50   もてない(?)鈴虫

子供の頃の私は、生活の全てに動物が関わっていた。ハエ、蚊から蝉・トンボ・蛍から毛虫類等様々な昆虫や、カエル・ドジョウの川魚。山へ行くとヘビ・リス・サル、そして庭に飛んでくるツバメや雀、コウモリまでいた時代である。社会人になるまで色んな動物と接し遊んだ思い出がある。

生まれた時から家にいたのが猫と鶏で、猫はネズミを退治するため、鶏は食卓の卵が目的である。そして、農耕の為に必ず飼われていたのが牛か馬で、曲がり屋で代表されるような厩等がある。これが、当時の一般的な農家の姿であった。

我が家にはこれに、乳牛が2〜3頭加わる。親父が好きで飼育したもので、お袋に言わせると”たった一つの道楽だから仕方がないが、家族が大変迷惑した”と言うことになる。何せ大きい乳牛であるから、家族全員で毎日の面倒を見なければならないのである。朝の新鮮な草を刈集め、3食の餌をきっちり与え、汚れやすい馬屋を何時もきれいに清掃する事は、主に長男の仕事。私と次男は、冬以外は運動を兼ねて外の草を食べさせに”牛の散歩”をさせる事であった。

牛を連れて麦わら帽子をかぶり、三橋美智也の”達者でなぁ”を大声で歌ったり、時々、近くの河原に行き、バケツで川の水をかけて体を洗ったり、他人の家の畑を荒らして、慌てて逃げ出したりと今になっては楽しい思い出もあるが、遊びたい盛りの当時は辛く感じた時も多かった。

一番大変な事は、お袋の役割となった”乳絞り”であった。毎日絞らないと”乳炎”を起こすので、朝早くから農作業を続けた後でも、省く事が出来ないのである。夏は特に厳しく、外気の蒸し暑さに牛の体温が加わり、約30分も全身汗だくでの作業になる。更に蚊とハエの集中砲火を浴びながらと言う本当に過酷な状態である。見ているのも辛くなる程の大変な作業だったが、よく考えてみると、肝心な親父は一番世話をせずに済ませたのではないだろうか。

さて、鈴虫の飼育を始めてからもう10年以上になり、50人以上の仲間に楽しんでもらった。孵化させるきっかけは、購入した鈴虫用ケースの中に育て方が入っていたので、その通りやってみたら、翌年、300匹以上の鈴虫が孵化したのが始まりだった。鈴虫の飼育法を簡単に解説する。

私は、最初知人から泣きだし始めた鈴虫を譲り受けたが購入しても良い。比較的大きめのケースに”鈴虫マット”を10cm弱の厚さに敷き、霧吹き等で何時も湿らせておく。ナス・キュウリ等を十分に与えるが、鈴虫は、動物性タンパク質が必要で、十分な栄養が入っている市販の餌が良い。私は別に煮干しを数匹入れて置くが、この動物性蛋白が十分であれば、よく言われる”鈴虫の共食い”が防げる。

鈴虫は、3年に一度は別の”血”を入れることが孵化を継続するコツの一つである。私はメスだけを購入して入れる様にしている。メスだけを入手するのに、色々苦労することがあるが、仲間かペット屋さんに確認するといい。

秋になり良い卵を産む為に、雌は弱った雄を食べる事があるが、これが”共食い”である。産卵も終わり全ての鈴虫が死んだら、ケース内をきれいに掃除して暗いところに保管する。場所は、ある程度寒い所にするが、春まで基本的にはそのママで良い。

春になったら”桜の花の開花と同時に”ケースを出して、水分を十分に与え始める。この”桜の花と同時”を忘れてしまう事が多いが、以後、水分を切らすことなく管理すれば、早ければ、5月下旬には一杯孵化してくる。

鈴虫は7回の脱皮を繰り返し、早いものは7月下旬には”りーんりーん”鳴き始める。脱皮を眺めていると、手足を木の皮に引っ掛け頭から自力でむけだすので、見ていても一緒に力が入る。脱皮後は白色になるが、小一時間で黒みがかってくる。

鈴虫の雄・雌の見分け方は、最後(7回目の脱皮?)にならないと判別出来ない。雄が薄い羽をつけ、この羽をこすりあわせて、あの”美しい音色を”奏でるのだが、鳴き声は求愛の行為であり、雌に自分の存在を知らせる為である。

さて、鈴虫の活動を良く観察していると、鈴虫の中にも何故かモテナイ奴がいるのを発見出来る。モテルやつは、ケース内を悠々と闊歩し餌を食べる余裕があるが、モテナイ奴は求愛の為に一所懸命羽をこすり”鳴き”続けている。餌を食べる時間も惜しむ程、涙ぐましい努力であるが、雌が全然寄りついてくれない。

このモテナイ奴は、周りで鳴き出す鈴虫がいると、直ぐにつぶしに掛かる。”俺が先に鳴いて居るんだ”とか、”お前が邪魔するからや”とか叫んでいるように写るのは、私に同じような”モテナイひがみ”があるからだろうか。

このつぶしは、なかなか激しいもので驚く程の戦いである。まづ、後ろ向きになり足で蹴り上げる。それでも逃げない場合は、体の横に回って一気に羽を強く広げ突き倒す。やられた方も防戦する為、双方の羽が武器となってバシバシと音がでる。

勝った方は再び求愛を始めるが、戦いの後の高ぶりかそれとも、落ち着いて求愛が出来ない鬱憤をぶつけているのか、今までに以上に思いっきり鳴き続ける。この時の鈴虫の力の入った音色に私たちは、「今日は、良い声で鳴くね」と言って満足する。しかし、鈴虫にして見れば実はやけになっている時で、モテナイ奴が頭に来ている時なのである。

鈴虫は元々夜行性の昆虫であるが、私は、日中でも頑張って鳴き続けているこの鈴虫が、妙に気になって再びケースの中を覗きだす。。


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雑感


動物の思い出に、レース専用の
伝書鳩がある。

すぐ上の兄貴が始めたものを
手伝っていたもので、

この時の自慢は、
メスが水沢までの100km、
オスが青森からの300km
のレールを完走(?)した
”つがい”を育てていた事だ。

兄は、私が社会人になって
からも続けていたが、
四国からのレースを
最後に止めてしまった様だ。

理由は数日間飛び続け、
戻って来た後ぐったりする鳩を
見てからだったという。

以降、レースだけでなく、
鳩を全て手放した。


その他の 動物について
変わったところでは、
学校での”イナゴ取り”を
思い出した。

1時間目を終え、弁当持参で
午後3時頃に帰ってくる。

それまで、広い田んぼの中で
イナゴを捕まえるj授業?で、
楽しい一日でだった。

全校生徒で取ったイナゴは
業者に売り、
そのお金でスポーツ用具を
購入するのである。

学校の体育館のマット、
跳び箱等は、
イナゴのプレゼントである。
01/9/2