| The Minstrel (ザミンストレル) 牡 栗毛 | sire line | family |
| Northern Dancer | Nearctic | Nearco | Pharos | Phalaris |
| Scapa Flow | ||||
| Nogara | Havresac | |||
| Catnip | ||||
| Lady Angela | Hyperion | Gainsborough | ||
| Selene | ||||
| Sister Sarah | Abbots Trace | |||
| Sarita | ||||
| Natalma | Native Dancer | Polynesian | Unbreakable | |
| Black Polly | ||||
| Geisha | Discovery | |||
| Miyako | ||||
| Almahmoud | Mahmoud | Blenheim | ||
| Mah Mahal | ||||
| Arbitrator | Peace Chance | |||
| Mother Goose | ||||
| Fleur | Victoria Park | Chop Chop | Flares | Gallant Fox |
| Flambino | ||||
| Sceptical | Buchan | |||
| Clodagh | ||||
| Victoriana | Windfields | Bunty Lawless | ||
| Nandi | ||||
| Iribelle | Osiris | |||
| Belmona | ||||
| Flaming Page | Bull Page | Bull Lea | Bull Dog | |
| Rose Leaves | ||||
| Our Page | Blue Larkspur | |||
| Occult | ||||
| Flaring Top | Menow | Pharamond | ||
| Alcibiades | ||||
| Flaming Top | Omaha | |||
| Firetop |
| Born - Died | 1974 - 1990.09.03 | ||||
| Breeder | Edward P. Taylor (Ontario) |
|
CAN | ||
| Trainer | Michael Vincent O'Brien (Cashel, Tipperary) |
|
IRE | ||
| Owner | Robert E. Sangster |
|
GB | ||
| 日付 | 開催国 | 競馬場 | 馬場 | 条件 | 勝時計 | 距離 | 頭 | 騎手 | 斤量 | |
| 競走名 | 格付 | 着 | 1着馬 / 2着馬 | 着差 | ||||||
| 1976 | ||||||||||
| 09.08 |
|
IRE | Curragh | 2 | 6F | T. Murphy | ||||
| Stakes | 1 | /Mississippi | 5 | |||||||
| 09.25 |
|
IRE | Leopardstown | 2 | 7F | L. Piggott | ||||
| Larkspur Stakes | G3 | 1 | /Captain James | 1 | ||||||
| 10.15 |
|
GB | Newmarket | 2c&f | 7F | L. Piggott | 126 | |||
| William Hill Dewhurst Stakes | G1 | 1 | /Saros | 4 | ||||||
| 1977 | ||||||||||
| 04.02 |
|
GB | Salisbury | 3 | 7F | 11 | L. Piggott | |||
| 2000 Guineas Trial Stakes | G3 | 1 | /Gairlock | 11/2 | ||||||
| 04.27 |
|
GB | Newmarket | 3c&f | 1:38.54 | 8F | 18 | L. Piggott | 126 | |
| 2000 Guineas Stakes | G1 | 3 | Nebbiolo | 2 | ||||||
| 05.14 |
|
IRE | Curragh | 3c&f | 1:36.86 | 8F | 21 | L. Piggott | 126 | |
| Irish 2000 Guineas | G1 | 2 | Pampapaul | shd | ||||||
