7/28(水) 【人生の歌】
 私の昨年度からの大きな仕事の一つに職員研修の企画・実施というのがあるのですが、この3日間、今年新規に採用された職員の研修の一環として、市内にある社会福祉施設で異業種体験研修を実施しました。
 
 数人の職員が、特別養護老人ホームやデイサービスセンターで、老人介護に挑戦したわけですが、担当としては、そこで突っ立ってるわけにもいかず、結局、足手まといにしかならぬとわかっていながら、食事の世話や、レクレーションなど介護のお手伝いに一緒に参加させていただきました。

 どちらかというと、私は今まで老人ホームというと「寝たきり」とか「痴呆」とか、ちょっとマイナーなイメージでとらえていたのですが、とても活気があり、いささか驚きました。施設長さんの「『痴呆』だからとてだますな。痴呆は神様がくれる最後のご褒美。ご老人はみな家族から預かった大切な宝物。」「所員自身が楽しくなければホームも楽しいはずがない。」という経営方針のもと、常勤、非常勤を問わず、所員のすべての方がご老人の方々を尊敬し、そして、仲良く生き生きと活動していらっしゃっていて、きっとそれがホームのエネルギーの原点なのだと思いました。

 ホームでの生活は「お茶を飲む」「運動をする」「ご飯を食べる」「レクをする」等のとてもシンプルなものでしたが、人生の終末期を実にのどかに送るご老人方の姿を見て、人生にとって、音楽がいかに大切かと言うことがよくわかりました。
 午前も午後も、時間さえあれば、歌詞カードに綴られている歌を何度も何度も歌うご婦人たちの幸せそうな顔は忘れられません。「東京ラプソディー」「リンゴの唄」「瀬戸の花嫁」「高校三年生」「北国の春」などいくつかの歌がありましたが、何度も何度も気に入って繰り返し歌っていたのは「お座敷小唄」という歌でした。
 この「お座敷小唄」。「小唄」というだけあって、思わず手拍子を打ってしまいそうな、三味線の音色を思い浮かべてしまう実に民謡チックな唄なんですが、マヒナスターズというグループの大ヒット曲なのですね。
 
 好きな歌というのにはきっと2種類あると思うのですね。
 一つ目は聞くのが好きな歌。大事な思い出が詰まっている歌だったり、大好きな歌手が歌っていた歌だったり。歌詞がとても好きな歌だったり。
 そして、もう一つは歌うのが好きな歌。
 歌の上手な人は1つ目の聞くのが好きな歌とこの歌うのが好きな歌が一致すると思うのですが、結構これが一致しないものなのですね。たとえば、私は、嵐の歌が大好きなんだけれど、カラオケに行くとやっぱり歌うのは、松田聖子の歌だったり、山口百恵の歌だったり、今井美樹の歌だったりするわけです。男の人の歌だとキーが合わないからかな。それに、どんなに好きな歌でも、音程やリズム感が鋭いかそうでないかで、歌える歌も限られてくるような気がする。

 人は、一生の間にどのくらいの歌を歌うのだろう。どのくらいの歌を聴くのだろう。
 何度も何度も繰り返し「お座敷小唄」を歌うご婦人の実に幸せそうな表情を見て、私は、この方たちの年代になったとき、どんな歌を歌うのだろうか・・・と思った。我が人生の歌はどんな歌なのだろうかと。
 
 我が人生の歌。それは、これから先に出会う歌なのかもしれない。それとも、中学生の頃、友達と一緒に口すさんだ歌なのかもしれない。いえいえ、小さい頃、母が絵本を見ながらよく歌ってくれた歌なのかもしれない。
 五木寛之著の「大河の一滴」だったか「人生の目的」だったか。人間好きなことがいっぱいある人が幸せな人生を送れるというようなくだりがあったけ。好きな歌もたくさんある方がいい。
 それぞれの年代によって、好む歌は微妙に違う。その時流行っている歌によっても大分違ってくる。年齢を重ね、若いときには見向きもしなかった歌の魅力に突然気づくこともあるやもしれない。
 そう考えていたら、なんだか、年をとるのがとっても楽しみになってしまいました。
 そして、70歳、80歳、90歳になっても、歌を聴くのが大好きな人間、歌を歌うことが大好きな人間でありたいなと思いました。