残り香


「神子、失礼する。」

すっかり日も落ちた夜、今日も四神解放のために走り回って疲れていたあかねは、ふいに現れた恋人の姿にぴょんっと飛び起きた。

「泰明さん!どうしたんですか?」

あかねは泰明を部屋に招き入れながら聞いた。

まだ昼間のままの変形狩衣の姿とはいえ、もうそろそろ寝ようかな〜っと思っていた時刻なのだ。

あかねが驚くのも無理はない。

しかし泰明は事も無げに言った。

「藤姫に結界を張り直して欲しいと頼まれて、それをしに来たのだが、神子の気を感じたら顔が見たくなったので来た。
今日は共に行くことが叶わなかったからな。
仕事をしている間も神子の事が気になっていたのだ。」

「や、泰明さん(///)」

率直な言葉ポフンッと頭から湯気を立てそうなほど赤くなってしまうあかね。

物事簡潔にいう性格の泰明の言葉は時々、某少将顔負けの口説き文句だと思う。






しかしそこは天然の泰明のこと。

「どうした?神子。顔が赤い。熱でもあるのか?」

「えっ?あ、違います。」

心配そうな顔で額をくっつけようとしてくる泰明をあかねは慌てて押し返す。

こんな状態で泰明の整った顔のアップなど、心臓に悪すぎる。

「大丈夫です!」

強くあかねに言われて泰明は何処か寂しそうに少し離れた。

「大丈夫ならばいいが、無理はするな。
神子はいつもがんばりすぎるのだ。
・・・いつでも頼って欲しい。」

最後の一言を自信なげに言われてあかねは思わずうきゃあっと叫びそうになる。

(もう、ぎゅ〜〜〜〜って抱きしめてあげたい!!)

・・・それは全国のヤスアキストの共通の願いだろう・・・

この表情を見せられるたびにわき上がる想いに気持ちを伝えあっていなかった時はどれほど悩まされただろう。

しかし今はありがたいことに実行してもなんの支障もない関係。

・・・というわけであかねは自分の心に正直に、ちょっと背伸びをすると泰明の首にきゅ〜〜〜っと抱きついた。






―と、その瞬間、ふわっと香った匂いに泰明はぴくっと眉を跳ね上がらせた。

あかねの衣から香った自分の好きな菊花の香りに混じった別の香。

(侍従香・・・?)

この香を好んでいる八葉は二人いるが、あかねと今日共に出かけたのは・・・






「神子」

泰明はそっとあかねを離してその瞳を見つめる。

「?」

真っ直ぐ見つめてくる大好きな瞳に、泰明はきりきりと胸が痛むのを感じた。

この瞳を曇らせたくはない。

・・・でも彼女を抱くように包む香が泰明の心をかき乱す。

「神子・・・今日、友雅となにがあった?」

「え?」

きょとんっとしたあかねの瞳から泰明は思わず目を反らす。

「お前の衣に侍従の香が染みついている。」

「え?あ、それは・・・」

今、気がついたという風に自分の袖を匂う。

そして何か思い出したようにあかねは顔を赤くした。

その表情に泰明の心がズキッと痛む。

この痛みの正体、以前は分からなかったそれが今の泰明にはわかる。



・・・嫉妬だ。



これほど衣に香を残すためにはかなり密着しなくてはならないだろう。

自分以外の別の誰かがあかねを抱きしめたかもしれない。

側にいなかった間に確実に自分以外の存在が彼女の側にいたことを知らしめられる。

息苦しいほどの嫉妬が泰明を苛む。

泰明は唇を噛んで唐突にきびすを返した。

「神子、今日はこれで失礼する。」

「えっ?や、泰明さん?!」

歩き出そうとする泰明の腕を慌ててあかねは掴む。



その手を反射的に泰明は振り払った。



「!」

初めてそんな風に扱われたショックであかねは立ちつくした。

振り返らずに出ていこうとしている背中が自分を拒絶しているように感じられて、悲しくて・・・

あかねの瞳から涙がこぼれ落ちる。






「泰明さんのばかあ!!」

涙声にびくっと泰明は立ち止まった。

「ばか・・・この香りは怨霊に襲われた時、友雅さんが助けてくれて、その時ついたんだから!
・・・なに勘違いしてるの?!
私が好きなのは泰明さんだけなんだから!!」

一生懸命、というかんじの涙声の叫び。

―瞬間、泰明は振り返ると、ものすごい勢いであかねをその腕の中に納めていた。

「すまない、神子・・・お前を疑ったわけではないのだ。
・・・ただ、私の嫉妬に歪む顔など見たくなかった。」

そう言って泰明はあかねを少し離すと、まだその瞳に残る涙を優しく拭ってやる。

それから珍しく照れたように目を伏せて言った。



「・・・あまり情けない顔ばかり見せて、お前に嫌われたら・・・私は生きていけない・・・」



「や・・・」

あかねが言葉を紡ぎきる事はできなかった。

・・・そりゃあ、言う前に口を塞がれてしまえば無理というもので。






「・・・ん・・・」

いつになく長く、甘い口付けにすっかり力が抜けてしまったあかねを、名残惜しげに解放した後、泰明はぽすっとその肩に顔をうめた。

「や、泰明さん?!」

「問題ない・・・もう少しこのままでいてくれ。お前の香が私に移るように。
そうすれば別れた後も、共にいるように感じられるかもしれない。」

耳元で切なげに囁かれて赤面してしまったあかねだったが、自分も泰明に習ってそっとその肩に頬を寄せて言った。

「そうだね。香りが移れば私もずっと泰明さんと一緒にいられる気分になれるかも。
・・・本当は本物と一緒にいたいけど、ね。」








―その日、遅く帰って寝仕度を整えようとした時、ふわっと香った香に泰明は一瞬周りを見回して・・苦笑った。

彼女の幻が側にいるようで、思わず抱きしめたくなるのに、あかねはここにはいない。

「・・・やはり本物がいいな・・・」

初めて残り香の切なさを知った泰明だった。





                                    〜 終 〜