| 06.01 |
|
GB | Epsom | 3c&f | 2:36.44 | 12F | 22 | L. Piggott | 126 | |
| Derby Stakes | G1 | 1 | /Hot Grove | neck | ||||||
| 06.25 |
|
IRE | Curragh | 3c&f | 2:32.00 | 12F | 15 | L. Piggott | 126 | |
| Irish Derby | G1 | 1 | /Lucky Sovereign | 11/2 | ||||||
| 07.23 |
|
GB | Ascot | 3+ | 2:30.48 | 12F | 11 | L. Piggott | 120 | |
| King George VI & Queen Elizabeth Diamond Stakes | G1 | 1 | /Orange Bay | shd | ||||||
| 年 | 馬齢 | 出走 | 1着 | 2着 | 3着 | 以下 |
| 1976 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 |
| 1977 | 3 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 |
| 合計 | 9 | 7 | 1 | 1 | 0 | |
| 芝 | 9 | 7 | 1 | 1 | 0 | |
| G1 | 6 | 4 | 1 | 1 | 0 | |
|
デュハーストS (英G1、芝7F) イギリスダービー (英G1、芝12F ) アイルランドダービー (愛G1、芝12F) キングジョージ6世&クイーンエリザベスS (英G1、芝12F) ラークスパーS (愛G3、芝7F) イギリス2000ギニートライアルS (英G3、芝7F) 2着−アイルランド2000ギニー (愛G1、芝8F) |
| 国際クラシフィケイション 135-T/L (1977) |
| カナダ競馬の殿堂 (1979) |
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ヨーロッパにはこういう古い格言があります。 「一白なら 買ってみよ、二白なら試してみよ、三白ならよく考えよ、四白 なら放っておけ。」 1974年、カナダのオンタリオ州にあるウィンドフィールズ ファームで生まれたザミンストレルは、四肢の白い四白で、 おまけに毛色は明るい栗毛、顔もほとんど真っ白という、何 とも派手な馬でした。 生産者は、この牧場を所有するエドワード・テイラー氏で、 |
| 米2冠馬で歴史的な大種牡馬となったノーザンダンサーや英3冠馬ニジンスキーなどを世に送り出したカナ ダの大馬産家です。 ニジンスキーの母フレイミングペイジはザミンストレルの祖母にあたり、ともに父はノ ーザンダンサー。 これだけ近い血統構成ですが、ニジンスキーが雄大な馬体だったのに対し、ザミンスト レルは父に似て、体高15ハンド3インチ(約160cm)という小柄な馬でした。 同じくテイラー氏の生産馬としてカナダで走り22戦3勝、ステイクスの入着馬であるフレーアを母に持つ 栗毛の牡馬は、翌年のキーンランド・ジュライ・イヤリングセイルに出されました。 サッカーくじ産業で財を 成した家庭に生まれ、これから馬主としてのし上がろうとしていた野心家のロバート・サングスター氏とその グループに20万ドルで落札されたこの馬は、英語で 「吟遊詩人」 を意味するザミンストレルと名付けられ ました。 サングスター氏は、ザミンストレルをアイルランドのヴィンセント・オブライエン調教師のもとへ送りました。 オブライエンはアイルランドにいながら、すでに英ダービーをラークスパー、サーアイヴァー、ニジンスキー、 ロベルトで4度も勝っている名調教師でした。 ザミンストレルは2歳秋の1976年9月8日、カラ競馬場で行われたモイSでデビューを迎えました。 ここ でザミンストレルは、トム・マーフィー騎手の騎乗で5馬身差の圧勝を飾りました。 2戦目以降は主戦騎手 のレスター・ピゴットに託され、ピゴットは2度と手綱を他人に渡そうとしませんでした。 2戦目のラークスパーSも順当勝ちしたザミンストレルは、イギリスへと乗り込み、2歳最強馬決定戦の デュハーストSに出走しました。 ここでも1番人気に推され、後方待機から一気に突き抜けると、2着のサ ロスに4馬身差をつけて圧勝しました。 年が明けて3歳となったザミンストレルは、まず4月の英2000ギニートライアルSを勝ちました。 しかし、 楽勝かと思われた英2000ギニーでネッビオーロの3着と敗れると、2週間後の愛2000ギニーでもパンパ ポールに短頭差届かず2着に惜敗しました。 