頼久はふと目を開けた。 ・・・ここは何処だ・・・? そこは桜色の闇だった。 美しい桜色の闇が頼久を包み込んでいる。 なんだかその闇がひどく優しく、暖かく感じられて少し口元を緩ませた。 ・・・まるで夜桜のようだな。闇にもけして負ける事のない桜色・・・ 頼久がそう思った時、目の前の闇が揺らいだ。 ゆっくりと闇が形を作り、それは曖昧な人の形へ変化する。 ・・・誰だ・・・? 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 人影が何か言った気がした。 その言葉を聞き取らなくてはいけないような気がして、頼久は口をひらく。 ・・・何を、何を言いたい?・・・ 「・・・・・・・・・・・・・・さん!」 ・・・えっ・・・? 耳を掠めた軽やかな声に心を奪われた一瞬、再び、闇が揺らいだ。 ・・・待ってくれ!・・・ 必死に呼び止める頼久の声もむなしく、人影は闇に溶けていく。 ・・・一体、誰なんだ?待ってくれ!! |
(・・・あの人影は、一体誰なのだろう・・・) 最近毎夜のように見る桜色の夢。 揺らめく人影にけして自分の手は届かない。 (何か伝えたいことでもあるのだろうか。) 夢は人ならざるものが思いを伝える手段とも聞く。 (しかし、あの人影は・・そのようなものよりもむしろ・・・) 「・・ひさ、頼久!」 「!」 藤姫の声に頼久ははっと顔を上げた。 「頼久、どうかしたのですか?」 「あ・・いえ、申し訳ございません。藤姫様。」 藤姫の声に我にかえった頼久は、軽く頭を下げて言った。 「おやおや、頼久。君が主の前で上の空とはめずらしいね。」 頼久の隣で藤姫と話をしていた橘友雅がからかうように笑う。 「どこかの恋しい姫君の事でも考えていたのかな?」 「と、友雅殿!そのようなことは・・・」 あわてて否定しようとして、頼久は少し口ごもった。 考えてきたのはあの桜色の夢の事。 あの人影の事・・・ 頼久は気持ちを切り替えるように頭を振った。 「藤姫様。申し訳ありませんが、もう一度先ほどのお話をしてくださいませんか?」 「ええ。昨日、陰陽寮から連絡がありました。・・・四神が鬼の手に落ちたと。」 ぴりっと空気が張りつめる。 「恐らく次に鬼が狙うのは龍神様をその身に降ろす事ができる龍神の神子でしょう。 そして・・・龍神の神子様は近く降臨されるでしょう。」 「!」 「私は龍神の神子を守るべく選ばれる八葉の方を占いました。 その中の2人が友雅殿と、頼久なのです。」 「私が、ですか?」 「そのようだね。それで、姫。その世にも希有な神子殿は一体いつ頃降臨されるのですかな?」 面白そうに口元を上げた友雅に藤姫はもう、と溜め息をついて答えた。 「春・・・桜が満開の頃に。」 (桜・・・) 頼久の頭を桜の夢が掠めて、消えていった・・・ |
―― そして藤姫の言葉の通り、一人の少女が桜の満開の時期、一人の少女が京に降臨した。 「誰かいませんか!」 左大臣邸でめったに聞くことがない大きな声に頼久は足を止めた。 こんな型破りな事をする人間はこの館に使える者にはいない。 それに声の聞こえてきた方向は・・・ほんの数刻前降臨した龍神の神子が今は休んでいるはずの部屋。 頼久はきびすを返すと足早にその部屋に向かう。 そしてふと右耳に現れた龍神の宝玉に触れた。 この宝玉を受けたあの時、神子となる少女の姿を頼久は一瞬しか見ていなかった。 神子と一緒に召還された八葉の少年を連れてくるだけで、手一杯だったのだ。 「お呼びですか、神子殿。」 部屋に辿り着いた頼久は声をかけると同時に部屋に入った。 その声に驚いたように部屋の中央にいた少女が振り返る。 瞬間―― さらっと桜色の髪が舞った。 (!) 「うわっほんとに来た。」 少女が驚く姿を頼久は半ば呆然と見つめていた。 桜色の夢・・桜色の人影・・・ その影が目の前の少女に重なる。 ・・・貴女だったのか・・・? ・・・貴女があの夢の・・・ 「呼んだんだから当たり前だよ。」 少女の側にいた少年の言葉にはっと頼久は我に返った。 (馬鹿な事を・・・この方は主なのだ。仕えるべき主。) 自らを戒め、頼久は礼をとると言った。 「どうかされましたか?」 「あの、一緒に来た友達が出て行っちゃったんです。探しに行きたいんですけど、いいですか?」 真っ直ぐな瞳に頼久は一瞬目を奪われる。 そしてそれを誤魔化すように言った。 「承知いたしました。お供いたします。」 そう言って彼女を見上げる。 「神子殿」 (この方が私の主なのだ。そして龍神の神子という神聖なる存在。けして邪な想いなど抱くことは許されない。) 頼久は歩き出す彼女の一歩後ろから歩き始めた・・・ ―― 夢は予兆 そのことを頼久が確信するのは、この出会いから3ヶ月後。 龍神の神子、あかねを妻に迎えた時だった・・・ 〜 終 〜 |