12    社長の遊び
営業には、可なり幅の広い要素が必要であり、お客様に接して学ぶ事が何と言っても貴重である。また、お客様から色んな事を学ぼうとする姿勢が、営業を大きく成長させるものと信じている。特に駆け出しの若造には、お客様の全てが勉強になった。

昭和55年、SEから営業に転向して5年目で、地域の大手スーパーE社へ食い込みを図っている時、E社長の「遊び心」のお陰で、上司に3時間も怒られた話である。少し変わった勉強であった。

リストラ能力こそが経営力であると言われだしたのはごく近年であり、日本の企業は、伝統的に取引先を大事にし、長い付き合いの中で成長して来ている。買い物客のサービスを重視する小売業も、一方では、他社より有利に商品を納めてくれる業者を最も大切にしている。コンピュータの関係でも、一度取引したメーカーを簡単に変える事は少なかった。

特にスーパー業界は、セルフの時代になって急速な事業拡大を図った為、基幹システムの構築経験が無く大きな課題となった。業種ノウハウに優れた外資メーカーR社のユーザーになってノウハウを吸収する事が、優れた小売業の経営管理と言われた。その時代に、「業務ノウハウなんてそのうちに身に付いて来る。何が何でも売り込むんだ」と言う熱意だけで、キーマンとの人間関係を作り、時間をかけて小さな商品から食い込んでいった。

この突撃がワンマン社長の耳に入ったようで、時間を取ってくれるという。「偉い人は挨拶するだけなので時間の無駄」と言うので、自分一人で出かけた。(この時の面談中にあった、社長のクセらしい一寸したエピソードを思い出した)

「会社が小さい頃から、今の外資メーカーR社にお世話になっているので、メーカーを変えるつもりは無い」と切り出されたが、この業界では最初に"かまされる"のは当たり前で、気にせずにSEの経験で得た技術面の展開に持ち込んだ。社長は、コンピューターも自分で決める人で、相当な知識を持っていたし、自分の選んだメーカーへの自負もある。当然、R社より、当社が優れていると言う説明に、「そんなに、おまえのところが良くて、俺のところのマシンが遅れていると言うのか?」となってしまう。

暫く熱い問答を続けている中、社長が靴を脱いで椅子に足をそろえて座りだした。お陰でこちらもリラックスしながら続けることが出来たが、社長は急用を思い出した様だ。突然立ち上がり、靴を履かずに隣の総務室へ入っていった。「社長、靴を履いていませんが・・」と言う声と、「判ってるわい!」と怒鳴るように言い放つ社長の声が同時に聞こえる。直ぐに用事が終わり裸足のまま戻ってきて、また、足を抱えて椅子に座った。私も、笑い出したかったが、一人だったので堪えた。

この話を、電算部長にしたら、即座に笑い出した。その仕草は1年に1回有るか無いかで、負けず嫌いのワンマン社長がひどく興奮している時のクセらしい。そうだったのかと振り返っている間に、「出入り禁止だよ!それは」とうれしそうに笑い出したのである。

しかし、翌日も呼び出され、結局、負けず嫌いの社長と大議論を続けることになった。議論と言うより、社長の勉強会だったかもしれないが。この間、社長の用事で幾度か中断したが、あの忙しいワンマン社長を2日連続で拘束した事がE社内で話題となった。それまで、”コンピュータは社長の専任事項”と言う気運の中、それまで受けていた”他社メーカーのセールスマン”と言う冷めた対応が急に無くなり、大いに助けとなった。

その後もアプローチを継続していたある日、電算部長から、「当社のコンピュータへ交換の稟議が役員会で承認されたので、社長に、偉い人からの御礼挨拶を準備するように」指示があった。流石に体が熱くなり、興奮するのを感じた瞬間だった。

東京本社のH事業部長に快く引き受けて戴いた。誠実な人柄なので冗談は控えめにと気を配りながら、”御礼の挨拶を”と、明るい雰囲気の中で経過報告を終わった。”後発だがトップシェアになる”と熱い思いで事業に取り組んでおられたので、R社のリプレイスには大変喜んで戴いた。

