あかいろ
紅を指すのは苦手。 そもそも、唇に色をのせる自体、望美にとっては馴染みのない行為な上に、現代ならともかく京と呼ばれるこの世界ではリップスティックの様なものはない。 小さな貝に入った鮮やかな紅を小指ですくって唇にのせるのだ。 なんだか気恥ずかしい上に、上手い具合につけるのは至難の業だ。 それでも、現在「熊野別当の妻」という立場にいる望美は、時と場合によってはちゃんと化粧をしなくてはいけない。 だから必要とあれば四苦八苦して、その上、似合わないんじゃないかと悩もうとも、一生懸命紅を指す。 ・・・・だというのに 「〜〜〜〜〜〜〜ヒノエくん!」 今日も、重要なお客を迎えるというので鏡に向かっていた望美はとうとう、肩を震わせて叫んだ。 「なに?姫君。」 くすり、と視界の隅でヒノエが笑う。 といっても、ヒノエは望美の背中側。 床に転がって片方の立てた腕で頭を支えてこっちを見ているのだから本当なら見えない位置。 けれど、見えるのは鏡のせいだ。 望美の顔が映ってる丸い視界に、入り込んでいる緋色。 もちろん、ただ映っているだけなら望美だって気にしない。 「あんまり見ないでっていつも言ってるでしょ!」 (それでなくったって紅指してるなんて恥ずかしいのに!) 鏡越しにずっと見つめる視線を感じないほど望美は鈍感なわけじゃないのだ。 しかし堪えきれなくなって叫んだ望美の目に映ったのは、さも面白そうに笑うヒノエの姿。 「気にしすぎだろ?」 「そんな事ないよ!」 「どうして?ただ見てるだけだぜ?」 「だって、あんな・・・・!」 言いかけて、望美はうっと口をつぐんだ。 なにせ、勢いで口に出してしまいかけた言葉の続きは (あんな熱っぽい目で見られたら!) なんて、言葉だったから。 鏡越しに、ずっと受け止めていた視線はとにかく甘くて、熱っぽく。 絶対確信犯だとわかっていても、恋愛経験の豊富とは言えない望美には対抗しようもなくて。 おかげさまで何度、失敗しそうになったことか。 などなど、口に出せずに鏡越しに望美が悔しそうにヒノエを睨み付けると、丸い視界の中でひょいっとヒノエが立ち上がった。 「?」 一瞬、ヒノエの姿が鏡の中から消えて、不思議に思って望美が振り返ろうとした途端、にゅっと肩から手が生えて抱きしめられた。 「ちょ、ヒノエくん!?」 確かめるまでもなく、一人しかいない悪戯の主を振り返ると、直ぐ後ろで視線のぶつかったヒノエが笑う。 その笑顔があんまりにも嬉しそうだから、望美は言葉を失った。 「ねえ、ホントはさ、俺は紅が嫌いなんだよ。」 「え?」 「だってお前が紅を引いちまうと、触れられなくなるだろ?今みたいに、可愛いって思ってもさ。だから失敗しねえかな、と思って見てた。」 「な、え?」 なんだかとんでもなく恥ずかしい事を言われているような気がして、目を白黒させる望美を見つめながら、自分の方へ向き直らせると、ヒノエは覗き込むようにして悪戯っぽい笑顔を浮かべると言った。 「でも、これを落とすのは俺の特権だから、それまで我慢しとくよ。」 ご丁寧にウィンクも一つ付けて、額に口付けられた望美は。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ばか。」 唇を彩る紅より鮮やかに赤く染まった。 〜 終 〜 |