二人の次の幸せ


「・・・んぎゃあ・・おぎゃあ・・おぎゃあ!!」

幼い泣き声に泰明は読んでいた書から目を上げた。

しかし、いつもならすぐに飛んでくる元気な声―泰明の最愛の妻、あかねの声が聞こえない。

泰明は首を傾げて机をたつと幼い声の主のいる部屋へと足を向けた。






晴明の元から去年独立した泰明の屋敷はあまり大きくない。

というのもあかねが女房などを置く習慣がなく、落ち着かないと言ったので彼女1人で切り盛りできる程度の家を選んだためだ。

もちろんあかねと2人だけで生活ができる事に泰明が文句があるはずもなく、二つ返事で頷いた。

・・・もっとも、今は2人、ではないのだが・・・






幼い泣き声が聞こえ続けている部屋に足を踏み入れた所で、泰明はなるほど、と納得した。

部屋の簀子縁で柱に寄りかかったあかねがすっかり眠り込んでいた。

しかも部屋中に鳴り響く泣き声にもまったく起きる様子もない。

「・・・疲れているのか。」

ぽつりと呟いて泰明はすぐ近くにある籐篭に向かった。

大きくて浅い籐篭はあかねに言われて泰明が探してきた物だ。

その中には白い着物にくるまれた小さな泣き声の主―2ヶ月前に生まれたばかりの泰明とあかねの娘、月香が小さな手足をバタバタさせていた。




「お前の母は眠っている、月香。」

生後2ヶ月の娘にきちんと状況を説明する所が泰明らしいと言えばらしい。

そして泰明はそっと幼い娘を抱き上げた。

壊れ物のように、そっと。

前に無造作に抱き上げようとして、あかねにこっぴどく叱られた事があるから慎重に。

泣き続けている小さな体は何の警戒もなく泰明の腕にストンッとおさまる。

すると人の温もりに安心したのか、月香はぴたっと泣きやんだ。

これで眠っているあかねを起こす心配がなくなって、泰明は少しほっとする。

そしてくりっとした目で自分を見上げている月香の体を少し揺すってやる。

それだけで月香はきゃっきゃっと笑った。

その娘の姿に泰明も少し微笑んだ。

月香は髪の色も瞳の色もどちらも泰明と同じ緑と琥珀色だ。

しかし顔つきや表情はあかねゆずり。

「・・・お前は本当に私たち両方の血を継いでいるのだな・・・」

呟いた瞬間にふわりっと泰明を包んだのは例えようもない幸福感だった。






子供が持てるとは思ってもみなかった。

自分は人の子ではないから、人としての幸せなどけして得られないと思っていたのだ。

だからあかねを妻に迎えるのをためらった。

あかねが子供好きなのは知っていたから、子を成せる他の男に嫁いだ方が幸せになれるのではないか、と何度眠れぬ夜を過ごしたか知れない。

・・・しかし一度握った手を離すことはできなかった。

自分を選んでくれた斎姫、誰よりも愛しい彼女を他の男に渡すなんて最初からできるはずもなかったのだと今では思う。

しかしなんの加護があったのか、あかねは泰明の元へ嫁いで間もなく子を成した。

そして無事生まれたのが月香なのである。

月香が生まれた時、泰明は初めて知った。

あかねにだけではなく、自分にも月香は幸せをもたしてくれるということを。

自分とあかねの血を引く子供の存在、それは同時にあかねが自分を愛し、共に生きてくれている事の証だから・・・






泰明はすっかりご機嫌の直った月香を抱いたまま、簀子縁で眠っているあかねの隣に座った。

泰明が座ってもまったくあかねが起きる気配もない。

その愛らしい寝顔を見つめて泰明は本当に嬉しそうに微笑んだ。

いくら見つめても飽きない。

いくら見つめても足りない。

ふと泰明は手の中の月香に目を落として呟いた。

「月香、お前の母は素晴らしい娘だ。

龍神に愛され、他の八葉達に慕われ・・私に心を、幸せを与えてくれた。

私はこの世の何よりお前の母を愛している。」

そこで言葉を切って泰明はあかねの髪にそっと口付ける。

それからキョトンッとしている月香の前髪をいつもの仏頂面でそっと梳く。





・・・月香という名前はあかねが付けたものだ。

誰かをそっと包んで癒す、優しい娘になるように、と。

もちろん、泰明だってそういう娘に育って欲しいと思っているけれど・・・

「・・・私はこの世で2番目にお前を愛している。・・・だから、手放したくないな・・・」

「・・・もう、泰明さんってば!」

急に横から鈴を振るような声で言われて泰明は驚いて目を移す。

横ではたった今まで眠っていたあかねがくすくす笑っていた。

「起きていたのか?」

「少し前から。

それにしても泰明さん、すっかりお父さんね。」

あんまり幸せそうにあかねが笑うので、泰明は首を傾げる。

「何がそんなにおかしい?」

「ん?だって泰明さんがあんまり普通な事言うんだもん。

・・・嬉しくなっちゃったの。」

あかねはそういうと、まだ納得のいかない風の泰明の肩にことっと頭を預ける。

その重みと、ふわっと香ったあかねの香に、まだ慣れない泰明の心臓がはねた。

友雅あたりが聞いたら苦笑されそうだが、月香が生まれた今でもなお、あかねに見つめられるだけで泰明は心が震えるのを感じる。

そんな泰明の気持ちを知ってか知らずか、あかねは片手の甲で泰明に抱かれている月香の頬をなぞって言った。

「月香もきっといつか出逢うわ。誰よりも大切な人に。

・・・私が泰明さんに出会えたみたいに。でしょ?」

にっこりと笑顔を添えて言われて泰明は苦笑する。

まったく、かなわない。

「そうだな。きっと月香は幸せになるだろう。」

泰明とあかねは瞳を合わせて微笑みあった。






―数刻後、孫(?)の顔を見に来た晴明は、庭に入った所で苦笑した。

午後のポカポカのひだまりの中、泰明とあかねと月香がすっかり眠り込んでいたのである。

「・・・まったく、油断しすぎだぞ。」

思わずそう呟いた晴明はそれは嬉しそうに笑ったとか・・・




〜 終 〜                          









― あとがき ―
書いてみようかな〜っと『始まりは一人』を書いてからずっと思っていた、
泰明さんの子供が出てくる創作です。
実はこれが2000年最後の創作(笑)
2001年最初の創作の『月光浴』とは全然違う、ほのぼの全開です。
かなり色んな要素を混ぜ込みすぎ?
途中、某有名ヒット曲のパクリみたいな(・・・というかパクリ?・汗)台詞が
出てきてるし・・・
あ、そうそう、というわけで、うちの泰明さんの子供は月香ちゃんとあいなりました(笑)
結構お気に入りの名前なんですよ(^^)/