Polymelus  (ポリメラス)  牡   鹿毛 sire line family
Cyllene Bona Vista Bend Or Doncaster Stockwell
Marigold
Rouge Rose Thormanby
Ellen Horne
Vista Macaroni Sweetmeat
Jocose
Verdure King Tom
May Bloom
Arcadia Isonomy Sterling Oxford
Whisper
Isola Bella Stockwell
Isoline
Distant Shore Hermit Newminster
Seclusion
Lands End Trumpeter
Faraway
Maid Marian Hampton Lord Clifden Newminster Touchstone
Beeswing
The Slave Melbourne
Volley
Lady Langden Kettledrum Rataplan
Hybla
Haricot Lanercost
Queen Mary
Quiver Toxophilite Longbow Ithuriel
Miss Bowe
Legerdemain Pantaloon
Decoy
Young Melbourne
Mare
Young Melbourne Melbourne
Clarissa
Brown Bess Camel
Brutandorf Mare
 
 Born - Died 1902 - 1924.03.24
 Breeder Earl Crewe GB
 Trainer John Porter (1904-1905) GB
Baker (1905) GB
- (1905-1906) GB
 Owner Earl Crewe GB
David Faber GB
Solomon Barnato Joel GB

 

日付 開催国 競馬場 馬場 条件 勝時計 距離 騎手 斤量
 競走名 格付 1着馬 / 2着馬 着差
1904
06 GB Ascot   2+          
 Triennial Stakes 2    
  GB Kempton   2          
 National Breeders' Produce Plate ? Cicero  
  GB Goodwood   2   6F 7 M. Cannon  
 Richmond Stakes 1    
  GB Newmarket   2+          
 Rous Memorial Stakes 1    
  GB Newmarket   2          
 Criterion Stakes 1    
  GB Newmarket   2   6F      
 Middle Park Plate ? Jardy  
  GB Newmarket   2          
 Imperial Plate ?    
  GB York   2          
 Convivial Stakes 2    
1905
  GB Newmarket   3          
 Newmarket Stakes 5 Cicero  
06 GB Ascot   3   8F      
 St. James's Palace Stakes 2 Cherry Lass  
06 GB Ascot   2+          
 Triennial Stakes 1 /Llangibby  
07 GB Sandown   3&4   10F 6    
 Eclipse Stakes 4 Val d'Or  
  GB Goodwood              
 Stewards' Cup 3    
  GB Stockton       10F      
 Durham Produce Plate 1    
  GB York   3+   10F      
 Duke of York Stakes 1    
  GB Derby              
 Preveril of the Peak Handicap ?    
09 GB Doncaster   3c&f   14F132Y 8   126
 St. Leger Stakes 2 Challacombe  
  GB Newmarket   3+   14F      
 Jockey Club Stakes 2 St. Amant  
  GB     3+          
 Gatwick Stakes 1    
1906
  GB                
 City & Suburban Handicap ?    
06 GB Ascot   2+          
 Triennial Stakes 2    
  GB Newmarket   2+          
 Rous Memorial Stakes ?    
  GB Newmarket   3+   12F      
 Princess of Wales's Stakes ? Dinneford  
07 GB Sandown   3&4   10F 9    
 Eclipse Stakes ? Llangibby  
  GB     3+          
 Prince of Wales Handicap 2 Aurina  
  GB Newmarket   3+          
 Jockey Club Stakes 4 Beppo  
  GB York   3+   10F      
 Duke of York Stakes 1    
10 GB Newmarket   3+          
 Cambridgeshire Handicap 1    
10 GB Newmarket   3+   10F      
 Champion Stakes 1    
1907
06 GB Epsom   4+   12F      
 Coronation Cup Stakes 3 The White Knight  
07 GB Newmarket   3+   12F      
 Princess of Wales's Stakes 1    

 

馬齢 出走 1着 2着 3着 以下
1904 2 8 3 2 0 3
1905 3 11 4 3 1 3
1906 4 10 3 2 0 5
1907 5 2 1 0 1 0
合計 31 11 7 2 11
31 11 7 2 11

