Swynford  (スウィンフォード)  牡   黒鹿毛 sire line family
John O' Gaunt Isinglass Isonomy Sterling Oxford
Whisper
Isola Bella Stockwell
Isoline
Dead Lock Wenlock Lord Clifden
Mineral
Malpractice Chevalier Dindustrie
The Dutchman's
Daughter
La Fleche St. Simon Galopin Vedette
Flying Duchess
St. Angela King Tom
Adeline
Quiver Toxophilite Longbow
Legerdemain
Young Melbourne
Mare
Young Melbourne
Brown Bess
Canterbury Pilgrim Tristan Hermit Newminster Touchstone
Beeswing
Seclusion Tadmor
Miss Sellon
Thrift Stockwell The Baron
Pocahontas
Braxey Moss Trooper
Queen Mary
Pilgrimage The Palmer Beadsman Weatherbit
Mendicant
Madame Eglentine Cowl
Diversion
Lady Audley Macaroni Sweetmeat
Jocose
Secret Melbourne
Mystery
   
 Born - Died 1907.01 - 1928.05.18
 Breeder 16th Earl Derby GB
 Trainer George Lambton (Newmarket, Suffolk) GB
 Owner 17th Earl Derby GB

 

日付 開催国 競馬場 馬場 条件 勝時計 距離 騎手 斤量
 競走名 格付 1着馬 / 2着馬 着差
1909
07 GB Newmarket   2       D. Maher  
 Exeter Stakes ?    
1910
06 GB Epsom   3c&f 2:35.20 12F29Y 15   126
 Derby Stakes 11 Lemberg  
06 GB Ascot   3   8F      
 St. James's Palace Stakes 3 Lemberg 4
06 GB Ascot   3+   12F      
 Hardwicke Stakes 1   3/4
  GB         10F   F. Wootton  
 Liverpool Summer Cup Stakes 1   5
09 GB Doncaster   3c&f   14F132Y 11 F. Wootton 126
 St. Leger Stakes 1 /Bronzino head
  GB           1    
 Liverpool St. Leger 1 /- -
1911
  GB Newmarket       12F      
 Chippenham Plate 1    
06 GB Epsom   4+   12F29Y      
 Coronation Cup Stakes 2 Lemberg 3/4
06 GB Ascot   3+   12F      
 Hardwicke Stakes 1   4
07 GB Newmarket   3+   12F     141
 Princess of Wales's Stakes 1 /Lemberg 11/2
07 GB Sandown   3+   10F 7 F. Wootton 140
 Eclipse Stakes 1 /Lemberg 4

 

馬齢 出走 1着 2着 3着 以下
1909 2 1 0 0 0 1
1910 3 6 4 0 1 1
1911 4 5 4 1 0 0
合計 12 8 1 1 2
12 8 1 1 2

  イギリスセントレジャー (英、芝14F132Y)
  
エクリプスS (英、芝10F )
  ハードウィックS (英、芝12F)
  ハードウィックS (英、芝12F)
  プリンセスオブウェイルズS (英、芝12F)
  2着−コロネイションC (英、芝12F29Y)
   リーディングサイアー (英愛) (1923)
   リーディングブルードメアサイアー (英愛) (1932)

 

  第16代ダービー伯爵によって生産されたスウィンフォードは、
 極めつけの良血馬でした。 父ジョンオゴーントは、英3冠馬
 アイジングラスを父に、歴史的名牝ラフレシを母に持ち、さらに
 スウィンフォードの母カンタベリーピルグリムは、英オークス
 覇者、祖母ピルグリメッジ英1000ギニー英2000ギニー
 の両方を制したクラシック勝ち馬。 当時のイギリス競馬の粋
 を集めたといっても過言ではありません。
  1907年1月にウッドランドスタッドで生まれたスウィンフォー

