優しい雨

 



「はああ・・・」

左大臣邸の西の対の部屋であかねは大きく溜め息をついた。

誰もいない部屋であかねは一人、板敷きの床にごろごろと転がる。

こういう所はいつもと一緒なのだが、一つ決定的に違うのは彼女の体中からみじみでるようないつもの元気がまったくない。

・・・彼女の魅力の一つを奪ってしまったのはいったい何なのか?

「・・・つまんない・・・つまんない・・・

逢いたいよお、友雅さん・・・」

そう、本当ならば彼女は今ごろ友雅と過ごしているはずであ

った。

大好きな友雅と・・・

 

 

あかねが龍神の神子としてこの京に召還されてきたのは五ヶ月前の事だった。

いきなりこの世界に連れてこられて、龍神の神子として鬼と戦えと言われた時、本当は逃げ出したかった。

それを思いとどまったのは、自分を護ると言ってくれる八葉と、幼い藤姫の真剣な瞳のため。

ここで逃げるわけにはいかないと想ったからだ。

とはいえ、慣れない京や戦いのために疲れたり、心がほころびそうになるあかねに気付いてくれたのは地の白虎である橘友雅だった。

いつもタイミング良く、はげまし元気づけてくれる友雅にあかねが惹かれていったのは当然で・・・

でも相手は何人もの女性と浮き名を流す大人の男性だったから、子供の自分など相手にしてもらえるわけがないと思っていた。

 

だから本当に驚いた。

すべての戦いが終わった神泉苑で少し頬を赤らめてめったに見せないような真剣な眼差しで友雅は言ったのだ。

 

「神子殿、月に帰らず私の側にいてはくれまいか?」

 

嬉しくて涙を零しながら何度も頷くだけのあかねを心底愛おしそうに友雅は見つめていた。

 

そしてあかねは京に残り、左大臣の養女として今では下へも置かぬ扱いをうけている。

しかしあかねは友雅が通ってきてくれることが何より嬉しくて、幸せな生活を送っていたのだ。

 

 

しかしこの四日ばかり、これまで二日と開けずに通ってきていた友雅がぱったり姿を見せなくなっていた。

と言っても浮気とかそんな事ではなく、理由はちゃんと分かっていた。

床に力無く転がっていたあかねは首だけ起こして外を睨み付ける。

あかねの部屋から見える外はシトシトと雨がふっている。

そう、目下あかねの最大の恋敵(?)はこの長月の長雨なの

である。

現代と違って傘が発達しているわけでもないし、道が悪ければ牛車も出せない。

そんなわけで雨に隔てられたように、あかねは友雅と逢えないでいるのだ。

「・・・もう、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られちゃうんだからね!」

「誰が馬に蹴られるんだい?」

「?!」

 

急に後ろから聞こえた聞き覚えのある大好きな声にあかねはぴょんっと飛び上がる。

しかしちょっと思い直して首を傾げる。

(え〜っと今の友雅さんの声みたいだったけど、雨はまだ降ってるし・・・幻聴だったら重傷だなあ。)