こうして迎えた英ダービーには、フランスで2歳4冠を達成し、3歳になってプールデセデプーランも勝って いたブラッシンググルームが参戦してきました。 他にも英2000ギニーの勝ち馬ネッビオーロ、ダンテSの 勝ち馬ラッキーソヴリン、チェスターヴァーズSの勝ち馬ホットクローヴなどが顔をそろえたこの競走で、1番 人気に推されたのはブラッシンググルームでした。 そしてザミンストレルは単勝6倍(5-1)の2番人気に 甘んじていました。 タッテナム・コーナーを回って4番手で直線に向いたザミンストレルは、ここからホットグローヴとの叩き合 いをクビ差制して優勝しました。 ブラッシンググルームはさらに5馬身後方の3着に敗れました。 イギリス の競馬評論家は、この勝利を次のように書き記しています。 「ザミンストレルより優れたダービー馬はいて も、これほど勇敢なダービー馬はめったにいない。」 |
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![]() KGVI&QES |
この後、愛ダービーに出走したザミンストレルは、ラッキー ソヴリンに1馬身半差をつけて快勝。 史上5頭目となる英 愛ダービー制覇を達成しました。 そして初の古馬との対戦 となったKGVI&QESでは、持ち前の勝負根性をいかんなく 発揮し、前々年の伊ダービーの勝ち馬オレンジベイとの息 詰まる攻防を短頭差制して優勝しました。 こうして欧州競馬の頂点に立ったザミンストレルは、秋の 目標を凱旋門賞とし、さらにアメリカのワシントンD.C.国際S に出走して引退する計画でした。 ところが、それは実現し ませんでした。 このころヨーロッパでは繁殖牝馬の伝染性 |
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子宮炎が流行し、アメリカはヨーロッパからの馬の移入を当面禁止する措置を講じました。 ザミンストレル はこの時すでに1株25万ドルで36株、総額900万ドルの種牡馬シンジケイトが組まれており、翌年から アメリカで種牡馬入りすることが決まっていました。 そのため、移入禁止となる前にアメリカへ渡る必要が あったのでした。 こうして、ザミンストレルはKGVI&QESの後一度も出走することなく、好敵手ブラッシン ググルームと同じ便でアメリカへと向かいました。 シンジケイトの筆頭株主はテイラー氏でした。 自ら生産したザミンストレルがこれほどの活躍をしてどうし ても買い戻したくなったからでした。 テイラー氏は半分の18株を所有し、父ノーザンダンサーも繋養されて いた、アメリカのメリーランド州にあるウィンドフィールズファームの支場で供用しました。 当初5万ドルだった種付け料は、2年目の産駒からプールデセデプーランの勝ち馬レミグラン、3年目の産 駒からイギリスで英チャンピオンS、アメリカでジョンヘンリーHと両国でG1を勝ったパレスミュージックなど が現れ、1980年には18万5000ドルにまで上昇しました。 その後も愛オークスの勝ち馬メロディスト、 英1000ギニーの勝ち馬ミュージカルブリス、BCマイルの勝ち馬オープニングヴァースなどを送り出しまし た。 さらにパレスミュージックは名馬シガーを送り出し、アメリカのリーディングサイアーに輝きました。 1988年の夏からケンタッキー州にあるオーヴァーブルックファームに移ったザミンストレルは、その2年 後の1990年9月3日、蹄葉炎に悪性腸炎が重なり、やむなく安楽死の措置がとられ、16歳で世を去りま した。 遺体はオーヴァーブルックファームに埋葬されました。 |
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繋養地 Windfields Farm (Maryland, USA) (1978-88) Overbrook Farm (Lexington, Kentucky, USA) (1989-90) |
| 兄弟姉妹 | 生年 | 父 | 勝ち鞍 | |
| Flaming Ace | 牡 | 1969 | Maribeau | Stallion |
| Far North | 牡 | 1973 | Northern Dancer | Prix Saint-Roman (FR-G3) |
| Flower Princess | 牝 | 1975 | Majestic Prince | Duchess S. (CAN) |
| Imperial Guard | 牡 | 1978 | Northern Dancer | Stallion |
| Pilgrim | 牡 | 1979 | Northern Dancer | Stallion |