四人と大勢のそんな毎日
京の町の北の端。 あの世とこの世の境があるという一条のあたりには世にも有名な陰陽師、安部家の屋敷がある。 妖怪変化なんでもござれといわれ貴族の間では恐れられているこの屋敷にも人が住んでいれば当然ながら暮らしがあるわけで。 身分の高い陰陽師ともなれば幾人もの女房達を雇っている事も少なくない。 物が独りでに飛ぶ、動物がしゃべるなど日常茶飯事なこの屋敷に仕える強者な女房さん達。 そんな女房達に・・・・最近、楽しみが一つできた。 「・・・・私、今日は星樹様に賭けるわ。」 「私は泰明様。この間のお休みの時負けていらっしゃったもの。今日は本気よ。」 「ええ〜、どうしようかしら。泰明様・・・・うーん、でも・・・・・」 女性が三人寄ると姦しいというが、今日の安部家の一角、晴明の愛弟子夫婦の住まう対の屋ではまさに女房達が集まってそれを実践中だった。 一応廊下という事で声は極力抑えているようだが、女性が5人も6人も集まっていればその姿だけで賑やかしい。 それもそうだろう。 この今日でも屈指の異相屋敷に仕える女房さんたちにとってこれからとっても楽しい賭けが始まるのだ。 ちなみに勝者の報酬は京でも屈指の銘菓らしい。 となればいつの時代も甘い物には目のない女性らしく、真剣にもなろうというもの。 で、その肝心の賭の対象はというと・・・・。 「みんな!始まったわよ!」 廊下でわいわいと話していた一群の所へ一人の女房が駆け込んでいた。 途端に全員が振り返る。 そして無言で視線を交わし合うと一斉にとある部屋に向かって歩き出した。 そう賭けの行方を見守るべく ―― この屋敷の主夫婦の部屋へ。 ―― で、件の主夫婦の部屋では。 「いい加減に離れてください!泰明さん!」 妻あかねの悲痛な叫びが響き渡っていた。 それもそのはず、今の彼女はとっても苦しい状態に陥っているからだ。 何せ両手には息子の星樹を抱えているにも関わらず背中からのしっと泰明がのしかかっているのだ。 言うなればサンドイッチ状態。 星樹の側から何も圧力がないのがかえって辛い。 「泰明さんってば〜!」 「・・・・問題ない。」 「問題ありますよ!苦しいです!」 「・・・・お前が星樹を床に寝かせれば、問題ない。」 一応あかねが苦しいのもわかっているのか、言い訳のように紡がれた言葉にあかねは嘆息した。 すでにこのやりとりはもう何度目かなのだ。 「だから言ってるじゃないですか。星樹は下ろすと泣いちゃうんです。」 まだ1才にも満たない幼児だというのに(あるいはだからこそなのか)星樹はあかねから離れると泣き出してしまう子だった。 同じ遺伝子をもって生まれているはずなのに、長女の月香は一人で寝かせておいてもすーすー寝ていたのに不思議なものだが、とにかく起きている時も眠る時もあかねがいないとダメ。 というわけで、あかねは最近常に星樹を抱っこしているはめになり・・・・旦那様である泰明は大層ご不満だった。 もちろん泰明とて自分の血をわけた我が子が可愛くないはずはない。 実際、二人の子どもの事を泰明は周囲が驚く程可愛がっていたが、それとこれとは別、というやつなのだ。 これが他の大人の男であれば男の矜持というやつで行動に出るのは踏みとどまるのだろうが、泰明は実の所この世に誕生して十数年の身の上。 意地とか矜持よりも先にあかねへの想いの方が先にたって、しかも素直なわけで。 ・・・・平たく言えば、構って欲しくてしかたがないわけなのである。 (お仕事に行ってる時はいいんだけど。) 休みともなればやっぱり我慢できなくなるらしく、どうしても泰明はあかねの側へ寄ってきてしまう。 一応、苦しい抗議がきいたのか少しだけ体重をかけるのはやめた泰明を肩越しにあかねはちらっと見る。 