日溜まり

 

泰明は帰路を急いでいた。

すっかり平和を取り戻した京の街には至る所に市がかかっていて結構な人混みだ。

その人々の間を縫うように泰明は歩いていく。

周りの人間の視線を集めている事などまったく意にかいせず、その異色の瞳は真っ直ぐ自らの家だけを目指していた。

愛する妻、あかねの待っているであろう自らの家を。

 

 

 

 

八葉として龍神の神子と共に戦った日々から一年の月日が流れていた。

最初に召還されたあかねを見た時、泰明が感じたのは僅かな失望だった。それはあかねがあまりにも普通の少女であったから。

しかし時がたつにつれその考えは間違っていることに泰明は否応なく気付かされた。

いくら危ないと言い聞かせても無鉄砲に飛び出していき、他人の痛みに共に泣き、共に喜ぶ。

怨霊にさえ心を傾ける彼女の限りない優しさと大切な事はけして譲らない強さにいつしか泰明は惹かれていった。

 

その気持ちに気がついたとき、最初は自分が壊れ始めているのだと思った。

五行の力が低下し、それを取り戻そうとしても育ち始めた気持ちはもう手に負えないほど強くなっていて・・・

だから彼女の前から姿を消した。

役立たずな自分などいてもあかねの邪魔だと思ったから京から出たのに、それでも彼女に会いたいと焦がれる気持ちは抑えきれなくて・・・

戻ってきた泰明を真っ先に見つけてくれたあかねは、泰明が心の内をさらけ出して零した涙を優しく拭って言ってくれた。

『泰明さんが戻ってきてくれてよかった。泰明さんは私の一番大切な人なんだから。』

と・・・

 

 

最後の戦いが幕を下ろした後、あかねは泰明の『京に、私の側にいてほしい』という願いを聞き入れ京に留まった。

そして多少のゴタゴタはあったものの、今、あかねは龍神の神子の名を陰陽師安倍泰明の妻に変えて泰明の一番近くにいてくれる。

あの輝く笑顔で。

 

しかし泰明は稀代の陰陽師阿倍晴明の一番の弟子。

八葉としての勤めを全うしたこともあって膨大な仕事の山(あかねをさらわれた某少将や某少丞が持ち込んでいるという噂も・・・)によって連日帰宅は日が落ちてからという生活なのだ。

本当は泰明としては仕事など放り出してあかねと四六時中一緒にいたいのだ。

しかしそれではあかねに怒られてしまう。

恐いものなど何もないような鉄面皮陰陽師殿の唯一恐れることはあかねに嫌われる事なのだから。

 

 

そんなわけで連日真面目に仕事に取り組んでいた泰明を見かねたのか、今日は晴明が残りの仕事を引き受けてくれたのだ。

珍しい事もあるものだと思いつつ、泰明に不満があるはずもなく今に至るわけである。

(こんなに早く帰ったらあかねは驚くだろうな。)

ふとあの愛らしい瞳を驚きに見開くあかねを想像したのか、泰明はくすっと口元だけで笑う。

人形が人に変容するような鮮やかな瞬間を運良く目にする者がいたならば恐らく息を飲んだだろう。

 

と、ちかっと光る物が泰明の視界に入った。

「?」

相変わらずの好奇心の固まりである泰明は首を巡らしてその光の元を探る。

それは小さな露店の店先にあった漆塗りの櫛だった。

艶やかな黒い地に、鮮やかな藤が描き出されている。

僅かに使われている金が藤棚に降り注ぐ月光のように美しい。

大きさもちょうどあかねの手に収まりそうなそれは、最近伸びてきたあかねの髪を梳くのにぴったりの物のように思えた。

 

(あかねは藤が好きだったな。)

そう思って泰明は少し考える。

この櫛を贈ればあかねは笑顔を見せてくれるだろう。

泰明はあかねのどんな表情も好きだが、笑顔は最も好きなものの一つだ。

一瞬で泰明のなかで決定が下された。

「主人、この櫛を貰おう。」

 

 

 

 

「今、帰った。」

やっと帰り着いた泰明はあかねの願いで使用人がいなくても不都合がない程度に小さい(といっても現代育ちのあかねには十分広いものだったが)屋敷の奥に向かってよく通る声をかけた。

いつもなら声を聞きつけたあかねが軽やかな足音をたてて飛び出してくるはずだった。

 

しかし今日はその気配がない。

あかねの気が屋敷の中にあることはわかっているので慌てはしない

が首を傾げながらあかねのいる部屋を覗いて泰明は心臓がと

まるかと思った。

庭に面した縁側にあかねが倒れていたのだ!

「あかね?!」

あわてて駆け寄って震える声で名を呼ぶ。

「あかね!」

 

 

「・・・すーすー・・・」

切羽詰まった泰明への返事は呑気な寝息だった。

珍しく、本当に珍しく泰明はその場に崩れ落ちる。

あかねを失っては生きていく意味などない。

それほど大切な存在なのは十分に自覚していたが、ここまで冷静さを失うほどとは・・・

 

泰明は大きく溜め息をついて彼女の枕元に腰を下ろした。

あれほど泰明が大騒ぎしたにも関わらずあかねは覚醒の気配もない。

その寝顔を自分の膝に片肘をついて泰明は飽くことなく見つめる。

こうして眠っていてもあかねは十分可愛い。

あのキラキラ輝いて泰明を見つめ返してくれる瞳が隠れているのはちょっと不満だけれど。

 

ふと、思いついて泰明はあかねの髪に手を伸ばした。

サラサラと泰明の指の間を滑り落ちる髪は柔らかくて、そんな風に触れるだけで鼓動が早まるのが分かる。

何度夜を共に明かしても、いくら強く抱きしめても、まだあかねを手に入れられた気がしない。

いつでもふとした瞬間に新しいあかねを見つけて心を捕らわれる。

 

(お前は本当に不思議だ)

そう思って自然と泰明の口元に笑みが浮かんだ。

ぽかぽかと日の射す縁側で側には安心しきったように眠るあかねがいる。

体中隅々まで暖かくなるような感覚に泰明は少し目を細めた。

 

「この気持ちを『幸せ』というのだろうな・・・あかね、お前がくれた『幸せ』だ。」

泰明はあかねを起こさないようにそっとその閉じられた瞳に口付けをおとす。

そしてこの上なく優しい声で囁いた。

「あかね、愛している。」

彼女が起きたらこの言葉とさっき買った櫛を贈ろう。

 

きっととびきりの笑顔を見せてくれるから・・・

                〜 終 〜

 

 あとがき 

東条の泰明×あかね、第二弾です。

・・・とはいうものの、あかねしゃべってませんね(^^;)

ま、まあ今回は泰明さんの『幸せ』をひたすら追求した、ということで(?)

でも私的に、このお話は割とお気に入りです。

しかし私が書く泰明さんの話はなぜかほのぼの系な上に毎回髪がからんでる(笑)

それは泰明さんに幸せになって欲しいというファン心だと思ってくださいまし。