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優しい音
―― 『神子、美しい旋律ですね?』
『え?ああ。この歌はね・・・・・』
―― 水無月八日、夜・・・・決戦前夜
龍神の神子こと、あかねは寝付けずにごろんっと寝返りをうった。
「あ〜、眠れないよぅ・・・」
明日の事を考えれば眠らなくてはいけないことはわかっているのだが、考えることが多すぎて眠れない。
特に・・・今日の事。
ふと今日の夕刻の出来事を思いだして、あかねは布団に突っ伏した。
永泉が寺に帰っていないという連絡を受けたのは今日の午後だった。
今までの戦いの中で彼がどれほど悩んで、傷ついていたか知っていたからあかねはひどく心配になった。
・・・・・もっとも最終決戦の前日だからと気遣ってくれる八葉たちを出し抜いて、彼の最も好んでいた音羽の滝まで行ってしまったのは、仲間として心配する以上の何かがあったのだけれど。
とにかくあかねの予想は見事にあたった。
永泉は音羽の滝にいたのだ。
思った通り悩んでいた彼を励まして、そして自分を取り戻した永泉の言った言葉に、心に流れを留めていた音羽の滝が感応して蘇った。
不思議な、忘れられない出来事。
でもそれ以上にあかねには忘れられないのは・・・
(あれって・・・あの永泉さんの言葉って、いいようにとっていいんだよね・・・)
滝に流れを戻した言葉を思いだし、あかねは思わず突っ伏した布団をぎゅっと握りしめた。
彼の言った言葉 ―― それはあかねへの恋慕の言葉。
(う〜〜〜〜、嬉しいよ〜〜〜〜)
途端に踊り出す鼓動にあかねは思わず笑ってしまう。
(私こんなに・・・・こんなに永泉さんのこと、好きだったんだぁ)
前から、たぶん出逢ったときからあかねは永泉の事が気にはなっていた。
初対面から一癖ある八葉達のオンパレードだったせいか、最後に出逢った永泉の印象はあかねにとって随分繊細でこれからの戦いに耐えていけるのか、一瞬あかねの方が心配になってしまったぐらいだった。
実際彼は戦いの間他のどの八葉よりも悩み通した。
それはきっと帝の弟であるという立場と、彼自身の弱さのせいだったのだろう。
そんな彼があかねは心配で、心配でしょうがなかった。
なにか暗い顔をしていると、また辛い目にあっちゃったんじゃないかな、とか朝いないと何かで悩んでるんじゃないかな、とか一日中気になってしかたなかった。
そのかわり永泉がなにか嬉しそうにしていると、あかねまでとっても嬉しくなって・・・
でも、そんなことは仲間として当然だと思っていた。
・・・・・それがそうじゃないかも、と思いだしたのはいつからだっただろう。
泰明に認められ、他の八葉達ともうち解けるようになって永泉が変わり始めた頃だったかもしれない。
少しずつ自分の居場所を見つけ、自分を見つけていった永泉は強くなった。
最初のうちは伺うように見ていた視線も、いつのまにか正面から見据えられるようになって・・・・その視線にあかねの鼓動は跳ね上がるようになった。
優しさと弱さのオブラートにくるまれた永泉の強さを垣間見るたびに、少しずつあかねの視線は彼に惹かれた。
考えてみれば随分好きになっていたのかもしれない。
・・・・・でも気がついたのは今日の夕刻。
流れの戻った滝の飛沫が舞う音羽の滝で、真っ直ぐな永泉の視線を見たとき・・・・
(どうしても・・・明日が終わってもずっと、側にいたいって思ったんだよね・・・)
永泉はきっとこれから変わっていく。
その変化を誰より近くで、ずっと見つめていたいとその願いの強さにあかねは自分の想いを自覚した。
(でも・・・)
あかねはきゅうに笑いを引っ込めると、今度は仰向けに転がる。
そしてうかない顔で天井にむかって溜め息をついた。
(でも・・・・本当にどうなるんだろう)
明日、決戦に勝てたとしてもあかねの未来は闇の中だ。
(永泉さんの側にいたい・・・・でも、永泉さんってお坊さんで、その上高い身分の人なんだよね。)
八葉の間でそれを気にする人がいなかったわけではないが、みんなが互いを仲間だと思い気持ちの方が強かったから見落としていたことを思いだしてさらにあかねの心は重くなる。
元の世界に帰りたい、と永泉の側に残りたい・・・・この気持ちの問題だけでも苦しいぐらい悩んでいるのに、永泉を取り巻く事情は輪をかけて複雑すぎる。
(側にいたいけど・・・それはできないことなのかなぁ・・・)
そう思った瞬間の胸の痛みに、あかねは顔をしかめた。
頭ではいかに理性的に考えていようとも、やっぱり気持ちは正直だ。
こんなにも素直に嫌なことを、辛いことを現してくる。
急に泣きたくなってあかねは、顔を覆った。
(やっぱり、一緒じゃなきゃ嫌だよ・・・・永泉さん・・・・・)
―― ちょうどその時、耳を掠めた微かな旋律にあかねははっと身を起こした。
静かな空間に、きっとずっと遠くから聞こえてくる澄んだ音色。
初めて会った時よりも、強さが増して凛とした美しさまで感じられるようになったあかねの大好きな音色。
・・・・・それは永泉の奏でる笛の音だった。
そして和笛には少し不釣り合いなその旋律は・・・・
「永泉さん・・・それは、本当は心を伝えられなかった、っていう歌なんだよ・・・・・」
つい呟いてあかねは笑ってしまった。
その緩んだ口元を幾筋もの涙がこぼれ落ちる。
微かに届く、でもあかねのためだけに奏でられるその旋律はいつか、あかねが口ずさんでいたのに永泉が興味をもった旋律。
歌詞にはきっとこちらの世界では理解できない事が多いと思ったから、曲名だけ教えてあげたあかねの大好きな歌。
その曲名にきっと彼は想いを託したのだろう。
小さな、微かな旋律なのに溢れるほどの想いが不安に震えていたあかねの心をあっという間に優しく包んでいく。
まるで音に抱きしめられているかのように。
―― 『大好きですよ、神子・・・』 ――
そんな言葉が掠めた気がしてあかねは微笑んだ。
「簡単な事なんだね?貴方を、自分の想いを信じていればいいんだ・・・・」
この先にどんな道があっても、どんな困難な未来があっても、自分の気持ちを信じていれば永泉の心さえ見据えていれば、きっと大丈夫。
大丈夫ですよ、と優しい笛の音が言っているような気がした。
あかねは溢れていた涙を拭うと、布団の中に入る。
そして本当は考えることが多すぎて眠れなかったのではなく、不安でどうしようもなくて眠れなかったのだと悟って思わず苦笑した。
(でも、もう大丈夫。)
明日が来ても、決戦を迎えても躊躇うことなく前へ進める。
きっと一歩先には優しい笑顔の彼が待っているから・・・・
あかねは遠くに聞こえる笛の音に抱かれるような幸せの中、眠りについた。
―― 『この歌はね、「Love Letter」っていう歌なの。』
『らぶれたあ?』
『あはは。Love Letterだってば。え〜っとこっちの言葉で言うとね・・・』
―― 『恋文って意味だね』
〜 終 〜
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