3人でお終い?




五月。

抜けるような晴天のまさしく洗濯日和の空の下、稀代の陰陽師安倍晴明の愛弟子である安倍泰明の館で怨霊すら驚いて逃げていきそうな光景が繰り広げられていた。

安倍家の庭・・・正確には井戸のそばでこの館の主たる安倍泰明が相も変わらずの無表情でたらいの中に積み上げられた洗濯物をザブザブと洗っているのだ。

あの独特の陰陽師の直衣の袖をたすき掛けしておだんごの髪も邪魔にならないよいうに後ろにまわして、泰明は黙々と洗濯物を洗っていく。

もちろん泰明が洗濯物が下手というわけではなく、たらいの洗濯物はどんどん片づけられていくのだが、怨霊を調伏する時と同じ表情で洗濯をしている泰明はかなり恐いモノがある。

彼の性格をよく知っているかつての戦友であった八葉のメンバーならば爆笑で済ませられるだろうが、常々泰明を恐れているような陰陽寮の同僚などが見たら半泣きで逃げていくかも知れない。

しかし泰明はそんな自分の姿に気付いているのか、いないのか、ただただ黙々と洗濯を続けていた。








―― と、ふいに泰明が手を止めてたらいから顔を上げた。

「・・・そんな所に隠れていても無駄だぞ?」

振り向かずに言われた言葉には何処か面白がるような響きがある。

もっとも泰明をよく知る人間にしかわからない程度だが。

「む〜、父上。気を読むのはずるいです!」

小さな鈴を鳴らすような声が思っていたとおり、近くの木の陰から聞こえて初めて泰明は振り返った。

泰明のすぐ近く、楓の木の横に拗ねたような顔で年の頃なら3、4歳の少女がちょこんっと立っていた。

泰明と同じ翡翠の髪を首の後ろで1つに結び、やはり泰明と同じ異色の瞳をキラキラさせている少女、泰明と、彼の最愛の妻・・・かつての龍神の神子あかねの間に生まれた長女、月香である。

今年4歳になる月香が相変わらずむ〜っとした表情のまま木の側から動こうとしないのを見て泰明は小さく溜め息をついた。

「しかたなかろう?くせのようなものだ。
だいたい月香はあかねとよく似て、目を離すと何処へ消えるかわからぬ。
用心しているのが当然というものだ。」

「・・・せっかく幽ちゃんに気配を消してもらったのに・・・」

その呟きによく見ると月香の後ろにいた緋色の単衣を被った女性が僅かに微笑してふっと空気に溶けるように消えた。

あかねが龍神の神子だった頃に封印した式神である幽霊は鬼の野望を破った後もあかねを慕い彼女の元に残り式神として仕える道を選んだ。

もっともそのような道を選んだのは幽霊だけではなく、泰明としては面白くないのだが。

そんな式神達はあかねと同じようにその血を継いだ月香もとても慈しんでおり、こんな風に常に誰かが月香の側に控えている事も少なくない。

「そんな小細工をしても無駄だ。
第一、その小細工はあかねが神子だった頃にしょっちゅうやっていたから慣れてしまっている。」

「う〜、このままでは父上と隠れん坊ができないです。」

月香が残念そうに言うのを聞いて思わず泰明は口元を緩ませた。

どういうわけか月香は最近隠れん坊に凝っていて中でもいつ何時でも自分を見つけてしまう泰明と隠れん坊をして勝つのが夢らしい。

ただ泰明が馬鹿正直に隠れている月香を探してしまう内は100%その夢は叶わないだろうが。








「ところで月香。お前はあかねと昼寝をしていたのではなかったか?」

突然変わった話題に慌てることもなく月香は言った。

「母さまはまだ寝てます。月香は目が覚めたら父上がいなかったから探しにきたの。」

「・・・ならばいいが。」

1つ頷いてまた手元の洗濯に戻ろうと泰明が顔を戻した所で初めて月香は木の側を離れてとてとと泰明の側に寄って来た。

そしてその手元を覗き込んでちょこんっと首を傾げて言う。

「父上。どうしてお洗濯をしているのです?いつも母さまがしていたでしょう?」

娘の至極当然の疑問に泰明の手がピタッととまった。

そしてきょとんっとしたような顔で月香を見る。

「あかねから何も聞いていないのか?」

「う〜んっと・・・何をです?」

小さな頭を一生懸命働かせて思いだそうとするが、結局何も思い当たらず月香は上目遣いに泰明をうかがった。

その仕草が母のあかねそっくりで泰明は小さく溜め息をつきつつも思わず微笑んでしまう。

「まったく、あかねは言い忘れたのだな。
・・・まあ、わかったのも昨日の事だからしかたないといえば、そうか・・・」

言葉の後半に笑みを含んだ優しい響きが感じられ月香はそれがいい話らしいということを察して身を乗り出した。

「父上!教えて下さい!!」

好奇心たっぷりの瞳で自分を見つめている月香の頭を軽く撫でて泰明は口を開いた。

「昨日わかった事だが実は・・・・」

―― ちょうどその時




「うきゃあ!!」




「あかね?!」

家の中から聞こえた悲鳴に泰明はさっと顔色を変えると脱兎のごとく家に向かって走り去ってしまった。

そしてすぐに家の中から泰明の声が聞こえる。

『お前は不用心だ』とか『何かあったらどうする』とか言う言葉から察するにどうやらあかねが怒られているらしいが・・・

「どうやらあかね様が何かに躓かれたようですわね。」

月香がぽかんっと父の走り去った方を見ていると後ろから耳障りのいい女性の声言った。

振り向けばさっきから姿を消していた幽霊がにっこり笑っている。

「母さまが?大丈夫かしら?」

「大事ないと思いますわ。今のあかね様は大切な身。おそらくは普段以上に泰明様が式を増やしておいででしょうから。」

「・・・大切な身?」

ちょこんっと首を傾げた月香に幽霊はああ、という感じで微笑む。

「そうでした。月香さまはご存じではありませんでしたね。
・・・昨日、見立ててわかったのですが、あかね様のお腹の中には今、月香様のご兄弟が宿っておられるのですよ。」

「ええ?!」

これには月香も大きく目を剥いた。

その様子がなんとも可愛らしくて幽霊はくすくすと笑う。

「ですから泰明様は洗濯などなされていたのですわ。月香様があかね様のお腹にいらっしゃる時もそれはそれは大切になさって洗濯でもしようものなら大騒動でしたから。」

幽霊がちゃんと説明してくれるが、月香はそれ以上に気になることがあるようでさっと母屋に向けて走り出した。

「あ、月香様?!」

「私も母さまが心配だから行ってきます!」

言い残すとさっきの泰明に負けず劣らずのスピードで母屋に消えていく月香。

その小さな背中を見送りながら今頃泰明のお小言をくらっているであろうあかねを思って幽霊はくすっと笑った。

たぶん数秒後にはお小言が二重奏になっているだろう。

「月香様は心配性な所は泰明様似のようですわね。・・・いえ、もあかね様をとても愛している所が、でしょうか。」

その愛故にお小言を言っている2人と、それを小さくなって聞いているあかねを思い浮かべて幽霊はそれは優しく微笑んだ。

・・・そして泰明が放り出していった洗濯の続きを片づけるべく、袖をたくし上げた。








―― 心配性な家族に囲まれてあかねが元気な男の子を出産するのはこの数ヶ月後の事である。










                                      〜 終 〜
                      (Special Thank's 7575hit!! 東条 瞠)