幸福論



雪が少しずつ少なくなり、この奥州にも春の気配が近づく。

それを微かに感じる事ができる高館の縁で、武具の手入れをしていた私の背に不意に重さがかかった。

「あ・・・・」

背にあたる暖かさ、触れる身体の柔らかさ、そして密やかに香る沈香の香。

間違えるはずのない、この世で最も尊く・・・・愛おしい気配。

目線だけ背の方に流せば、紫苑色の髪が目に入った。

私より頭一つ分小さな少女の、背中が。

「神子様?」

とくん、と早まった鼓動の示す彼の人の名を呼べば、零れるような笑い声が耳をくすぐる。

「銀。」

「はい。」

「銀。」

「はい、どうかなさいましたか?」

「ううん。」

戯れのように何度も私の名を呼ぶ神子様の声に、私は戸惑う。

けれど、その鈴のような声に翳りは感じられず、どこまでも明るい。

「ご用でしたでしょうか?」

「うん、そうだったんだけどね。・・・・特に急ぎでもなかったし、どうでもよくなっちゃった。」

「?どうでも?」

「・・・・ここに座ってる銀見たら。」

そう言って、神子様はまたクスクスと笑う。

「なんだか、お日様の中の銀が、すごくすごく、可愛かったから。」

「可愛い、ですか?」

男性には向かない形容に、苦笑を漏らした私の声に、神子様がひとつ頷いたのが背に振動として伝わった。

「うん、可愛かった。お日様の中で座って普通に何かしてて。
・・・・だってね、考えてみると私、銀の印象って寂しそうに笑ってる印象が強かったから。」

落ち着いた声音で紡がれる言葉を私は否定できない。

確かに神子様のおっしゃる通り、私はおそらく彼女の前では寂しげな笑みを浮かべていたのだとわかるから。

その主な原因は、神子様と自分のあまりにも近くて遠い距離のせいだったのだけれど。

「だから、銀の背中を見た時ね。」

そう呟いたと思ったら、背の暖かさと重みが急に消えた。

「!・・・」

不意の消失感に思わず私が振り向こうとした瞬間 ――

後ろから顔の横をすり抜けた白い腕に。

―― 抱きしめられた。

「!?」

「・・・・銀。」

私の名を呼ぶ声は、神子様の頭が私の肩に押しつけられているせいでくぐもっていた。

その振動が、神子様の暖かさが、私の鼓動を狂ったように打たせる。

それに追い打ちをかけるように、貴女は囁く。

「誰かの穏やかな背中がこんなに大切だって思ったことはなかった。でも、銀の背中を見てたら、ぎゅって抱きしめたくなるぐらい、可愛くて、大事で、とまんなくなっちゃった。」

クスクスと笑いを籠もらせた声を聞きながら、私は密かに神子様が私の背にいることを感謝した。

自分が今、どんな顔をしているかなんて想像がつかない。

笑っているのか、真っ赤なのか、泣きそうなのか、困っているのか ―― ことによると、その全てかもしれないと思うぐらい、頭が真っ白になるぐらい・・・・嬉しくて。

「失礼致します。」

「え・・・きゃあっ!」

急に身体を反転させると、不意打ちに驚いて声を上げながら神子様の身体が腕の中に転がり込んでくる。

その身体を柔らかく抱き留めて、心の赴くまま、その白い額に唇で触れる。

「銀っ!」

「ふふ」

ぱっと頬を赤く染める神子様の澄んだ瞳と、本日初めての出会いをして。

私は微笑んだ。

―― ああ、きっとこういう事を言うのでしょうね・・・・

大切な存在が、何の憂いもなく自分の腕の中で笑っていてくれる。

目の前には共に歩む未来がある。

「神子様・・・・いえ、望美様。」

「はい・・・・え?今、名前」

「望美様。私はとても ――」





―― 囁いて、視線を合わせ零れるように、銀と望美は笑い合った。
















                                             〜 終 〜










― ひとこと ―
出だしのシュチュエーションは知望の「awear」と一緒・・・・ですが、雰囲気はものの見事に違いますね(^^;)







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