―― 君と出会った奇跡が、この胸に溢れてる

         きっと今は自由に・・・・














空も飛べるはず













「あんた、また一人『退場』させたでしょ。」

突然現れたメイが俺の部屋の扉をしめるなり、言った。

「・・・・なんだって?」

一瞬、意味を理解できなくて間が空いた俺の問いにメイはため息をつくと、閉めたばかりの扉に背を預けて腕を組んだ。

その肩で、今年の春にとったばかりの真新しい緋色の肩掛けが滑る。

緋色の肩掛けはメイがクラインへの永住権を得た時に同時に取ったものだ。

・・・・メイが俺のひどく不格好な告白に頷いた後に。

『筆頭魔導士の恋人が役立たずの見習い魔導士じゃ、あたしのプライドが許さないの』

わざわざ魔導士、それも最高位に限りなく近い資格を取る必要などないと言う俺の意見をメイはそう言ってあっさりしりぞけやがった。

・・・・じゃなかった。

今、メイはなんて言った?

ぽかんとしている俺を見て取ったのか、メイは呆れたような表情で言った。

「あんたね、人の話聞いてた?」

「あ?」

「あ、じゃない!いい?もう一回言うからね?
・・・・シオン、昨日の夜また一人、いらなくなった『役者』を『退場』させたでしょ?」

「!?」

ぎくっと表情がこわばったのが自分でもわかった。

だが、そんな事は一瞬でポーカーフェイスに隠す。

「なんのことだか?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

無言で見つめるメイの視線に、居心地の悪さを覚えて俺はペンを置くと立ち上がった。

「それより暇ならお茶でも煎れるぜ?」

「・・・・・・・・・・・・・」

メイは答えない。

それを勝手に了承と取ることにして俺は部屋の隅に置いてあるティーセットに手を伸ばす。

カチャ

静かすぎる空間に響いた硬質な音がひどく耳障りな気がした。

カチャ・・・・・カチャ・・・・・

なんでこんなに音がするんだ?

ただ、いつも通り茶を煎れるだけなのに。

なんで

―― オレハ、フルエテイル・・・・?

「シオン」

「飲んでくんだろ?忙しくてもそれぐらいは時間が・・・・」

「シオン!!」

ぱんっ

茶器の音とは違う、乾いた音を俺は遠い世界の音のように聞いた。

次いで、もたらされるのは両頬への鈍い痛み。

その時になって、俺は初めてメイがいつの間にか俺の前に来て両手で俺の頬を挟むように叩いた事を知った。

痛い、と文句を口にしかけて俺ははっとした。

メイが鮮やかに笑っていた。

「やっと、こっち向いたわね。」

「メイ・・・・」

「・・・・昨夜、あたしさ見ちゃったんだ。」

「え?」

「王宮に帰ってきたあんたを。」

どくんっと心臓が嫌な音をたてた。

昨夜、昨夜は重臣の館へ行った。

セイルを皇太子の座に押し上げるために必要な男だった。

だが・・・・セイルが正式に即位するにあたって自分の娘を皇后にしろと要求してきた。

そうなれば政権の半分は掌握されてしまう危険性がある。

だから・・・・















―― コロシタ















急に全身の血が凍り付いた気がした。

人を殺した事が初めてだったわけじゃない。

・・・・だが、メイがこの手に降りて来てから、自分の手が血に濡れている事が酷く怖くなった。

だから必要があって人を殺す事があっても、けしてメイには知られないように完全に隠していた。

血に濡れた手でメイに触れる事が怖かった。

そうだと知られることが、怖かった。

その手を嫌ってメイが去っていってしまうことが、怖かった。

―― アア、ソウカ

―― ソレデコンナニ

―― オレハ、オビエテイルノカ・・・・

どくんっ・・どくんっ・・

心臓の嫌な音が大きくなる。

頬にふれているメイの手の熱だけが、感じられる唯一の現実のように。

すべてが虚構のように。

「メイ・・・・」

零れ落ちた響きは、信じられないほど頼りなかった。

それを聞いたメイの表情が、今まで見たこともないほど

優しく、崩れた。

「ばーか。」

「?」

「何、絶望的な顔してんの。あんたが何をしてきたか、そんな事をあたしが知らないわけないでしょ?」

「・・・・・・・・・」

わかってる、メイはそんじょそこらの女じゃない。

だから、惚れた。

でも、頭で知っているのと実際見るのは違うだろう?

だから・・・・

俺はうつむく。

俺を恐れるメイの瞳は見たくない。

俺に同情するメイの瞳は、もっと見たくない。

その時

―― 唇に柔らかい何かが触れた

それはあまりに優しくて、俺はそれがメイの唇だと気づくのにずいぶんかかった。

「メイ・・・・?」

驚いて顔を上げれば、そこにあるのは挑戦的なまでに鮮やかな笑顔を浮かべたメイの顔。

「シオン、どうせ私が怖がるか同情するかすると思ったんでしょ?」

何もいえずに俺は黙る。

その沈黙に呆れたようなため息をはき出して、メイは言った。

「あたしを甘く見ないでよ?シオンがセイルを王位につかせるためなら、どんなことでもやる事ぐらい、ちゃんと知ってるよ。それも全部承知であたしはシオンが好きなの。
なのに、恋人になってからあんたはそう言う部分を隠してばっかり。あたしには当たり障りのないところだけ見せて、真綿でくるんだみたいに・・・・。
はっきり言って、そんな扱いはもうごめん!」

そう言ってメイは俺の頬に当てていた手を離すと、びしっと人差し指を突きつけて言った。















「あたしはシオンの人生に付き合う覚悟で、あんたが好きだって言ったの!綺麗な部分だけじゃない、汚いところまで全部、あたしが見てるから。」

















息をするのを一瞬忘れた。

次いで襲ってきた震えるほどの愛おしさに、詰まりながら呟く。

「お前・・・・馬鹿だな・・・・」

「恋人も馬鹿みたいだから、ちょうどいいでしょ。」

「まったく・・・・」

小さなメイの肩に自分の額を押し当てる。

俺の背中を軽く叩く甘さの欠片もない仕草がやけに俺を落ち着かせて。

そっと顔を上げてメイを見れば、メイはやっぱり笑っていた。

小生意気にすら見えるメイの額に俺は自分の額を押しつける。

「メイ。」

「何?」

「本気で一生、俺に付き合ってくれるか?」

二度目の告白のつもりで神妙に言えば、メイはくすっと笑って答えた。

「その答えは一年前に言ったでしょ?好きよ、シオン。」

その時俺はふと気づく。

「まさか、お前が緋色の肩掛けを取ったのは・・・・王宮で働くためか?」

「気づくのが遅いって。」

腕の中で軽やかに笑うメイを見て、俺は目を細める。

たぶん、奇跡だったんだな・・・・お前と出会えた事は。

だったら、けして離さない。

「メイ、愛してるぜ。お前は・・・・やっぱり最高の女だ。」

「それも、気づくのが遅い。」

軽口のように言い合って、額を合わせたまま、俺たちは笑った・・・・















―― 君と出会った奇跡が、この胸に溢れてる

      きっと今は自由に、空も飛べるはず

        ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも

           ずっと側で、笑っていてほしい・・・・・















                                 〜 END 〜