2/23(日) 【私は私だけ】
先々週だったか、ドラマ「GoodLuck!」で印象的なせりふがありました。冷徹な香田機長が黒木瞳扮するCA富樫のことを「代わりはいくらだっている。」と言ったのに対し、キムタク扮する主人公が、「富樫さんは富樫さんだけ。富樫さんの代わりは他の誰でもない。香田さんの代わりだって、他の誰もできない。」と訴えるのだ。
うわぁぁ!青臭さぁぁ!!と思わず喚きながらも、なんとも気持ちいい風が吹き抜けるのを感じないではいられなかった。
仕事というのは、個人の部分をかなり捨てて、組織の一部として動くことがほとんどなんだと思う。でも、生きていく上でとっても大きな重みを持つ仕事という部分で、自分を出さないって言うのは、考えてみればとても悲しいことだと思う。スペアはもちろん山ほどいる。私が、今の仕事を辞めれば、きっと翌日には、誰かが呼び出され、私の今の仕事を引き継いでいくのだと思う。でも、その仕事は、私の仕事とは、きっと何か違っていくはずなのだ。
そうなのだ。私は、私だけの色を放ちながら仕事をしていかなければならないのだ。そう考えたら、電話の受け答えの一言一言も、文書の一言一句も、もっと慎重にしていかなければと思えてきた。
そう、私は、誰がナンと言おうと私だけなのだ。
2/11(火) 【忘れられし夢】
先日、地元の有志団体との共催で、出演者がみな視覚障害のある方というちょっと特別なコンサートの企画をお手伝いさせていただきました。
当日は、リハーサルから立ち会わせていただいたのですが、もうリハーサルも本番も感激・感動の連続でした。演奏者がステージのどこに位置するかで、音は全然違ってくるのですね。演奏者は自分の立ち位置をピアノを手で触りながら確かめるのですが、やはり目のちょっと不自由なステージマネージャーが、「あとピアノより一歩前に出て歌ってください。」「フルートの場合は、ピアノの反響板を利用しますので、ピアノにあと1歩近づいて演奏してください。」と細かに鋭く指示をだしているのには、衝撃でした。演奏者一同のお辞儀はどうするのかなと思っていたら、司会者の足音でそのタイミングを確認していらっしゃいました。短い時間の中で、大事なことがいくつも変更されていく様子に、少しでもいいステージをと願うプロの厳しさを感じました。
コンサート・メニューは、ソプラノ独唱とピアノ連弾、そして、フルートとアルト・サクソフォンのアンサンブルというとてもシンプルなものでしたが、演奏者の音楽に対する熱い想いというのがそれはそれはもの凄く伝わってくる、まさに心に響くコンサートとなりました。
いつものコンサートよりも、演奏のあとのインタビューもちょっと多めで、いろいろなお話を聞かせていただきました。目が不自由な方がどうやって演奏するのだろうとまず疑問に思いましたが、点字楽譜というのがあるのですね。そして、何度も何度も練習して、全て暗譜してしまうのだそうです。その集中力たるやきっと尋常なものではないのだろうと思います。
ピアノ連弾の演目は私の大好きなサンサーンスの「動物の謝肉祭」からのナンバーでした。
旋律をあまりにもダイナミックに演奏されるので、その方の目が不自由だと言うことはほとんど忘れていたのですが、インタビューの応答を聴いて真っ青。インタビューのとき、すぐそばに寄り添って立つ介助の方が何やら両手の指で演奏者の手の甲にモールス信号のような指の動きを盛んになさってたのですが、それは指点字というものでした。指点字を受けていたその演奏者の方は、目が不自由なだけでなく、小さいときの高熱のせいで、耳もほとんど聞こえなくなってしまったと言うのです。
「目も耳も不自由でご苦労が多いでしょうけれど、どうして音楽をおやりになられたのですか?」という質問に、その方は、いともあっさりと一言「好きだからです。」とお答えになりました。
フルートとアルト・サクソフォンのアンサンブルは、ルロイ・アンダーソンのナンバーから始まりました。
アンダーソンの曲は、“軽快”の一言につきると思いこんでいたのですが、フルートのメロディーにサクソフォンの音色がにふわっと重なるその瞬間がとても優しく、こんなにやわらかな“シンコペーテッド・クロック”がこの世に存在したのか・・と何とも言えない感動を覚えました。
ルロイ・アンダーソンも大好きな作曲家の一人なんですが、恥ずかしながら「忘れられし夢」はこのコンサートではじめて聴きました。まるで遠い昔に見た夢の中にいるような優しい優しい音色でした。本当に1フレーズ1フレーズを愛おしんで演奏しているのが分かりました。音楽というのは、それを奏でる人の曲に対する熱い想いがメロディーに乗って、聴く人の心に響くのだということをあらためて感じました。
沸き上がる拍手に、こぼれんばかりの笑みでいっぱいの演奏家達のお顔を見て、コンサートの成功を本当に嬉しく思いました。そして、生きるということの尊さを、好きなことを共有できるということの素晴らしさをしみじみ感じました。
