―― 森の奥には入っちゃいけない。

       森の奥には魔法使いの迷宮があるから。

            一度迷い込んだら・・・・魔法使いに捕まってしまうよ









迷宮の檻









薄暗い森の中で、リュートは焦っていた。

(ケイナの奴、どこ行っちゃったんだ?手を離すなってあれほど言ったのに・・・・)

リュートは下草をかき分けて必死に幼い妹の姿を探す。

両親の言いつけで野いちごを摘みに来たのに気紛れに現れたウサギに気をひかれてリュートの手を振り切ってケイナが走り去ってしまってから、もう随分たつ。

最初はすぐに戻ってくるだろうとたかをくくっていたリュートも太陽が傾き出す頃になるとさすがに慌てはじめた。

もともと森の裾に住むリュート達にとっては遊び慣れた森。

でもこの森には・・・・・

(森の奥まで行ってたらどうしよう)

村の噂になっている事を思いだしてリュートはぶるっと震えると大きく首を振った。

(魔法使いなんているもんか!どうせ大人が僕たちをからかうための嘘に決まってるんだ!)

強がってはみても野いちごを入れた籠が細かく震えているあたりにおびえが見て取れるのだが、リュートは強く籠を握りしめて先へ進みだした。

と、その瞬間だった。

ガサッ!!

すぐ近くの茂みが不自然に揺れた音にリュートは反射的に飛び退いた。

しかし、飛んだ先が悪かった。

リュートが飛び退いた先の地面は、まるでリュートの体重を支えきれなかったかのようにぽっかりと口をあけてしまったのだ。

「うわああああーーー!!!」

バランスを崩したリュートはその穴に吸い込まれるように落ちた。

・・・・悲鳴が収まった後、リュートを飲み込んだ穴の縁には野いちごが零れた籠だけが静かに揺れていた。







「・・・・ん・・・・」

頬を撫でる冷たい風の感触にリュートは薄く目を開けた。

しかし目に飛び込んでくるはずの風景はなく、かわりに見えたのは闇。

一瞬、どこにいるのかわからなかったリュートは体の節々が訴える痛みにさっきの出来事を思いだした。

(僕・・・死んじゃった・・・?)

そう思えるような状況だが、そのわりには体はあちこち痛いし体にあたる感触はやけに冷たくて、どうも女神様の御元とは思えない。

手探りでまわりを探ればなんとなく岩の感触なのがわかってそれづたいにリュートは歩き出した。

長い、洞窟のようだった。

しばらく歩いてそろそろ心細さにリュートが泣くたくなってきた頃、突然前にぽつっと光が現れた。

(やった出口だ!)

ほとんど走るように光に近づいて・・・・光の中に飛び出したリュートは、やはり自分は死んでしまったのではないかと思った。

だってそこは、少なくともリュートの知っている森ではなかったから。

洞窟のすぐ外には円上に木々に囲まれた真っ白い花が咲き乱れる野があった。

そしてそこには








―― 天使がいたから








その人はリュートが神殿の絵で見たような繊細な美しさを持つ彫像のような姿ではなかったけど、どこか冴え冴えとした印象をあたえる大地の色を有する天使。

膝より少し上までしかない白いシンプルなワンピースがまるで聖なる衣のようで。

彼女は木々の間を縫って差し込む銀色の光に焦がれるように見つめていた。

真っ白い花の咲き乱れる野に一筋差し込む光の中に佇む天使・・・・

(綺麗・・・・)

完全に目を奪われたリュートは思わず一歩踏み出していた。

その瞬間、ガサッと足下の草が鳴った。

はっとしたように天使が振り返る。

「誰?!」

真っ直ぐに向けられた茶水晶の瞳にリュートは息が詰まるかと思った。

意志の強さが一目で見て取れる瞳だった。

でもそれ以上にその瞳にはなにか目を離せなくなるような光があって。

「あ・・・の・・・・」

声が掠れた。

説明しなくてはいけないのに、どうしても上手く頭が動いてくれない。

その様子を見て天使の方が少し小首を傾げて近づいてきた。

「どうしたの?だいたいどうしてこんな所まで入って来ちゃったの?」

「あ、あの僕・・・その、野いちご摘みにきて穴に落ちちゃって・・・そしたらここへ・・・・」

しどろもどろに説明されて天使は納得いったというふうに頷いた。

「迷い込んじゃったんだ。そうだよね、自分からこんなところへ来ちゃう人がいるわけないんだから。」

「あの、ここってどこなんですか?」

不安そうに問われて天使は困ったように少し考えてから言った。






「檻・・・かな。」






「檻?!」

「ああ、大丈夫。別にあんたを閉じこめるためのとかじゃないから。」

悲愴な悲鳴を上げたリュートに天使はクスクス笑って保証した。

そして少し表情を翳らせる。

その寂しそうな、困ったような表情にリュートは気がついてしまった。

「・・・・・閉じこめられてるんですか・・・・・?」

えっと驚いたように天使はリュートを見た。

「閉じこめられてる・・・・・?」

「だって檻なんでしょう?」

そう言われて天使は少し考えるようにしてそれから自嘲気味に苦笑った。

「そうだった。あたし閉じこめられてたんだっけ。」

「忘れてたの?」

「そうね。なんせ閉じこめられたのもいつのことだか忘れちゃったから。」

どうして閉じこめられた事を忘れてしまうのか、よくわからなくて首をかしげたリュートに天使は小さく溜め息をついて話し始めた。

「・・・・・今があの時からどれぐらいたったのかわからないんだけどずっと前にね、あたしはクラインっていく国を助けたくてお隣の国にスパイに行くってお仕事をいいつかったの。でもそのお仕事はすごく危ないお仕事でね、なにかあったら死んでしまうからってみんなが止めてくれたわ。
でもあたしは行きたかったんだ。あたしは大好きな人がいて、その人を守りたかったから・・・・だからね。
でもさ、いざ出発っていう前日の夜にその当本人がやってきてあたしの言うことなんか全然聞きもしないでここへ連れてきたの。
でね、言ったの。
ここにいろって。ダリスなんかへ行かせない。お前が考えて良いのは俺の事だけだって。
横暴でしょ?
・・・・でもね、泣きながら言うの、そいつ。泣き方も忘れたって言ったくせにね。」

