Seattle Slew  (シアトルスルー)  牡   黒鹿毛 sire line family
Bold Reasoning Boldnesian Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Alanesian Polynesian Unbreakable
Black Polly
Alablue Blue Larkspur
Double Time
Reason To Earn Hail To Reason Turn-To Royal Charger
Source Sucrée
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Sailing Home Wait A Bit Espino
Hi-Nelli
Marching Home John P. Grier
Warrior Lass
My Charmer Poker Round Table Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Knight's Daughter Sir Cosmo
Feola
Glamour Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Striking War Admiral
Baby League
Fair Charmer Jet Action Jet Pilot Blenheim
Black Wave
Busher War Admiral
Baby League
Myrtle Charm Aisab Good Goods
Winds Chant
Crepe Myrtle Equipoise
Myrtlewood
         
  Born - Died 1974.02.15 - 2002.05.07      
  Breeder Ben S. Castleman (Kentucky) USA  
  Trainer William H. Turner Jr. (1976-1977) USA  
  Douglas R. Peterson (1978) USA  
  Owner Karen L. Taylor USA  
  Tayhill Stable USA  

 

月日 開催国 競馬場 馬場 勝ち時計 距離 頭数 騎手 斤量
 競走名 格付 着順  1着馬 / 2着馬 着差
1976
09.20 USA Belmont Park Ft 1:10.20 D6F 12 J. Cruguet 122
 Maiden Special Weight   1  / Proud Arion 5
10.05 USA Belmont Park Ft 1:22.00 D7F 8 J. Cruguet 122
 Allowance   1  / Cruise On In 31/2
10.16 USA Belmont Park Ft s 1:34.40 D8F 10 J. Cruguet 122
 Champagne Stakes G1 1  / For The Moment 93/4
1977
03.09 USA Hialeah Park Ft c 1:20.60 D7F 8 J. Cruguet 117
 Allowance   1  / White Rammer 9
03.26 USA Hialeah Park Ft 1:47.40 D9F 13 J. Cruguet 122
 Flamingo Stakes G1 1  / Giboulee 4
04.23 USA Aqueduct Ft 1:49.60 D9F 7 J. Cruguet 126
 Wood Memorial Stakes G1 1  / Sanhedrin 31/4
05.07 USA Churchill Downs Ft 2:02.20 D10F 15 J. Cruguet 126
 Kentucky Derby G1 1  / Run Dusty Run 13/4
05.21 USA Pimlico Ft 1:54.40 D9.5F 9 J. Cruguet 126
 Preakness Stakes G1 1  / Iron Constitution 11/2
06.11 USA Belmont Park My 2:29.60 D12F 8 J. Cruguet 126
 Belmont Stakes G1 1  / Run Dusty Run 4
07.03 USA Hollywood Park Ft 1:58.60 D10F 7 J. Cruguet 126
 Swaps Stakes G1 4  J. O. Tobin 16
1978
05.14 USA Aqueduct Sy 1:22.80 D7F 6 J. Cruguet 122
 Allowance   1  / Proud Arion 81/4
08.12 USA Saratoga Sy 1:21.60 D7F 5 J. Cruguet 119
 Allowance   1  / Proud Birdie 6
09.05 USA Meadowlands Ft 1:48.00 D9F 10 J. Cruguet 128
 Paterson Handicap G3 2  Dr. Patches neck
09.16 USA Belmont Park Ft 1:45.80 D9F 6 A. Cordero Jr. 128
 Marlboro Cup Handicap G1 1  / Affirmed 3
09.30 USA Belmont Park Ft c 2:00.00 D10F 5 A. Cordero Jr. 126
 Woodward Stakes G1 1  / Exceller 4
10.14 USA Belmont Park Sy 2:27.20 D12F 6 A. Cordero Jr. 126
 Jockey Club Gold Cup G1 2  Exceller nose
11.11 USA Aqueduct Ft 1:47.40 D9F 5 A. Cordero Jr. 134
 Stuyvesant Handicap G3 1  / Jumping Hill 31/4

