5/27(火) 【表と裏】
 久々に本を読んだ後に、涙をボロボロと流してしまいました。読みたくて読みたくてずっと机の上に置いていた小説、清水義範作「上野介の忠臣蔵」。

 昨年の暮れに、東京バレエ団の「ザ・カブキ」を見たんですが、そのときの伴内(忠臣蔵では清水一学)役がとても印象的で、清水一学にとても興味をもちました。早速、ネット検索したところ、一番最初に掲載されていたのが、この「上野介の忠臣蔵」だったのです。やっと、書店で購入したものの、ときはすでに職場が年度末・年度初め体制になってしまっており、まるで自分自身が存在しないかのようなときがダラダラと過ぎていき、やっとやっと先日から読み始めることができました。

 歴史小説に疎いワタクシが、こんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが、この本を読んで、忠臣蔵の真実がやっと分かったような気がしました。この本に描かれている上野介は、教養のあるそして家族や家臣を大切にする人のいいおじいちゃまで、清水一学が自分のシアワセを後回しにしてまでも忠義を尽くそうとするその気持ちがとってもよく分かるのです。逆に、浅野内匠頭はもの知らずで面倒くさがり屋で“超”度ケチとして描かれていました。

 そして、この小説では「討ち入り」が「暴徒の襲撃」「殺戮」と表現されていました。人数の差と武装の差は圧倒的で、まるでなぶり殺しにあっているようなものだったとか。
 清水一学の最後は、体のあちこちをさんざんに斬られ、自分の血が目に入って敵の姿がよく見えず、思わずすべって転んだところを、刀で胸を貫かれるという無惨なものでした。
 
 でも、私が、思わず涙したのは、一学の最後ではなく、養父・上野介の家督を継いだ義周(実は上野介の孫)が、領地没収の上、重罪人の扱いで信州諏訪高島城に幽閉され、無念の最後を遂げたことでした。
 義周は一室に閉じこめられたきりで、下着すら替えることができず、垢にまみれて、しらみにたかられ、最後は、体にむくみがでて尿がでなくなり死んだといいます。自殺するかもしれないと言うことで、剃刀の使用は認められなかったと言うから、まさに生き地獄だったに違いありません。

 清水一学の実家の子孫は、「一学の縁の者」と言うだけで生きにくくなり、後に姓をも変えたとか。

 「新聞は必ず二誌以上読まなくっちゃダメだ。真実はそれでも見えてこないものだよ。」と弟が私にいつも言うんですが、その意味が改めて分かったような気がします。歴史には必ず表と裏があるのですね。

 文庫本の解説によると、作者である清水さんは、愛知県吉良町を訪れ、観光案内の「お気の毒なお殿様」という語句に、名君が日本史上随一の大悪党に仕立てられてしまった地元の無念をヒシヒシと感じたそうです。
 吉良家滅亡から300年近く経って、やっと吉良家の復権を果たす小説の誕生に、あの世の上野介、一学がどんな思いでいることでしょう・・・・・。

 読んだ後に知ったことだけれど、作者の清水さんのイメージキャストは、上野介=橋爪功、一学=SMAPの剛君だとか。
 でも、私は、この単行本を購入する前から、一学=錦織一清君と心に刻んで、読ませていただきました。この世に錦織君以外に清水一学がドンピシャ似合う人が存在するのでしょうか。
 
 一学は、20代半ばでその尊い命を落としたと言うから、これから、ワンサカといろんな俳優さんが演じるに違いありません。でも、私は、誰が演じようとも、その姿にニシキの姿を重ねてしまうだろうと思う。あの一学の純粋さとカッコよさは、ニシキ以外には考えられない。

 いつか、ぜひ、この討たれた側からみた元禄忠臣蔵を舞台化していただきたいと思うのです。そして、そのときは、ぜひぜひ、主人公の一学を錦織君に演じていただきたい。
 そして、何十年もたったなら、今度は上野介の役をニシキに演じていただきたい。
 この役は、深みと味と品のある役者でなければ絶対演じることができないと思うから。

 大河ドラマもいいけれど、私は、やっぱり、ニシキには舞台で勝負する役者さんになって欲しいと切に思う。だって、これは、大野クンの舞台でも確信したんだけど、舞台って、何のごまかしも利かないような気がする。それこそ、丸裸の真剣勝負。

 錦織一清様。
 あなた様の和服姿を見たくて見たくてたまらない病に陥っています。ナントカしていただけないでしょうか・・・。
 
 錦織一清様。
 遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。
 38歳のお誕生日のお祝いに、いつか実現するであろう舞台に夢を馳せ、一学=錦織一清、将軍綱吉=錦織一清(結構適役かも!)、上野介=錦織一清、義周=錦織一清の超豪華キャストを思い描きながら、もう一度読み味わわせていただきます。
 これぞ、最高の忠臣蔵に間違いなし。