いよいよ、社長室に入っての挨拶である。「イヤー、社長。今日は、有難うございます」という挨拶が終わらないうちに、「おれ、実績の多いR社のコンピュータが好きなんだが〜」と言い出した。一瞬、静寂な空気に包まれそうになったが、社長は明るい顔で、続けた。「なぁ、S君。R社の方がノウハウを持っているしなぁ」とシステム部長に同意を求めるように話し掛ける。「はぁ。そう思います」S部長も笑顔で"阿吽の呼吸"を見せるのである。社長持ち前の「友好な雰囲気を作ろうとする茶目っ気遊び」が出でしまったようだ。

これに対してH事業部長、「それは、どの部分でしょうか。問題があれば改善します」と誠実さ丸出しの応対をしてしまったのである。社長の方は、面談の趣旨は伝わっているのだからと、「一寸、性能に比較して、御社は高いですよね〜」と、まだ「遊び」を続けて来た。「私どもの機械は、R社様の3倍のコストパフォーマンスでありまして・・・」と、H事業部長が身を乗り出してPRする展開になってしまったのである。

結局、”御礼の場”に戻すきっかけを掴むことなく、ぎこちない会話のまま、ホテルに帰って来てしまった。事前の説明と全く違って”御礼”どころでは無い事に、すっかり気分を悪くしたH事業部長。チェックインも行わず、「おまえは今まで、何を聞いているのだ〜」とロビーで収まらなくなった。「いや〜それが…社長の遊び心が・・」と言っては見たが、余計に刺激する結果になって、ついに、3H怒鳴られっぱなしであった。

今思い出しても苦笑いの体験である。H事業部長もどっかで”遊び”であることを察したが、元へ戻せなかった自分に腹を立てていたと言うことは無かったのだろうか。本当に社長の言葉を鵜呑みにしたら、こんなに長く怒っていずに、次の対策を協議するはずである。さて・・・・。


それから早、5年が過ぎた。順調に当社の本部マシンが稼働している中、T社製の店舗レジを当社の新POSシステムに切り替える為、激しい商談を展開していた。暫くして、前回と同じように「役員会を通過したので、社長挨拶を予定するように」と連絡が入った。既に本社の責任者として何回か社長にも会って戴いていたY事業部長代理と、新しく異動したばかりの私の上司が対応する事になった。この時、新任の上司には前回の件の話を忘れてしまっていた。

社長室に入ると笑顔で迎えて戴いたが、「S君。POSはどこがいいのかね」と社長がわざとらしく問い掛ける。S部長も「私は、T社がいいと思います」。「そうだよなぁ。一番実績があって、安定しているよなぁ」と社長。正に前回同様、嬉しくなる程の呼吸である。私と代理は、かまわず「いろいろ有難うございました」と頭を下げ御礼を申し上げた。しかし、隣にいた上司は、腰を浮かして落ち着かない。時々、私の膝を突付きながら、心配そうな顔をこちらに向けるので、発言を控えるように、さりげなく手で合図をした。

無理も無いと思う。立派な社長室に通されて、社長と現場のキーマンが同時に発言するのである。幾ら事前打ち合わせで「御礼の場面」と説明されても、目の前で自分が確認出来た話は「あっちのメーカーが良い」である。もっともらしい呼吸でやられれば、慌てるのが当たり前と言えば当たり前である。そのお陰で、前回は3時間も怒られたのだよなぁと思いながら、「今後とも、わが社のシステムに全社上げてご協力ください」との社長の言葉で、今回は和やかに退席する事が出来た。

営業は、”お客様によって育てられるもの”と言われるが、色んな人との出会いがあり、色んな予期しない局面に出会う事が多い。どんな状況にも戸惑うことなく、冷静に振る舞う様になるには、色んな経験が必要である。E社には、自分が経験を積むだけでなく、若手メンバーのセールス教育をお願いする等、以降10年に亘ってお付き合いを戴いた。



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02/9/23