  イギリスチャンピオンS (英、芝10F)
  リッチモンドS (英、芝6F)
  デュークオブヨークS (英、芝10F)
  デュークオブヨークS (英、芝10F)
  プリンセスオブウェイルズS (英、芝12F)
  2着−イギリスセントレジャー (英、芝14F132Y)
   リーディングサイアー (英愛) (1914-16,20,21) (5)

 

  ポリメラスは一流の競走馬で、さらに種牡馬となってから成
 功を収め、産駒のファラリスを通してその血脈は世界の主流
 血統となりました。 しかし、当初からそれほど期待されてい
 たわけではなかったのでした。
  英2000ギニーの勝ち馬ボーナヴィスタとアイソノミー産駒
 のアーケイディアとの間に生まれた父シリーンは、晩成馬
 だったためクラシック競走には出走していませんが、4歳時
 にアスコットGCを勝ちました。 1900年から種牡馬入りしま
 したが、人気はなく、1905年の英ダービーの勝ち馬シセローなどを送り出したにもかかわらず、1908年の
 夏にはアルゼンチンへ売却されてしまいました。 ところがその後、残した産駒の中からミノル、レンバーグ、
 タガリーとさらに3頭の英ダービーの勝ち馬が生まれ、イギリスの人々を後悔させました。 ポリメラスはその
 シリーンの2年目の産駒ということになります。
  ヴィクトリア女王によって生産された母メイドマリアンは、1887年のハンプトンコート・イヤリングセイルでわ
 ずか400ギニーでローソン氏に購買されました。 当時はその父ハンプトンもそれほど評価されておらず、母
 クウィヴァーもまだ目立った産駒を残していませんでした。
  ローソン氏の勝負服で2歳時のみ出走したメイドマリアンは、7戦しましたが結局1勝も挙げることはできま
 せんでした。 そして最後の競走となったクレイミング競走で、リチャード・マーシュ氏によって150ポンドで
 購買されたのでした。 さらにマーシュ氏はその後すぐにメイドマリアンをフランシス・ラスコンビー氏に300
 ポンドで転売しました。
  メイドマリアンの最初の産駒が生まれた1890年、半妹でガロピン産駒のメモワールが英オークス英セ
 ントレジャーを制しました。 これで一気に注目を集めたメイドマリアンは、3000ポンドでプラット少佐に売却
 されました。 その2年後、半妹でこれもガロピン産駒のラフレイシュが、英1000ギニー英2000ギニー
 英オークス英セントレジャーの4冠を達成し、さらに翌年にはアスコットGCも勝ったのでした。
  しかし、メイドマリアンはブラッド少佐の下でよい競走馬を残すことはありませんでした。 それでも未出走
 馬のグラフトンはオーストラリアで種牡馬入りして成功しました。 そこで、ニューマーケット・ジュライ・セイル
 に出されたメイドマリアンは、クルー伯爵に620ギニーで購買されました。 この時にはハンプトンが種牡馬
 として成功し、母の父としてもエアシャーとパーシモンの2頭の英ダービーの勝ち馬を送り出していたことと、
 2頭の半妹の活躍を考えると、この価格は繁殖成績をあまり気にしていなかったクルー卿にとってはかなり
 格安だったと言えるでしょう。
  クルー卿の下で、まずケンダルとの間に生まれたアーシルドゥーンはデュークオブヨークSを勝ちました。
 そして1901年にはシリーンが種付けされ、翌年、1頭のたくましい鹿毛の牡馬が誕生しました。 父シリー
 がギリシャ神話の神ヘルメスが生まれた山の名前から名付けられていたため、その子も古代の神話にち
 なんで、ギリシャの詩人ホメロスの詩 「イリアス」 に登場する、パトロクルスに殺されたトロイの戦士の名前
 からポリメラスと名付けられたのでした。
 
