風と天使
それは相変わらずエトワールとしての使命を頑張るエンジュが辺境の星から帰還したある日の事。 「ユーイ様!いらっしゃいますか?」 執務室で苦手な書類と格闘していたユーイは、小さなノックに続いて聞こえた声に驚いて顔を上げた。 慌てて執務室のドアを開けると、そこには緩く編んだ三つ編みに深紅の瞳の少女、エトワールことエンジュが立っていた。 「エンジュ!?」 「はい。」 「驚いたな。帰ってたのか?」 「昨日、帰ってきました。」 「そっか。あ、入ってくれ。」 ドアを大きく開いてそう言うと、エンジュはちょっと遠慮がちに中に入って執務室の机の上に目を留める。 「あ、お仕事中でした?」 「いいんだ!ちょうど休憩にしようと思ってたとこだったし!」 ほとんどエンジュの言葉にかぶせるように言ってしまった返事に、部屋の隅に控えていた補佐官が苦笑したのが視界に写ったが、それは見なかったことにした。 エンジュに会うのは6日ぶりなのだ。 彼女に特別な好意を寄せている身としては、それこそ3倍にも4倍にも感じられる彼女の不在に耐えてきてやっとその顔を見られたというのに、たった1言、2言の会話で帰ってしまわれるぐらいなら、残業や女王補佐官のお説教に耐える方がずっとマシだ。 というわけで、エンジュの背中を押すようにして奥の私室まで連れて行って最近はほとんど彼女専用になっているソファーに座らせる。 「それで、今回は随分遠くまで行ってきたんだよな?」 第一声にそう言ってしまって、ユーイは「しまった」と思う。 (長旅だったんだから、「元気にしてたか」とか、気遣ってやるのが普通だろ、俺。) きっと今そろっている年上の守護聖達なら真っ先にそう聞いただろうと思って、軽い自己嫌悪に陥るが、エンジュは気にした風もなく答えてくれた。 「そうですね。片道3日、往復6日ですからそれなりに。」 「6日か。なんかもっと随分長い事、エンジュに会ってなかったみたいな気がするけど。」 「私も随分久しぶりにユーイ様にお会いするような気がします。」 「そうか。同じだな!」 顔を見合わせてにこにこ笑い会う二人。 ―― 同じって、それで終わってええんか!? どこか遠くでツッコミ命の元商人の声が聞こえた気がしたのは、そこにお茶を運んできた補佐官だけで、とうの本人達は『同じ』だけで十分に満足してしまっている。 似たもの同士というか、どっちも大概鈍感というか・・・・微笑ましいような気分で紅茶のカップをユーイとエンジュの前に補佐官は置いた。 「あ、ありがとう。」 「すみません。」 それぞれに頭を下げられて、補佐官はにっこり笑って下がった。 その彼を見送って、ユーイはエンジュに向き合う。 「で、今度の星はどうだった?」 「うーん、まだまだ未開の星っていう感じでした。人も少ないし。」 「環境の悪い星なのか?」 「環境が悪いというか、開拓されてないって感じです。森も深いし、山も切り立った高い山が多かったですし。」 「じゃあ、サクリアを送ってらもう少し人が増えるな。」 「はい、きっと。自然は豊かそうでしたから、少しだけ人の住む場所をわけてもらえるようになれば、十分人の住める星になると思います。」 そう言ってエンジュは嬉しそうに笑った。 6日ぶりの、眩しいエンジュの笑顔にユーイの鼓動がどきっと跳ねる。 エトワールとしてこの宇宙に貢献できた時のエンジュは本当に綺麗に笑う。 見る者を惹き付けずにはいられない笑顔。 その笑顔1つで6日会えなくて苦しかった想いを清算しておつりがくるぐらいだ。 「・・・・よかった。元気そうだな。」 「え?」 「明るい綺麗な笑顔だからさ。」 (『俺が好きな』・・・・) 本当は付け足したい言葉はさすがに心の中に秘めておく。 ・・・・口に出した言葉がすでにオスカー並の台詞である事に気が付いていないあたり、さすがユーイである。 おかげでちょっと色づいたエンジュの頬に気づくことなく、ユーイは紅茶を一口飲むと思いついたように口を開いた。 「なあ、俺、エンジュに聞いてみたかった事があるんだ。」 「?なんですか?」 「エンジュって色んな星雲の色んな星に行くだろ?」 「はい。」 「もしかしたら俺、すごく無神経な事言ったらごめんな。その・・・・怖くないのか?」 「え?」 どういうこと、というように小首を傾げるエンジュにユーイはあわあわと言葉を重ねる。 「いや、そのさ。未開の惑星っていう事は危ないこととか、知られてない生物とかいたりするかもしれないだろ?そんな事、考えて心細くなったりしないのかって。ちょっと思ったんだ。」 ・・・・実は『ちょっと』じゃなく、エンジュが宇宙に出て行くたびに気になっていたのだけど。 