 

馬齢   出走 1着 2着 3着 以下
1976 2   3 3 0 0 0
1977 3   7 6 0 0 1
1978 4   7 5 2 0 0
合計 17 14 2 0 1
ダート 17 14 2 0 1
G1 10 8 1 0 1

  アメリカシャンペインS (米G1、ダート8F)
  フラミンゴS (米G1、ダート9F)
  ウッドメモーリアルS (米G1、ダート9F)
  
ケンタッキーダービー (米G1、ダート10F)
  
プリークネスS (米G1、ダート9.5F)
  
ベルモントS (米G1、ダート12F)
  マールボロC (米G1、ダート9F)
  ウッドワードS (米G1、ダート10F)
  スタイヴェサントH (米G3、ダート9F)
  2着−ジョッキークラブゴールドC (米G1、ダート12F)
   エクリプス賞最優秀2歳牡馬 (1976)
   エクリプス賞年度代表馬、最優秀3歳牡馬 (1977)
   エクリプス賞最優秀古牡馬 (1978)
   首位種牡馬 (米) (1984)
   首位種牡馬(母父) (米) (1995,96) (2)
   競馬の殿堂 (米) (1981)

 

  シアトルスルーの名は、無敗で米3冠を制覇した唯一の馬
 として今でも語り継がれています。 生涯無敗だったわけで
 はありませんが、ケンタッキーダービープリークネスS
 ルモントSに至るまでは1度も負けたことがありませんでした。
 他の10頭の米3冠の勝ち馬がいずれもすでに2歳シーズン
 で負けていることを考えても、これがいかに難しいことである
 かが分かります。
  1974年、シアトルスルーは、ケンタッキー州中央部のホ
 ースマン、ベン・キャッスルマンの手によって、レキシントン郊外にあるホワイト・ホース・エイカーズ・ファーム
 (White Horse Acres Farm)で生まれました。 キャッスルマンは前年、自ら生産したフェアグラウンズオー
 クスの勝ち馬マイチャーマーに、ハンコック一族のクレイボーン・ファームの新種牡馬ボールドリーズニング
 種付けしました。 当初キャッスルマンは、マイチャーマーボールドルーラー産駒のハシントを種付けしよう
 と考えていましたが、すでに予約が一杯だったため、ハンコックが種付け料も5000ドルという比較的安価
 なボールドリーズニングを推薦したのでした。 ボールドリーズニングは競走馬としてウィザーズSやジャー
 ジーダービーを勝ち、ベルモントパーク競馬場のダート6ハロンの走路記録を出すなど、スピードのある馬で
 した。 そして種牡馬としてはわずか3世代の産駒を残し、1975年に急死してしまいました。
  同年のファシグ・ティプトン7月セリで、ミッキーとカレンのテイラー夫妻(Mickey & Karen Taylor)は、ジェ
 イムズとサリーのヒル夫妻(Dr. James & Sally Hill)とともに、ピアソンズ・バーン社の名義で、2歳時のシ
 アトルスルーを1万7500ドルで購入しました。 獣医であるジェイムズ・ヒル氏が選んだ馬でした。 馬名
 のシアトルスルーは、テイラー夫妻の故郷であるシアトルと、ヒル夫妻の故郷である湿地帯で有名なフロリ
 ダ州(スルーは湿地の意味)にちなんで名付けられました。
 