  ポリメラスは、英ダービー6勝を誇る名調教師、ジョン・ポーター師の厩舎へ送られました。 そしてそこで
 均整のとれた立派な馬体へと成長を遂げました。 調教での動きもよく、デビュー戦となったアスコット競馬
 場でのトライエニアルSへ自信を持って送り出されましたが、残念ながら2着に敗れました。 続いて臨んだ
 ケンプトン競馬場でのナショナルブリーダーズプロデュースSではシセローの着外に敗れました。 シセロー
 は、クルー卿の義父ローズベリー卿の生産馬で、父はシリーン、母の父はハンプトン産駒のエアシャーとい
 うポリメラスと似た血統の馬でした。 そしてこの後シセローは、ジュライS、ウッドコートS、コヴェントリーS
 などを楽勝してこの年の最優秀2歳馬となりました。
  この後ポリメラスは、グッドウッド競馬場でのリッチモンドSで初勝利を挙げてようやくその実力を示すと、さ
 らにニューマーケット競馬場でのラウス記念S、クリテリオンSと3連勝を飾りました。 しかし重要な2歳戦、
 ミドルパークプレイトとインペリアルプレイトでは着外に敗れました。 そしてヨーク競馬場でのコンヴィヴィア
 ルSでは2着に入り、8戦3勝で2歳シーズンを終えました。
 
  3歳となったポリメラスは、英ダービーの前哨戦の1つであるニューマーケットSに姿を現しました。 しかし、
 いい所なくシセロー、ランギビーなどに続く5着に終わりました。 陣営はこのまま英ダービーへ出走しても、
 シセローやフランスから参戦予定のジャルディーにはかなわないだろうと判断しました。 結局ポリメラスは
 英ダービーには出走せず、競走では予想通りシセローとジャルディーが1、2着となりました。
  ポリメラスはそのままロイヤルアスコット開催のセントジェイムズパレスSへと向かい、英2冠牝馬チェリー
 ラスの2着と好走しました。 そしてその翌日のトライエニアルSでは、圧倒的な1番人気に推されたランギ
 ビーを破って優勝しました。
  サンダウン競馬場でのエクリプスSは、シセローやランギビーと再戦となりました。 しかしここはフランス
 からの遠征馬ヴァルドールが勝ち、ポリメラスは2着のシセロー、3着のランギビーに続く4着が精一杯でし
 た。 次走、グッドウッド競馬場でのステュアーズCで3着に入ると、ストックトン競馬場でのダーラムプロデュ
 ースプレイトでは、他馬より10ポンド(約4.5kg)から28ポンド(約12.7kg)重い斤量を背負って価値ある
 勝利を挙げました。 さらにヨーク競馬場でのデュークオブヨークSで2連勝。 ダービー競馬場でのプレヴェ
 リルオブザピークHでは敗れたものの、ポリメラスの調子が着実によくなっていることは明らかでした。
  こうしてポリメラスは周囲の期待とともに、クラシック最終戦の英セントレジャーへと臨んだのでした。 そし
 てその期待は裏切られませんでした。 伏兵チャラクームには敗れたものの、チェリーラスランギビーには
 先着する2着を果たしたのでした。 ポリメラスはその後すぐに出走したジョッキークラブSでもよい走りを見
 せました。 前年の英ダービーの勝ち馬でこの競走でも大本命に推されていたサンアマンから1馬身以内に
 迫る2着に入ったのでした。 そしてポリメラスは、続くガトウィックSを勝利で飾って3歳シーズンを締めくくり
 ました。
 