『女の子のくせに何でもないみたいに星を渡って』 いつか自分が言った言葉。 でも本当に何でもないんだろうか。 もしかして、怖い思いをしていたり無理していたりしないだろうか。 しかしユーイの考えと反して、エンジュはあっさり言った。 「心細くも、怖くもないですよ。」 「ほんとか?」 「はい。・・・・ほんの少しだけ、アウローラ号で宇宙を飛んでいる時に寂しくなったりする事はありますけど、本当にちょっとで。」 「アウローラ号?惑星に降りた時じゃなくて?」 「はい。アウローラ号って航行中は皆さん忙しく働いていて、私にかまっている暇はないのでちょっとだけ、寂しくなる事もあるんですけど、惑星に降りた時に怖いとか心細いとか思った事はないです。」 「どうして?」 ユーイが首を傾げたのも無理はない。 未知の惑星に女の子一人で降り立つのに、なんで護られたアウローラ号より不安がないんだろう、と。 「惑星に降りる時もそんなにアウローラ号からは離れませんし、それに・・・・どこの惑星でも、船から降りると必ず風が吹くんです。」 「風?」 「はい。不思議なんですけど、必ず。でもそうするとまるで・・・・」 半端に言葉を切ってエンジュははにかむような笑みで言った。 「ユーイ様が側で大丈夫って言ってくれているように思えるから。」 「・・・・俺・・・・?」 「はい!どんなに遠くに行っても必ず。風が吹くたびに、ガンバレとか、大丈夫とか言ってもらってるみたいで、ほっとするんです。 風に護られているみたいで。」 そう言ったところでエンジュは無邪気にあっ、と声を上げる。 「もしかしたらアウローラ号で宇宙を飛んでいる時は、風が感じられないから寂しいのかも。うん、そうかもしれないですね。」 うんうん、と一人納得しているエンジュはさっき1言発してからユーイが完全に固まっている事に気が付いていない。 「あ、でも風=風のサクリアっていうわけじゃないんですよね?うーん、またいい加減な事を言って勉強不足だってエイミーに怒られちゃうかも・・・・」 がたっっっっ 苦笑してエンジュが笑い飛ばそうとした瞬間、ユーイが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。 「?ユーイ様??」 驚いて目を丸くするエンジュが見上げた時にはユーイはすでにエンジュに背を向けていた。 「??」 「お、俺、お茶のおかわりをもらってくるよ!ちょっと待ってろ!」 バタバタ・・・がんっっ! 「あっ!?」 「い、いいから、座ってろ!」 何故か私室のドアに思い切り額をぶつけて、それでもよろよろと部屋を出て行ったユーイを半ば呆気にとられたように見送って、エンジュは首を捻って呟いた。 「・・・・まだお茶、全然飲んでないんだけど?」 「おや、ユーイ様。どうされたんです?」 執務室でユーイのやりかけの仕事を整理していた補佐官は私室から転がり出てきたユーイに驚いて声をかけた。 しかし出てきたところでうずくまってしまったユーイは無反応。 不思議に思って覗き込んだ補佐官はその顔を見た途端、だいたいの事情を把握して微笑んだ。 「お茶のおかわりですね。『なるべくゆっくり』煎れて参りますのでお待ち下さい。」 「・・・・うん、よろしく。」 それだけ答えると優秀な補佐官は簡易のキッチンの方へと去っていった。 残されたユーイは完全に脱力したようにその場にズルズルと座り込む。 そして胸を中心に身体中に荒れ狂う熱をはき出すようにため息をつく。 「あ・・・・ぶなかった・・・・」 飛び出して来なかったらだぶん、間違いなく今頃 ―― エンジュを抱きしめていた。 風が吹くから・・・・自分が側にいるみたいだから不安はないです、なんて好きな女の子に言われて頭に血が上らない男がいるわけがない。 おかげで、衝動だけでエンジュを抱きしめたくなるのを押さえるのにものすごい精神力を使ってしまった。 「エンジュ・・・・」 名前を呟いただけで胸が痛くなる。 「・・・・好きなんだ、お前が。」 ドア1枚隔てた向こうに、今も訳がわからず取り残されている相手に向かっての告白は折角散りかけていた熱を余計にあげさせている気がして、ユーイは頭を抱えた。 (なにやってんだよ、俺。) 早く戻らないとエンジュがおかしく思ってしまうのに。 うるさいぐらいに大きな音で聞こえる鼓動に、途方に暮れたようにため息をついて、ユーイはいまだに熱の引かない頬にぺちっと掌を叩きつけた。 ―― 完熟トマトよろしく真っ赤になった顔を元に戻すのに、ユーイがさらなる精神力を要求されたのは言うまでもない。 〜 Fin 〜 |