  メリーランド州出身の若き調教師ウィリアム・ターナーJr.に預けられたシアトルスルーの馴致は、妻のパ
 ウラが行いました。 そしてカレン・ターナー名義で登録されたシアトルスルーは、ジャン・クリュゲ騎手を鞍
 上に、1976年9月20日、ベルモントパーク競馬場で初出走を迎えました。 調教では素晴らしい動きを見
 せていましたが、それほど注目を集めていたわけではありませんでした。 それでも最終的には単勝3.6倍
 の1番人気に支持されたシアトルスルーは、発走からしばらくして先頭に立つとそのまま実力の違いを見せ
 付け、最後は2着に5馬身差をつけて完勝しました。
  その2週間後の一般戦では、競馬場の手違いによって、いつもの黒と黄色ではなく青い勝負服で出走す
 ることになりました。 1番枠からの発走で出遅れてしまったシアトルスルーでしたが、そこから猛烈なスピ
 ードと闘争心で先頭を奪うと、あとは終始持ったままで楽勝を飾りました。
  テイラーとヒルの両夫妻はこの2戦のみで、10月16日に行われる米シャンペインSへの出走を決めまし
 た。 もう少し経験が必要だというターナー調教師の心配をよそに、シアトルスルーはいつものように騎手
 がまたがると、カレンが 「戦闘の踊り(War Dance)」 と呼ぶ跳ね上がる動きを繰り返して緊張感を高め、
 発汗して全身を黒光りさせていました。 そしてここでも1番人気に支持されたシアトルスルーは、すでに
 ベルモントフューチュリティーSなどを制していたフォーザモーメントなどを相手に、9馬身3/4という大差を
 つけて逃げ切り勝ちを決めました。 勝ち時計の1分34秒4は、1967年のヴィトリオリックの記録を0.2秒
 縮める競走記録で、2歳馬としての新記録でした。
  曽祖父の代から営んでいた林業を継いだミッキー・テイラーでしたが、いつか強い競走馬を持ちたいという
 彼の夢はついに現実となりました。 「競走が終わってから妻のカレンに、「この馬がずっと故障せずにいれ
 ば、俺はもうこの先1本も木を切らなくて済むぞ。」 と言ったものです。」 と、当時を振り返っています。
  この1戦でシアトルスルーはエクリプス賞最優秀2歳牡馬の称号を獲得しました。 この年のフリーハンデ
 でシアトルスルーに与えられた126ポンド(約57.2kg)という数字は、世代の最高ではあったものの、歴代
 の馬と比べると決して高い評価ではありませんでした。 しかし翌年、シアトルスルーはこの評価を覆すよう
 に大活躍をすることになります。
 
  クラシックシーズンに備えてフロリダ州に移動したシアトル
 スルーは、3歳初戦として7ハロンの一般戦に出走。 1度
 も鞭を使われることなく、9馬身差の逃げ切り勝ちを収めまし
 た。 勝ち時計は1分20秒6の走路記録で、これはハイア
 リーアパーク競馬場が2001年に閉場するまで破られるこ
 とはありませんでした。 次に挑んだフラミンゴSでも距離延
 長を問題にせず、ここも1分47秒4の好記録で優勝しました。
  前哨戦のウッドメモーリアルSも制したシアトルスルーは、
 2週間後の
ケンタッキーダービー当日には単勝1.5倍の圧
米3冠達成
 倒的1番人気に推されました。 シアトルスルーは発走の時にゲイトに頭をぶつけて危うく騎手を落馬させ
 かけ、ファンの肝を冷やしましたが、クリュゲ騎手はすぐに体勢を立て直し、最初のコーナーで逃げ馬のフォ
 ーザモーメントを捕まえました。 2頭はぴったり並んだまま直線の入り口に入りましたが、そこでシアトル
 スルーが突き放し、最後は追い上げてきたランダスティーランを1馬身3/4差抑え、先頭でゴールを駆け抜
 けました。
  しかし、この
ケンタッキーダービー勝利をもってしても、負かした相手が弱かったのだとしてシアトルスルー
 の強さを認めようとしない競馬関係者は多くいました。 とはいえ、そのような評価も、次の2戦ですっかり
 変わることになります。
  単勝1.4倍とさらに倍率を下げて臨んだプリークネスSで、シアトルスルーは、第3コーナーでコーモラント
 を振り切ると、1マイルを過去最高となる1分34秒8で通過。 ゴールでは2着のアイアンコンスティテュー
 ションに1馬身1/2差をつけ、1971年のキャノネロの競走記録にあと0.4秒と迫る1分54秒4の記録で完
 勝しました。 ヨーロッパの2歳チャンピオン、ジェイオートービンは5着に敗れました。
  あとはベルモントSを残すのみ、これに勝てば史上初の無敗の米3冠馬の誕生となります。 競走当日
 の6月11日は、朝からどしゃ降りで、霧に覆われ寒い1日でした。 再び単勝1.4倍の人気を背負ったシ
 アトルスルーは、不良馬場にもかかわらずたやすく先頭に立つと、後は楽に後続との差を広げ、ランダス
 ティーランに4馬身差をつけてゴールしました。 勝利の瞬間、クリュゲ騎手は馬上で立ち上がって右手を
 高々と突き上げました。 多くの名馬が厚い壁にはね返されてきた偉業を、シアトルスルーはいとも簡単
 に達成して見せたのでした。
 
