海へ行こう!



「海って所へ行こうぜ!あかね。」

夏休みに入っていくらもたたない暑い日の午後、のほほーんといつも通り公園でアイスクリームなんか食べていたあかねは、いきなり恋人であるイノリの提案にきょとんっとしてしまった。

「え、海?海ってあの海?」

「よくわかんねえんだけど、海ってとこだよ。」

この会話を聞いている第三者がいたとしたら、今日日海を知らない人がいるのかと驚いたことだろう。

しかしそれは現代で生まれて現代で育っていればの話であって、実はこのイノリには当てはまらなかったりする。

なんせイノリは京 ―― 時空の彼方の世界で暮らしていたのだから。

もし現代から龍神の神子として召還されたあかねと恋におち、こちらに来ることがなければ海など一生見ずに終わったかもしれない。

「そっかー。イノリくん海なんて行ったことないもんね。」

「ああ。だから行こうぜ。」

そう言われてあかねはあれっと首を傾げた。

イノリが押しが強い言い方をするのはいつものことだが、今日はそれに輪がかかっている気がしたのだ。

「イノリくん、何か海にあるの?」

あかねに尋ねられて、イノリはあからさまにぎくっとした顔をする。

「べ、別にいいだろ。なんでもねーよ。」

「そう?」

「そーだ。それで行くのか?行かないのか?」

まだイノリが何か隠していそうで少し気にはなったが、あかねは慌てて頷いた。

「行く!それじゃ、天真くんや蘭ちゃん、詩文くんにも声をかけて、それから・・・・」

「ちょっと待て!」

楽しそうに段取りを考えはじめたあかねをイノリは慌てて止めた。

「なんで5人で行くことになってんだよ。」

「へ?違うの?」

心底不思議そうに問い返されて、イノリは頭を抱えたくなった。

(なんでこいつは天然なんだよ〜〜〜〜)