振り向けばすべてが解決するのに、あかねが前をむいたままおとぼけな事を考えていると、いきなりぐいっと後ろに引っ張られて暖かい腕の中にすっぽり納められてしまった。

「やれやれ、姫君は一体何を考えこんでいるんだい?」

「と、友雅さん?!」

友雅の腕の中で振り返ったあかねは驚きの声を上げる。

「驚いたかい?今までずっと常識を考えて大人しくしていたのだが、もう我慢に限界がきてね。

落ち窪君に焦がれる少将のごとく、雨の中をきてしまったよ。」

友雅は何時にもまして優しい眼差しでまだ驚きが抜けきっていないあかねの額に満足げに唇をよせた。

その時あかねは自分の頬に触れる友雅の髪が濡れている事にやっと気がついた。

「友雅さん、濡れちゃってますよ!早く乾かさないと風邪ひいちゃう・・」

あわててあかねは人を呼ぼうとするが、その唇を友雅が手で被って遮ってしまった。

「いいのだよ。こうやってあかねを抱いていれば寒いことなどないんだから。それとも私との逢瀬を邪魔されたいのかな?」

悪戯っぽく言う友雅の首にあかねはそっと抱きついた。

「折角逢えたのに邪魔されるのは嫌です。」

その愛らしい顔は肩に押しつけられているので見えなかったけれど、髪の間から覗く耳が赤くなっているのは友雅にも見えた。

友雅はそっとあかねを包みこんでこれ以上ないくらい相好を崩す。

(愛おしくて、愛おしくてしょうがない・・・この気持ちに限りなどあるのだろうか・・・)

友雅はあかねを抱きしめる腕に少し力を込めた。

 

 

と、友雅の肩に顔を寄せていたあかねが身を離した。

「あかね?」

今までの再会して嬉しそうだった雰囲気がいつの間にか薄れている事に気がついて、友雅は首を傾げた。

「・・・この雨、もうしばらく続くんだって藤姫が言ってました。そうしたらまた友雅さんと逢えなくなる・・・」

聞こえるか聞こえないかの小さな声とあかねの表情に友雅は思わず息を飲んだ。

(・・・こんなに切なそうな顔で私を想っていてくれたのだろうか・・・)

そう、友雅にそう思わせるほどあかねは切なげな顔をしていた。

いつの間にか少女から女になっているあかねの姿を目の当たりにして目の当たりにして友雅は目を細める。

そして自分があかねを想っている時、雨を隔てたあかねが同じように自分を想ってくれていた事に友雅は目眩がするほどの幸福感を覚えた。

(君は本当に不思議な姫だね・・・幾人もの女性と浮き名を流しても得られなかったものをいともあっさりと私に与えてくれる)

得難い姫、それを自分が今てのなかに抱きしめていることに友雅は何より自分の幸運に感謝した。

 

 

しかし驚いたような表情のまま突然口ごもってしまった友雅がそんなふうに幸福に浸っているとは気がつかずあかねはますます俯いてしまう。

「ごめんなさい。今日だって友雅さん、こうしてきてくれたのに我が儘な事言って・・・

やっぱり誰か呼びましょう!」

そう言って立ち上がろうとしたあかねを友雅はもう一度ひっぱる。

ぽすっと音をたてて腕の中に収まったあかねの顔を覗き込んで友雅は笑った。

「そんな可愛い我が儘ならばいくらでも言って構わない。

それにあかねがそう言ってくれるのなら、いつでも私に会えるようにしようか?」

「え?」

戸惑うあかねに友雅は言った。

 

「私の妻になってくれまいか?」

 

「!」

思いがけない言葉にあかねは大きく目を見開く。

「もう雨にも何者にも隔てられないように。二人で雨を眺めよう。雨を楽しくも、雅にもとらえて。雨だけでなくいくつもの季節も時間も・・・私はいつでもあかねの隣にいるから。」

優しい、優しい言葉と眼差しに見開かれたあかねの瞳から涙がこぼれ落ちる。

宝石のように輝くそれを手ですくい瞳に口付けて友雅は笑った。

「疎ましい雨が嬉しい雨に変わっただろう?」

と・・・

 

それからあかねは雨が大好きになったとか・・・

 

                                                   〜 終 〜

 

 

  ― あとがき 
東条の友雅×あかね初書き作品です。わりと可愛く仕上げたつもりなんですけど、どうでしょ?
友雅さん、ちょっと偽物入ってるかな〜(汗)でも私の友雅さんのイメージってこんな感じです。
いつもあかねの事を見ててタイミング良く欲しい言葉をかけてくれる・・・だてに遊び人やってないね(笑)

そうそうそれから友雅の言っていた「落ち窪君」と「少将」というのは古典作品の「落ち窪姫」の登場人物で、このお話の中にあったシーンからこのお話を思いついたんです。
興味があったら読んでみて下さい。