  ところが、この後シアトルスルーを待っていたのは、偉業をねぎらっての休養ではなく、ハリウッドパーク
 競馬場で7月3日に開催されるスワップスSへの参戦でした。 米3冠の後には長期の休養が必要だとい
 うターナー調教師の主張は受け入れられず、西海岸でもこの米3冠馬の走りを披露したいという馬主の意
 向により、出走に踏み切ることになりました。 そしてここでシアトルスルーは、以前下した相手であるジェ
 イオートービンから16馬身も離された4着という、生涯唯一となる大敗を喫してしまったのでした。
  結局両者の溝は埋まらず、12月にシアトルスルーはターナー厩舎を離れることになりました。 このよう
 にシアトルスルーの3歳シーズンは後味の悪い終わり方でしたが、それでもエクリプス賞では古馬のフォア
 ゴーを抑えて年度代表馬に選ばれ、そしてもちろん、最優秀3歳牡馬の称号も手にしました。
  新たにシアトルスルーを管理することになったのは、ダグラス・ピーターソン調教師でした。 1978年1月
 のハイアリーアパークでは、このピーターソンの迅速な処置が、名馬の命をウイルス性の疾患から救ってい
 ます。 シアトルスルーは数週間調教を休んだだけで、競馬に復帰することが出来ました。
  その冬、テイラー夫妻とヒル夫妻は、ウッデン・ホース・インヴェストメンツ社の名前でシアトルスルーの権
 利の半分を売却しました。 600万ドルでこれを購入したのが、ケンタッキー州レキシントンの近くで父の
 スペンドスリフト・ファームを経営するブラウネル・コームズ氏をはじめとするホースマンたちでした。
 
  4歳になったシアトルスルーは、5月と8月の一般戦を楽勝
 した後、メドウランズ競馬場で行われたパターソンHでドクター
 パッチズにクビ差敗れました。 長期の休養からまだ完全に
 は回復してなかった上、14ポンド(約6.4kg)の斤量差も響
 きました。 この時点でクリュゲ騎手は調教方針に賛同でき
 ないと主張し、結局彼もまたシアトルスルーのもとを去ってい
 きました。
  替わって手綱を取ることになったのはアンヘル・コルデロJr.
 騎手でしたが、彼はマールボロCで史上初の米3冠馬対決に
マールボロC
 騎乗する名誉を得ました。 馬券ではこの年米3冠を達成したアファームドに単勝1.5倍で1番人気を譲った
 ものの、競走では先輩のシアトルスルーに軍配が上がりました。
  次走のウッドワードSでエクセラーを下し、2分0秒0の走路記録で優勝したシアトルスルーは、ジョッキー
 クラブGCで再度アファームドと対決することとなりました。
  2頭の米3冠馬は、互いの意地がぶつかり合う中、最初からぴったりと並んで超ハイペイスで先頭争いを
 繰り広げました。 結局、アファームドは直線で力尽き、5着という生涯唯一の大敗を喫しました。 一方、
 シアトルスルーはエクセラーと激しい叩き合いを演じ、最後はわずかハナ差で敗れました。
  「ゴールドCでの走りがシアトルスルーのすべてを物語っている。 しかもあの競走では、シアトルスルー
 産駒が父から譲り受けることになる、真の競走馬の魂をも垣間見ることが出来る。」 と、テイラー氏は後に
 語っています。
  この後、スタイヴェサントHでは134ポンド(約60.8kg)を背負いながらも楽勝し、競走生活を終えました。
 生涯成績は17戦14勝、獲得賞金は120万8726ドルでした。 エクリプス賞最優秀古馬の称号を手土産
 に、1200万ドルのシンジケートが組まれて、翌年からケンタッキー州にあるスペンドスリフト・ファームで種
 牡馬生活に入りました。
 