・・・・そういう所にも惚れている事は頭の脇に置いておいてイノリは頭を上げて言った。

「あかねは俺と2人で行きたくねーのか?」

「え・・・ええ?!」

一瞬遅れて、あかねはどばっと赤くなった。

つられたようにイノリも赤くなって焦ったようにまくしたてる。

「ばっ、変な事考えるなよ?日帰りだぞ!別に俺やましいこと考えて海に行こうって言ったわけじゃねーからな!」

「う、うん。」

あかねもこくこく頷いて・・・・顔を見合わせた2人はぷっと吹き出した。

ひとしきり笑いあってからイノリはからっとした笑顔で言った。

「みんなで遊びに行くのもおもしれーけど、たまには2人で遊びに行きたいぞ。」

「うん、そうだね。」

あかねはにっこり笑って頷いた。








天気は晴天、まさしく海日和。

朝早くから家を出たのに海辺の駅についたのはもう日が昇りきった後だった。

駅に降りた途端に濃い潮の香りが漂ってくる。

「なんか変な匂いがすんな。」

「ふふ、これが海の香りなんだよ。さ、行こう!」

はしゃぐあかねにつられるようにして駅を出る。

そして駅から続くおみやげ物などを売っている通りを少し歩いた所で、いきなり視界が開けた。

その瞬間、イノリは思わず目を見張る。

「あれが海か・・・?」

目の前一面に広がる青い色。

絶えずキラキラと日の光を反射させて、どこまでも続いていて果てが見えない。

空に似ているようで違う、青い青い水。

「そうだよ。ね、早く行こう!見たら泳ぎたくなっちゃった。」

呆然と海に見入っていたイノリはあかねに手を取られて歩き出した。








海岸は波間で遊ぶ人で溢れていた。

体を焼いている人もいれば、もう海に繰り出して遊んでいる人もいる。

「さてと、私たちも泳ごう?」

ビニールシートを広げて荷物を置いた所でそう言うとあかねはいきなり服を脱ぎはじめた。

もちろん慌てたのはイノリだ。

「あ、あ、あかね!なにやってんだ!」

「え?何って水着になろうと思って。」

「だから、なんでこんな所で着替えはじめんだよ!」

「やだ、もう下に着てるの。水着」

そう言われて、へ?っとイノリは反射的に瞑っていた目を開けた。

・・・・そして少し見とれる。

オレンジベースのギンガムチャックのセパレート水着は子どもっぽすぎもせず、大人っぽすぎもせず、あかねによく似合っていた。

でもそれ以上に水着からのびた手足や、普段は見えない肌が意外なほどに白くて・・・・

何も言うことができずに、イノリはただ心拍数が上がる胸をもてあました。

しかしその沈黙をどうとったのかあかねは不安そうに眉をひそめる。

「似合わない、かな?」

「そんなわけあるか!」

思わず大声で否定してしまってイノリははっとして視線を逸らした。

「あ、とその・・・・似合ってる。すげー・・・可愛いから。」

後半はあまりに照れくさくて小さくなってしまったが、しっかり聞き取っていたあかねはぱっと花が咲いたように笑った。

「よかった!これイノリくんと海に行くことになってから急いで買ったから変だったらどうしようって心配だったの。」

嬉しそうに話すあかねはいつも以上に可愛くてイノリは照れ隠しにいきおいよくTシャツを脱いだ。

「ひゃっ」

今度は反対に目を覆ったあかねの手をジーンズも脱いで水着姿になったイノリがひいた。

「行こうぜ!」

「うん!」

2人はパッと海に向かって駆けだしていった。








それからは本当に夢中で遊んだ。

最初は波に戸惑っていたイノリもすぐになれて泳いだり波乗りしてみたり、はては砂のお城まで作って・・・・遊び疲れて海の家で水着から洋服にかえって出てきた時には、もうすっかり夕暮れだった。

「わー!夕焼けだあ!」

綺麗だね、と笑いかけられてつられてイノリも笑った。

「そうだな。しばらく見てこうぜ。」

「うん。」

2人は堤防に並んで座る。

自然と柔らかい沈黙が落ちた。

「実はさ・・・・」

ポツッとイノリが呟いた。

「実は俺、海に行きたかったからあかねを誘ったんじゃねーんだ。」

「?」

首を傾げて覗き込んでくるあかねから居心地悪そうに目を反らせてイノリは言った。

「天真がさ、お前の水着姿見たって言うんだ。京に来る前の話だけどって前置きがついてたけど。
・・・・でも俺、それ聞いた時すげーいやだったんだ。」

「?どうして?」

「どうしてって・・・・俺が見たことないあかねの姿を俺以外の奴が知ってるのが嫌だったんだよ!」

あーもう、いいかげんわかれよ!とガシガシ前髪を掻き上げるイノリをあかねは驚いたように見つめる。

「イノリくん・・・・」

こぼれだした自分の名前に嬉しそうな響きが滲んでいる事に気付いて、イノリはこっそり口元を緩ませた。

きっと彼女にこんな顔をさせられるのは自分だけだから、これは特権だとでも言うように。

しかし何を思ったのか、イノリはすぐに顔を上げるとあ、でもよ・・・と付け足した。

「来てみたら海ってすげー楽しかった。あかねの水着の事も忘れちまうぐらいにさ。」

「ええ?!そんなあ。」

私、海に負けちゃったの?と恨みがましい目で海を睨み付けるあかねを見てイノリはくっと笑う。

そして・・・・

「あかね」

「ん?・・・・?!」






夕暮れ最後の海風が2人の頬を撫でた直後、イノリはばっと立ち上がった。

「じゃ、帰るか。」

その背中をぽかんっとしたままあかねは見上げた。

―― たった今、イノリの唇が触れていった自分の唇を押さえて・・・・

「おいてっちまうぞ?」

相変わらずこっちを向かないイノリの耳が夕焼けのせいじゃなく赤い事にあかねは気がついた。

途端に胸がきゅんっと鳴った。

「イノリくん・・・・」

呟いた瞬間、こぼれそうなぐらいに嬉しくなって、あかねは立ち上がるなりイノリの背中に飛びついて言った。

「イノリくん、大好き!!」










―― ちなみに、翌日日焼け止めをつけることを等知らないイノリの思いっ切り日焼けした背中をやっかみ半分にぶっ叩いた天真が、コンマ3秒でぼこぼこにされていたとか、いないとか♪












                                    〜 終 〜