  このポリメラスの勝利が、ポーター調教師の手がけた最後の勝利となりました。 オーモンド、コモン、フラ
 イングフォックスと3頭もの英3冠馬を送り出した偉大な調教師は、この年限りで引退することになったのでし
 た。 ポーター師は、ポリメラスが古馬になったらもっと強くなるだろうと考えていましたが、残念ながら不振
 に陥ってしまいます。 やはりポーター師の忍耐と技術によって引き出されている部分はかなり大きかった
 のでした。 クルー卿は、ポーター調教師の引退に伴って、ポリメラスを売却することに決めました。 そして
 デイヴィッド・フェイバー氏に3000ポンドで売却されたポリメラスは、ベイカー調教師の厩舎へ送られました。
  ポリメラスの4歳時は、3歳後半と比べると決して良いものではありませんでした。 まず移籍初戦となった
 シティー&サバーバンHで着外に敗れると、2連覇を狙ったトライエニアルSでは2着に入ったものの、ラウス
 記念Sで着外。 プリンセスオブウェイルズSではディンフォード、ランギビー、サンアマンなどに後れをとって
 着外に終わり、ランギビーが勝ったエクリプスSでも着外でした。 そしてようやく、プリンスオブウェイルズH
 で2着に入り、調子を取り戻してきたように見えました。
  結局、ポリメラスはベイカー師の下で勝利を挙げることができませんでした。 フェイバー氏は、ポリメラスを
 ニューマーケット・ファースト・オクトーバー・セイルに出したのでした。 このせりでポリメラスを4200ギニー
 で落札したのは、ソロモン・ジョエル氏でした。
  ジョエルは、ジャック・ジョエル氏と兄弟で、ともに南アフリカで伯父のバーニー・バーナト氏を援助すること
 で財を成しました。 バーナトは、セシル・ローズ氏と協力してデビアス共同鉱山を創設。 さらにダイヤモン
 ドに加え、金の鉱山でも富を得ました。 兄弟は伯父とともに巨大な財閥を作り上げたのでした。 そして18
 97年にバーナトが自殺によって死去すると、兄弟は莫大な財産を相続しました。 その後、イギリスへ戻っ
 た兄弟は、メイデンアーレグスタッド、後のチャイルドウィックベリースタッドを設立。 このスタッドのために、
 よい種牡馬となりそうな馬を探していたジョエルの目に留まったのが、ポリメラスだったのでした。
  馬主が変わって迎えたジョッキークラブSは4着に終わったものの、続くデュークオブヨークSとケンブリッジ
 シャーSを圧勝すると、その3日後には英チャンピオンSも勝ち、3連勝を飾ったのでした。
  翌年も現役を続けたポリメラスは、わずか2回の出走にとどまりましたが、コロネイションCではザホワイト
 ナイト、トラウトベックに続く3着に入り、プリンセスオブウェイルズSを勝ちました。 こうして通算31戦11勝
 の成績を残して現役生活を終えました。
 
  競走馬としては同世代のクラシック勝ち馬たちと同等とはみなされていなかったポリメラスでしたが、種牡
 馬としては話は別でした。 ポリメラスは当時のイギリスで最も成功した種牡馬となったのでした。 そして
 父シリーンとは違い、生涯をイギリスのメイデンアーレグスタッドで送りました。 ポリメラスは着実によい産
 駒を送り出し続け、当初98ポンドだった種付け料は、その後300ギニーにまで上がりました。 当時のイギ
 リスで主流だったガロピンとセントサイモンの血が入っていないことも人気を集める要因となりました。
  ポリメラスは通算で220頭近い勝ち馬を送り出し、その中から英セントレジャーの勝ち馬ブラックジェスタ
 、英3冠馬ポマーン英オークス英ダービーを制した名牝フィフィネッラ、英1000ギニーの勝ち馬シナ、
 不運な英ダービーの勝ち馬ヒューモリストの5頭がイギリスのクラシック勝ち馬となりました。 さらにプリー
 クネスSの勝ち馬ウォークラウド、凱旋門賞の勝ち馬パースなども送り出し、英愛リーディングサイアーに5
 回も輝きました。 そして前述のようにファラリスを通じてその血は世界中に広まることになったのでした。
  ポリメラスは種牡馬となった最初の年、転倒して骨盤に重傷を負い、その後は種付けの際に介助を必要と
 するようになっていました。 そしてその古傷は晩年にはリューマチとなってポリメラスを苦しめ、ついに192
 4年3月24日、安楽死の処置が下されることになったのでした。 ポリメラスは22歳で世を去り、遺体はそ
 の地に埋葬されました。 同じ年、異国の地で彼の父シリーンも29歳でその生涯を終えました。

  繋養地
   Maiden Erlegh Stud (Reading, Berkshire, GB) (1908-24)

 

兄弟姉妹 生年 勝ち鞍
Grafton 1894 Galopin Stallion
Ercildoune 1896 Kendal Duke of York S. (GB)
Lady Cynosure 1903 Cyllene Broodmare
Marian Hood 1905 Martagon Broodmare