 ドは、生まれた当時は母に似て小柄でしたが、とても健康で、その後も順調に成長していきました。 ダービ
 ー卿は1908年の6月に亡くなり、息子のスタンリー卿が第17代ダービー伯爵としてその後を受け継ぎまし
 た。 1歳になったスウィンフォードは、新たに建てられたスタンリーハウス厩舎を管理するジョージ・ラムトン
 調教師のもとへやって来ました。 この頃には馬体は非常に大きくなっていて、力強い動きも際立っていまし
 た。 当然ラムトン師もかなりの期待をかけていました。
  2歳7月に初めて行われた追い切りでも、年上の馬を相手に同斤量で楽勝するなどよい動きを見せていま
 した。 こうして迎えたデビュー戦のエクセターSでしたが、発走と同時に鞍上のダニー・マーエ騎手の抑えを
 振り切って飛び出してしまい、結局前半で力を使い果たしてしまったスウィンフォードは着外に敗れました。
 さらにその後、飛節に腫れが出て、2歳シーズンは結局この1走だけで終わりました。
  それが、明けて3歳シーズンの初戦が英ダービーだったというのですから、ラムトン調教師はよほどこの馬
 を見込んでいたのでしょう。 ところが結果は、他馬と接触して負傷したせいもあり、15頭中11着という惨敗。
 幸いけがはすぐに回復し、その2週間後にはセントジェイムズパレスSに登場、ここも英ダービーの勝ち馬で
 生涯の好敵手となるレンバーグから4馬身差の3着に終わりました。
  落胆したラムトン師でしたが、普段の調教からもやはりスウィンフォードは長距離戦に適性があると思い、
 さらに2日後のハードウィックSにスウィンフォードを出走させました。 ここまでまだ未勝利のスウィンフォード
 は大きな斤量差をもらって3/4馬身差の勝利を挙げ、ラムトン師もようやく少し溜飲を下げました。
  そして、名調教師が見込んだ才能がついに開花したのは、次走のリヴァプールサマーCでのことでした。
 やる気十分のスウィンフォードは、鞍上のフランク・ウートン騎手が心配になるほどの勢いで果敢に先頭に立
 つと、そのままぐんぐん後続を引き離し、最後は5馬身差をつけて圧勝したのでした。
  その7週間後、スウィンフォードはドンカスター競馬場での英セントレジャーにその堂々たる体躯を現しまし
 た。 人気は英ダービーの勝ち馬レンバーグに次いで単勝5.5倍(9-2)の2番目。 しかし、陣営はスウィン
 フォードのスタミナには絶対の自信がありました。 作戦通り発走と同時に先頭に踊り出たスウィンフォード
 は、そのままハイペイスを刻み、最後はブローンジーノにアタマ差まで迫られながらも、粘りの逃げ切り勝ち
 を決めたのでした。 とはいえ、1番人気のレンバーグが内に包まれて脚を余して敗れたため、この結果が
 実力通りとは人々は思っていませんでした。

 
  3歳シーズンをリヴァプールセントレジャーでの単走で締めくくったスウィンフォードは、4歳になってさらに力
 強さを増していきました。 まずニューマーケットでのチッペナムSを楽勝すると、エプソムでのコロネイションC
 は、待ち望んだレンバーグとの再戦となりました。 ところが、スローペイスとなったこの競走で、これまでと
 違ってやや後方に下げる作戦を取ったスウィンフォードは、レンバーグを3/4馬身差捕まえきれずに2着に敗
 れてしまいました。
  しかし、気を取り直して臨んだロイヤルアスコットのハードウィックSを4馬身差で連覇すると、プリンセスオ
 ブウェイルズSでレンバーグと5度目の対戦となりました。 141ポンド(約64kg)という斤量を背負いながら
 も、今度はなじみの逃げ戦法に戻したスウィンフォードは、斤量の5ポンド(約2.3kg)軽いレンバーグに1馬
 身半差をつけて見事勝利をものにしました。 互いに全力を出し切った勝負で、好敵手を力でねじ伏せたの
 でした。
  さらに半月後のエクリプスSで、140ポンド(約63.5kg)の斤量を背負ったスウィンフォードは、やはり徹頭
 徹尾先頭を走り、今度はレンバーグに4馬身差をつけて完勝。 これで勝負は完全につきました。 しかし、
 これがスウィンフォードの最後の競走になるとは、この時誰が予想したでしょう。
  ジョッキークラブSへ向けて順調に調整中だった1911年9月のある朝のこと。 ラムトン調教師と、彼の厩
 舎の専属騎手のウートンは、これから調教をつけようというスウィンフォードについて談笑し、「5ハロンだろう
 が5マイルだろうが、この馬に出来ないことはない、という気がする」 と素直な感想を漏らしていました。
  ラムトン師は調教の様子を見守っていました。 走っていた2頭が、干草の山の陰に隠れて少しの間視界
 から消えました。 しかし、いつまでたっても1頭が出てきません。 急いで駆けつけたラムトン師が見たもの
 は3本の脚で立っているスウィンフォードの姿でした。
  スウィンフォードのけがは球節の骨が粉々に砕けてしまっているという深刻なものでした。 これほどの重
 傷は即安楽死処分というのが当時の常識でしたが、ラムトン師は名獣医のリヴォック氏を呼び寄せて大手
 術を敢行させました。 周囲の懸命な看護と、馬自身の精神力によって奇跡的に一命を取りとめたスウィン
 フォードは、その後種牡馬として20世紀のサラブレッドに大きな影響を及ぼす存在となります。
  6歳になってウッドランドスタッドで種牡馬生活に入ったスウィンフォードは、初年度から活躍馬を送り続け、
 10年後の1923年にはリーディングサイアーとなりました。 1928年5月18日に21歳で世を去るまで、
 フェリー、キーソーベッティナ、トランキル、サンソヴィーノ、ソーシースーと6頭のクラシック勝ち馬を送り出し
 ました。 さらに後継種牡馬のセントジャーマンズ、チャレンジャーはアメリカで成功、そしてブランドフォード
 が4頭の英ダービーの勝ち馬の父となり、その血脈を現在まで伝えています。

  繋養地
   Woodland Stud (Newmarket, Suffolk, GB) (1913-28)

 

兄弟姉妹 生年 勝ち鞍
Chaucer 1900 St. Simon Gimcrack S. (GB)
Glasconbury 1903 Isinglass Nassau S. (GB)
Wife Of Bath 1904 St. Simon Broodmare
Harry Of Hereford 1910 John O' Gaunt Stallion