12/15(日) 【主役以上の主役】
 12月12日は少年隊のCDデビュー記念日だったそうで。
 CDデビューまでに4年あったというだけに、錦織君のTVデビューはとっても早く。そう言えば、初々しい清水一学を大河ドラマで文字通り初々しく演じていたなぁ・・と、懐かしく思い出しておりました。

 東京バレエ団の「ザ・カブキ」を見てまいりました。
 世界に名を誇る振り付け師モーリス・ベジャールが、「忠臣蔵」を、歌舞伎の雰囲気を残しつつ、クラシックバレエの作品に創り上げたのは、もう15年も前にさかのぼるんですね。以前から、この作品を一度は見てみたいと思っていたのですが、やっと念願かなって、昨日、討ち入りから300年経った、まさに討ち入りの日に堪能できたことは、私のちょっとしたビッグ・イベントとなりました。
 
 「つま先をクイッと曲げて、わざとゲタを履かせるんですよね。」「衣装も化粧も忠臣蔵そのまんまで、後半はマスゲームっぽくて、凄いですよ。」
 昨年、一昨年と職場が一緒だった、あのマニアックカレが、この「ザ・カブキ」の大ファンで、「絶対見た方がいいですよ。」とオススメの作品だったのだ。

 TVでおなじみの忠臣蔵とは、ちょっと、役の名前が違って、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」をもとに創られているんですね。主人公は、「内蔵助」ではなく「由良之介」、「上野介」ではなく「師直」。
 「由良之介」を演じる高岸直樹さんは、あのジョルジュ・ドンに代わってあの「ボレロ」を躍ったというスゴモノ。日本人とは思えないような抜群のプロポーションをお持ちなのに、それに溺れることなく、とても日本人らしい端正な踊りを披露してくださり、日本のバレエの底力を改めて、というより、はじめて思い知らされた気がしました。

 中でも、私が、目を引いたのは、師直の家来、伴内の役。
 登場した瞬間から、サーカスのピエロにも似て、ホントに凄い演技力と舞踊力の持ち主でないと演じられないようなキーパーソンだとすぐに分かる。あとで、パンフレットを読めば、ベジャールに「自分のカンパニーに迎え入れたい。」とまで言わしめ、今、東京バレエ団の芸術監督を務める溝下司朗さんも、初回では、この伴内を演じたそうな。作品のよさ、舞台のよさを知り尽くした人のみが演じることができる、主役以上の主役なのだと思います。
 
 舞台をずっと見ていて、なんだか、私は、錦織君が、この伴内を演じている錯覚に陥っていました。
 軽やかな身のこなし、舞台いえ作品そのものを愛しきってるその心意気が、錦織君そのものだったのです。

 主役以上の主役。
 今、ニシキは冬眠中だそうですが、ニシキにこそ本当にお似合いの舞台が、そしてドラマが近々訪れるに違いありません。そんな幸せなキモチで、劇場を後にしました。
 
 ああ。やっぱり、私は、ニシキファン。

12/1(日) 【赤と青】
 去年だったか、ホントは見たい映画があった。他に何もなければ、きっとその映画を見たはずだった。でも、恋愛映画を映画館で見るという雰囲気にはなれず。邦画で、主役が竹ノ内豊だってこともちょっとキモチを遠のかせていた。舞台がフィレンツェとミラノではなく、パリやローマだったら、やっぱり見ていたかもしれない。
 でも、そのときは、やっぱり、どこか、気恥ずかしくて見るのをためらったのだ。

 「冷静と情熱のあいだ」

 先月の初めだったか。TVでこの映画が放映された。金曜日ということもあって、私は、この映画をまるで画面と格闘するかのように見た。
 私は、映画をビデオで見るのはとても嫌いだ。ついつい甘えて、分からないことがあると、止めたり巻き戻したりしたくなる。作り手のテンポでどうしても見たいのだ。「私の伝えたいことが分かるか?」とまるで挑戦状を突きつけてるかのような空気をしっかり抱きとめたいと思うのだ。

 まず、竹ノ内豊の声がよかった。カレはどちらかというと苦手なタイプの役者だった。ドラマ「星の金貨」では、とってもいい役を演じていたのだけれど、その後の役があまりカレに似合わなかったのか、カレの演技を見てると、なぜか、とっても疲れてくるのだった。でも、この映画の竹ノ内豊は、とっても素敵だったし、何よりも、主人公の順正そのものになりきっているように感じられた。
 そして、竹ノ内豊が語るナレーションの言葉が最高に魅力的だった。久々にカッコイイ日本語を味わったと思った。原作がとても魅力的な日本語で書かれているのだろうと想像できた。

 私は、もう一度、この映画のナレーションをじっくり味わいたいと思った。映画をもう一度見るのではなく、原作を読んで見たいと思った。久々に凛々しい日本語を味わいたいと思った。
 で。
 思いがけず、この小説が2人の作家によって、男の物語と女の物語の2つが書かれていること、しかも、私が、大野クンに出会った1999年の秋に完成していることを知った。

 まず、赤の物語、江國香さんの作品から読んでみた。あとがきを読んでぞくっとした。「恋に関する限り、すべての半分の物語です。」
 考えてみれば、どんなに愛し合っていたって、相手のことは結局分からないのかもしれない。人生はいつも一人称体の物語だ。自分には自分の人生があるし、相手には相手の人生がある。あおいと順正の恋の物語を、赤と青の2つの物語で描くというのは、本当に大変だったろうけれど、恋愛の本質をしっかり見据えた手法だったのだとひれ伏さざるを得ないのだ。

 今日、青の物語を読んでみた。どのページも凛々しい日本語、瑞々しい日本語にあふれていた。
 「過去も未来も現在には適わない。」「現在を響かせねばならぬ。」
 そうなのだ。私は、こういう言葉にずっとずっと飢えていたように思う。

 表紙の赤と青もなかなか素敵だった。読み終えてみて、なぜ順正の物語が青だったのか、あおいの物語が赤なのか、なんとなく分かるような気がした。言葉にはうまく表せないけど。