そしてほんのちょっと寂しそうに天使は笑った。

「迎えに・・・・来ないくせにね。」

リュートは息を飲んだ。

天使が、泣き出してしまうかと思った。

でも彼女が泣き出すことはなかった。

ただ困ったように笑っただけ・・・・

「どんな、人だったの?」

「え?ああ、そいつ?」

一瞬誰の事を言われたのかわからなかったらしい天使は少し笑って肩を竦めた。

さらっと茶の髪が彼女の肩を滑るのがひどく目をひいた。

「わけがわからない奴だったわね〜。女ったらしって言われてて会えばいつでもどこでも抱きついてくるし、耳元で囁くし。たちの悪い男だったなあ。
最初に会った時本能であたしは「こいつはやばい!」って思ったんだから。
そのカンはばっちり・・・あたったんだけどね。」

「やばかったの?」

どこかヘンテコなリュートの問いに天使はあははっと笑う。

「やばかった。・・・・だってあいつ、本当はすごく弱くて頼りない奴だったんだもん。
だから、気がついたら側にいてあげなくちゃって・・・思ってた。」

天使は初めて自分から目を伏せた。

差し込む月明かりだけじゃ影になって見えない彼女の瞳に銀色に輝く何かを見たような気がして、リュートはきりっと胸が痛んだ。

(きっと・・・)

「とっても・・・・好きだったんだね?」

「え・・・・」

驚いたように天使は顔を上げる。

そして少しの間リュートをじっと見つめて、それからふうっと溜め息をついた。

「・・・・やっぱりあいつ女ったらしなんかじゃないじゃない。こんな小さな子でも気付くような事に気づけなかったなんて・・・・」

その時、風が吹いた。

柔らかく、天使を包み込むように風は渦巻く。

茶の髪が優しく弄ばれて、天使は淡く笑った。

まるで誰か見えないものに笑いかけるように・・・・

そして天使はひょいっと身をかがめると足下にあった白い花を一輪手折った。

それはよく見れば淡い光を放っている。

「これを持って森を歩いていけばたぶん元のとこに戻れると思うから。」

「え?でも・・・・」

受け取ることを戸惑ったようなリュートに天使は花をしっかり握らせた。

その花は優しく光っていて儚くて、まるで目の前にいる彼女のようで。

リュートは彼女の手をきゅっと掴むと呟いていた。

「一緒に行こうよ。」

「え?」

「この花を持ってれば出られるんでしょう?なら一緒に行こうよ。」

そう言われて天使は困ったように微笑む。

「それは・・・・やめとく。」

「どうして?閉じこめられてるのは悲しいでしょ?」






「・・・・・でも、あいつが来るかもしれないから、ね」






そう笑んだ天使は綺麗で。

あまりにも綺麗で、リュートはなんだか悲しくなった。

きっとこの先彼女に出逢うことはないだろうに、彼女を忘れることができない。

この囚われの天使をわすれることなんて、できない。

「さあ、はやく帰ったほうがいいよ。きっと家族が心配してるから。」

そう背中を押されてリュートは歩き出した。

戸惑うようにゆっくり・・・後ろを振り向きながら少しずつ速く・・・気がつけばリュートは走っていた。

振り返らないように、けして。

振り返ったらきっと家族のもとには、元の世界には帰れないとなぜか思ったから。

幻想の野を抜ける直前、リュートは一瞬だけ天使を振り返った。

・・・・真っ白な花に囲まれた天使の背にミッドナイトブルーの青年の影が見えたのは、リュートの気のせいだったのか、二度と確かめることができなかった・・・・・







「リュート!!」

聞き慣れた声にはっとした時、リュートは遊び慣れた森にいた。

木々の間からランプをもった兄や姉、いなくなっていたケイナも駆け寄ってくる。

「リュート!大丈夫だったか?!」

「にい・・・さん・・・・」

呆然と立ちすくんでいるリュートが口をきいたことにほっとしたように兄は息をつく。

姉は無事を確かめるようにリュートを抱きしめた。

その腕が暖かくて、優しくてリュートは涙が零れた。

幻想の野が、天使が幻になっていく・・・・・

「お前、一体どこへ行ってたんだ?」

「兄さん・・・・僕・・・・僕・・・・・」

泣きじゃくる弟の様子に何かを感じたのか、兄はリュートの頭をくしゃっと撫でただけで何も聞かなかった。

涙で歪む視界の端で握っていた花が空気に溶けるように消えていくのが見えた。

無邪気に寄ってきたケイナが言う。

「よかった。リュー兄さん、森の迷宮の魔法使いに連れて行かれちゃったかと思ったわ。」

「・・・・・森の奥にあるのは迷宮じゃなかったよ・・・・・」

えっとリュートを見た兄姉達に気付いていないかのように、リュートは姉の腕の中で泣きじゃくり続けていた・・・・・







―― 森の奥にあるのは迷宮じゃない







―― 森の奥にあったのは、天使を捕らえた檻だった・・・・・・














                                            〜 END 〜
                           (Special Thank’s 17171hit!! by、東条瞠)