2年前に始めた滝巡りであるが、この夏(2002)から、日本の滝100選巡りに特に力を入れている。
7月に、群馬県の棚下不動滝に行った時である。仲間と連れだって、羨ましくなるほど高価なカメラを構えている人がいた。大きな声の持ち主で、大変明るく元気を感じたので挨拶を交わした。日本の滝100選を10年で制覇する計画を持っていて、3年目で既に80滝以上を回り切ったと言う。「今朝も、京都から700kmを一気に走って来た」ことが自慢の、京都で精密機械の工場を経営する社長さんで、自分より3才先輩の方だった。
滝100選の中には、ガイドが必要な滝も2〜3ヵ所あるので、体力の有る早い時期に行った方が良いとアドバイスを受けた。そして、「屋久島は、100選巡りの達成祝いを、盛大にやる場所として最後に残している」と無邪気に笑っていたのが、なんとも楽しそうで印象的だった。この時から、どういう訳か私も急に100選の滝に力が入り出したのである。
さて、新潟県の100選の滝に向かう途中、赤倉スキー場を通った時である。何十年も前に、ここで「失神」した事を思い出した。深酒で記憶が曖昧になった経験を持っている人は多いと思うが、激しいスポーツの選手は別として、「失神」と言う貴重な体験(?)を、どれくらいの人が持っているものだろうか?と思いながら、記憶をたどった。
それは、21歳の独身時代の事だ。スキーはまだ贅沢なスポーツだったが、大阪の職場仲間10名で、初めての赤倉スキーツアーに参加した。始めはスキーを履いて立つのもままならないが、滑れる様になると恐怖だったスピード感がスリルに変化して、結構面白くなっていた。3日目の最終日に、一つ上に位置する燕スキー場へ行ってから帰ろうということになった。どんなところか知らないが一人になるのが嫌で、小ガモよろしく皆の後ろをついて行った。
燕スキー場と赤倉スキー場は、人が歩いて固められた細い道で繋がれていて、急な傾斜に凹凸が激しく、カーブも多い。暫く遊んだ帰りにこの部分に差し掛かった。注意して進んだが幅が狭いため、覚えたばかりのボーゲンが出来ず、スピード調整が全く出来なくなった。まごまごしている間に、どんどん加速する。ア〜ッ! どうしよう! ワァ〜!・・・
さわやかに澄んだ気分の中、遠くから、かすかに音が聞こえて来る。気持ちの良い眠りから覚め、意識が徐々に戻りだす瞬間である。それまで止まっていた脳の細胞の一つ一つにスイッチが入り、神経が一つ、また一つとゆっくり作動するような不思議な感覚になる。そして、全ての神経を働かせて、必死に"ここはどこ"を考えだす時が来る。全く状況がつかめない為、軽い頭痛が走る。遠くだった音が段々近くなり、言葉になって聞こえだしてくる。
「大丈夫か」、「しっかりしろよ」。上体だけをゆっくり起こして、周りの人を見上げる。「アッ!スキー姿の人達だ」。「そうだった、スキーに来ていたのだ」。「転んだのだ」。「声を掛けてくれているのは、一緒に来た友人だ!」。概ね状況が思い起こせる様になった。そして、立とうと思った次の瞬間、左足に激痛が走った。運悪く外れなかったスキーをはいたまま、外側にねじれている状態だった。この時まで感じなかった痛さが、今はとても我慢が出来ない。額に汗が出てきた。どのくらいの時間、気を失っていたのだろうか?等、考える余裕もなかった。
赤倉スキー場のリフトは長く、2kmほどあるが、下りリフトに抱えるように乗せられた。上る人たちが僅かの距離で交差するため、一様に冷やかし顔で覗き込む。こういう時ほど、女性はしっかりと覗き込むものだ。目を合わせないように横を向くが、次から次と、呆れるほどの人が上がってくる。足の痛みを忘れるほど恥ずかしかった。一睡も出来ずにやっと帰って診断を受けたが、複雑骨折で10日ほど休み、1ヶ月間杖をつきながらの出勤になった。それ以来スキーはしていない。
脳しんとうで気を失った経験は、実は、これが2回目である。最初は、小学校3年生の時であった。トラックの後ろにぶら下がっていて、振り落とされたのである。
昭和30年前は田舎で車が走ることは珍しく、近くに車が入ってきたら遊びを止めて、羨ましそうに眺めていた時代であった。そして、スピードの遅いトラックが走って来ると、男の子は一斉に追いかけて、トラックにぶら下がる遊びを楽しんだ。見つけられずに長くぶら下がっている事が、子供達の間で勲章だった。
荷物運搬用のトラックは、何時も適当なスピードで走るので、この遊びには格好だったが、どうしたことだろう。飛びついた瞬間からスピードを上げ始めた。気付いた運転手の悪さだろうか。周りは早めに飛び降りたが、自分ひとり、飛び降りられなくなってしまった。このままでは、遠くまで連れて行かれそうで不安になった。早いスピードに手も痛くなり我慢できなくなってきた。村はずれまで来た時、ついに手が離れてしまった。
この時も、遠くからかすかに声が聞こえだす処から覚えている。徐々に意識が戻り、瞳孔も少しずつ開く。段々まぶしさが薄れ、眼が見え出した。すると、寝かされている自分を、突然、上から覗き込む顔が3つ現れた。手術台から医師と看護婦を見あげる、映画の1シーンの様で、大変ビックリさせられた。しかし、今私を覗き込んでいる人達は、医者でもなく、見たことのない人ばかり。おばさんが「大丈夫ですか」と声をかけてくるが、返事が出来ない。状況がわからないでいる為だ。5分くらい過ぎたろうか、村はずれの民家に担ぎ込まれている事がやっとわかり出した。
この時も、それまで全く感じる事の無かった痛さが、全身を襲い出すから不思議である。我に帰って全身の緊張がとける瞬間に、痺れの混じった激痛で、恥ずかしいことも忘れ、「ウ〜ン!ウ〜ン」唸り続けた。
まだ舗装されていない道に投げ出され、半袖シャツのまま、その上を数m程引きずられたのだ。額と顎、左腕の外側の皮膚が大きくめくれ、はみ出した肉に小石が無数にくい込んでいる。血に染まった小石を丁寧に抜き取り、消毒と包帯等をする時の応急処置は死ぬ思いだった。傷跡は年と共に小さくなった為、今は左腕に10cm程、しわ状になって残っているだけになっている。
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