私、変なこと言った?」

「いえ、そんなことは・・・」

「まったく!その敬語もいつになったら直るの?

私はもう、神子でも主でもないんだよ?」

頼久はすねて背を向けたあかねを背中から抱きしめた。

「すみません。くせになっているものですから。

でも、信じてください。あかねがいなくて私の幸せはありません。

・・・貴女が神子だった頃から誰よりも貴女を見ていました。

主のつもりだったのに、いつの間にか貴女は『元宮あかね』という一人の少女になっていたんです。

気がついたときにはもう愛しかった。

私の手を取ってくれている今は、あの時の何倍も愛しいのです。

だから、側にいてください。」

 

 

「・・・ずるい・・・」

頼久の腕のなかで振り向いたあかねは、すっかり赤くなった顔で頼久をにらむ。

「ずるいよ、急にそんなこと言って・・・それじゃ、私文句も言えない。

・・・でも、私も頼久さんが大好きよ。ずっと側にいさせてね。」

照れながらもとびきりの笑顔を見せるあかねに、壊れてしまうんじゃないかと思うほど高鳴る鼓動を押さえつつ、頼久も柔らかい笑みで答える。

 

 

そしていつの間にか出ていた月明かりの中で、二人の影がそっと重なった・・・

 

 

 

                        〜 終 〜

 

― あとがき ―

頼久×あかねの記念すべき初書き作です。

しかし、この話甘くないな〜〜(^^;)

書いた当時は結構お気に入りだったんですけど、今考えるとあんまし甘くない(泣)

タイトルは気に入ってるんですけど、まだまだ修行が足りないころの作品です(^^;)