自分と背中合わせに座っている青年は出会った頃と同じように、否、ある意味であった頃より美しくなったかもしれない横顔に目一杯拗ねたような表情をのせていて。 (・・・・別に、嬉しいんだけど、ね。) 腕の中でとろとろしている星樹を揺すりながら、こっそりあかねは笑った。 出会った頃はまるでできの良い人形のようだと思った(実際にそうだったわけだけれど)泰明のこんな人間くさい表情を見るのが、あかねは結構好きだった。 出生が特殊だから子はできないかもしれない、と話していた泰明があかねの妊娠を知ってひどく喜んだことも知っている。 「お父さんは我が儘ね。」 揺すりながら小さく呟くと、星樹が「あー」とまるで同意のような返事を返してきて余計にあかねは笑ってしまった。 「あかね。」 「ふふ、だ、だって。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 くすくすというあかねの笑い声が泰明の不機嫌そうな沈黙に響く。 戯れのような柔らかな時間をあかねが楽しんで居ると、不意に背中の気配が動いて。 「?・・・わっ!」 有無を言わさず両側から延びてきた手があかねを星樹ごと泰明の膝へと乗せてしまった。 先ほどの背中合わせの状態とは違い、全身が包まれるような感覚を不意打ちで感じであかねの鼓動が緩やかに加速する。 「や、泰明さん?」 「仕方がない、これでいい。」 ぽそっとそう言ってあかねの匂いを楽しむかのように泰明が髪に顔を埋めるのを感じてあかねは困ったように笑った。 「もう、手のかかる子が二人いるみたい。」 あかねの言葉に泰明はぴくっと反応して・・・・また少し不機嫌そうに言った。 「私は星樹と一緒か?」 「え?」 「手のかかる子のようだと言った。」 そう言われてあかねは頭を抱えたくなった。 何事も素直に受け止めるのは泰明の美徳だが、これはそのまま捉えすぎだ。 (説明しなくちゃいけないのかなあ。) う〜ん、とあかねが困った時、ぐりっとやや強引にあかねの身体が回されて泰明と目があう。 表情は対して変わらないのに、その琥珀色の瞳はありありと不安そうな色を湛えていて。 (う”っ) 内心あかねが呻いたのが聞こえていたわけではないのだろうが、泰明はまるでとどめを刺すかのように言った。 「私はあかねを愛しているが、あかねは違ったのか?」 (―― ・・・・負けた。) 真っ直ぐに向けられる視線を前にあかねはがくっと肩をおとした。 こんな風に好きな人(というかすでに旦那様なのだが)に縋られてどうして無碍に突き放せよう。 これからしばらくの時間、お母さんではなく目の前の人の妻に戻る事をわびるようにあかねが星樹に視線を落とした時、ちょうど御簾の外から声がかかった。 「あかね様、月香様がお昼寝のお時間ですのでよろしければ星樹様もお連れいたしますが。」 それはあまりにタイミングがよすぎる救いの手だったのだが、色々な意味でショート気味だったあかねはこれ幸いと「うん、お願い。」と答え。 しずしずと入って来て(主夫婦の姿に動揺もみせず)星樹を抱き取っていった女房が笑みをかみ殺していたのにもあかねは気づかなかった。 ただ息子を渡して開いたその両手で。 「泰明さんのばか。」 何年も一緒に居て、何度も言っているのにまだわかっていない旦那様をぎゅっと抱きしめて。 「私も愛してるに決まってます!」 ―― 甘いあかねの声に、泰明が満足そうに笑うのはこのすぐ後のこと・・・・ ―― さて、本日の賭けの結果はというと。 「今日は泰明様の勝ちよ!」 「あ〜ん、星樹様!頑張ってくださらないと!」 「うー?」 「ああもう、今日はあちらの部屋へは近づけないわね。」 「夕方までに泰明様が満足してくださらないと御夕飯が・・・・」 「無理かもね。」 「無理ね。」 「ええ!?私、今日配膳の係りなのに!!」 ―― 本日も楽しく姦しい安部家なのでした。 〜 終 〜 |