  シアトルスルーは種牡馬としても競走馬同様、抜群のスタートを切りました。 初年度からいきなりランダ
 ルースというスターホースを輩出。 この牝馬は、1982年のハリウッドラッシーSで後続を21馬身ちぎり、
 1分8秒2の2歳新記録で優勝、一躍大変な人気馬となりました。 彼女の訃報は、アメリカの放送局CBS
 のアンカーマン、ダン・ラザー氏が自ら報告したほどでした。 シアトルスルーの初年度産駒には他にも、
 アドアード、スルーピー、後に殿堂入りを果たしたスルーオゴールドといったGT馬がいました。 その翌年
 に生まれたスウェイルは、1984年の
ケンタッキーダービーベルモントSを制しましたが、米2冠達成から
 8日後に急死しました。 この年にはスウェイルの活躍もあり、首位種牡馬に輝きました。
  シアトルスルーはマイチャーマーの最初の産駒でしたが、その後、その産駒からは1983年の英2000
 ギニーの勝ち馬ローモンドなどが出ていました。 そして1985年、英3冠の勝ち馬ニジンスキーを父に持
 つ後のシアトルダンサーが、キーンランド7月セリで史上最高額となる1310万ドルで落札されました。
  1990年のキーンランド7月セリでその年の最高額となる290万ドルで購買されたエイピーインディーは、
 その2年後、ベルモントSBCクラシックなどを勝ち、エクリプス賞年度代表馬に選出されました。 さらに
 その子マインシャフトは、2003年にジョッキークラブGCなどを勝ち、父子3代連続でエクリプス賞年度代
 表馬となりました。
 
  1981年に競馬の殿堂入りを果たしたシアトルスルーは、
 1986年の種付けシーズン前に、ケンタッキー州ミッドウェ
 イ近郊にロバート・クレイ夫妻が所有するスリー・チムニー
 ズ・ファームに移りました。 その後も産駒は活躍を続け、
 カポート、フルート、ヴィンディケイションなど100頭以上が
 ステイクス勝ち馬となりました。 母の父としても16連勝を
 達成した名馬シガーなど、70頭以上がステイクス勝ち馬と
 なりました。
  晩年に脊椎を痛めていたシアトルスルーは2度の大手術を受けました。 2002年は種付けを中止し、
 ヒルンデイル・ファームで療養していましたが、5月7日午前9時、老衰のため28歳で息を引き取りました。
 遺体はスリー・チムニーズ・ファームに埋葬されました。 この日は25年前に自身が
ケンタッキーダービー
 を制した記念日でした。
 
  繋養地
   Spendthrift Farm (USA) (1979-1985)
   Three Chimneys Farm (USA) (1986-2002)

 

  兄弟姉妹   生年 勝ち鞍
  Charming Turn 1977 Best Turn Stallion
  Lomond 1980 Northern Dancer 2000 Guineas S. (GB-G1)
  Argosy 1981 Affirmed Kilfrush-What A Guest S. (IRE-L)
  Great Charmer 1983 The Minstrel Stallion
  Seattle Dancer 1984 Nijinsky Derby Trial S. (IRE-G2)