| Native Dancer (ネイティヴダンサー) 牡 芦毛 | sire line | family |
| Polynesian | Unbreakable | Sickle | Phalaris | Polymelus |
| Bromus | ||||
| Selene | Chaucer | |||
| Serenissima | ||||
| Blue Glass | Prince Palatine | Persimmon | ||
| Lady Lightfoot | ||||
| Hour Glass | Rock Sand | |||
| Hautesse | ||||
| Black Polly | Polymelian | Polymelus | Cyllene | |
| Maid Marian | ||||
| Pasquita | Sundridge | |||
| Pasquil | ||||
| Black Queen | Pompey | Sun Briar | ||
| Cleopatra | ||||
| Black Maria | Black Toney | |||
| Bird Loose | ||||
| Geisha | Discovery | Display | Fair Play | Hastings |
| Fairy Gold | ||||
| Cicuta | Hassovian | |||
| Hemlock | ||||
| Ariadne | Light Brigade | Picton | ||
| Bridge Of Sighs | ||||
| Adrienne | His Majesty | |||
| Adriana | ||||
| Miyako | John P. Grier | Whisk Broom | Broomstick | |
| Audience | ||||
| Wonder | Disguise | |||
| Curiosity | ||||
| La Chica | Sweep | Ben Brush | ||
| Pink Domino | ||||
| La Grisette | Roi Hérode | |||
| Miss Fiora |
| Born - Died | 1950.03.27 - 1967.11.16 | |||
| Breeder | Alfred G. Vanderbilt Jr. (Maryland) |
|
USA | |
| Trainer | William C. Winfrey |
|
USA | |
| Owner | Alfred G. Vanderbilt Jr. |
|
USA |
| 月日 | 開催国 | 競馬場 | 馬場 | 勝ち時計 | 距離 | 頭数 | 騎手 | 斤量 | |
| 競走名 | 格付 | 着順 | 1着馬 / 2着馬 | 着差 | |||||
| 1952 | |||||||||
| 04.19 |
|
USA | Jamaica | Ft | 0:59.60 | D5F | 9 | O.E. Guerin | 118 |
| Allowance | 1 | / Putney | 41/2 | ||||||
| 04.23 |
|
USA | Jamaica | Ft | 0:59.40 | D5F | 12 | O.E. Guerin | 117 |
| Youthful Stakes | 1 | / Tribe | 6 | ||||||
| 08.04 |
|
USA | Saratoga | Ft | 1:06.00 | D5.5F | 7 | O.E. Guerin | 122 |
| Flash Stakes | 1 | / Tiger Skin | 21/4 | ||||||
| 08.16 |
|
USA | Saratoga | G | 1:13.20 | D6F | 8 | O.E. Guerin | 122 |
| Saratoga Special Stakes | 1 | / Doc Walker | 31/2 | ||||||
| 08.23 |
|
USA | Saratoga | Ft | 1:11.20 | D6F | 5 | O.E. Guerin | 126 |
| Grand Union Hotel Stakes | 1 | / Tahitian King | 31/2 | ||||||
| 08.30 |
|
USA | Saratoga | Ft | 1:18.80 | D6.5F | 7 | O.E. Guerin | 122 |
| Hopeful Stakes | 1 | / Tiger Skin | 2 | ||||||
| 09.22 |
|
USA | Belmont Park | Ft | 1:09.60 | D6F | 8 | O.E. Guerin | 118 |
| Allowance | 1 | / Tahitian King | 11/4 | ||||||
| 09.27 |
|
USA | Belmont Park | Ft | w 1:14.40 | D6.5F | 10 | O.E. Guerin | 122 |
| Futurity Stakes | 1 | / Tahitian King | 21/4 | ||||||
| 10.22 |
|
USA | Jamaica | Ft | 1:44.20 | D8.5F | 6 | O.E. Guerin | 122 |
| East View Stakes | 1 | / Laffango | 11/2 | ||||||
| 1953 | |||||||||
| 04.18 |
|
USA | Jamaica | Ft | 1:44.20 | D8.5F | 9 | O.E. Guerin | 120 |
| Gotham Stakes | 1 | / Magic Lamp | 2 | ||||||
| 04.25 |
|
USA | Jamaica | Ft | 1:50.60 | D9F | 7 | O.E. Guerin | 126 |
| Wood Memorial Stakes | 1 | / Tahitian King | 41/2 | ||||||
| 05.02 |
|
USA | Churchill Downs | Ft | 2:02.00 | D10F | 11 | O.E. Guerin | 126 |
| Kentucky Derby | 2 | Dark Star | head | ||||||
| 05.16 |
|
USA | Belmont Park | Ft | 1:36.20 | D8F | 3 | O.E. Guerin | 126 |
| Withers Stakes | 1 | / Invigorator | 4 | ||||||
| 05.23 |
|
USA | Pimlico | Ft | 1:57.60 | D9.5F | 7 | O.E. Guerin | 126 |
| Preakness Stakes | 1 | / Jamie K. | neck | ||||||
| 06.13 |
|
USA | Belmont Park | Ft | 2:28.60 | D12F | 6 | O.E. Guerin | 126 |
| Belmont Stakes | 1 | / Jamie K. | neck | ||||||
| 07.04 |
|
USA | Aqueduct | Ft | 2:05.20 | D10F | 5 | O.E. Guerin | 126 |
| Dwyer Stakes | 1 | / Guardian | 2 | ||||||
| 07.18 |
|
USA | Arlington Park | Sl | 1:38.00 | D8F | 8 | O.E. Guerin | 126 |
| Arlington Classic Stakes | 1 | / Sir Mango | 9 | ||||||
| 08.15 |
|
USA | Saratoga | Ft | 2:05.60 | D10F | 5 | O.E. Guerin | 126 |
| Travers Stakes | 1 | / Dictar | 51/2 | ||||||
| 08.22 |
|
USA | Washington Park | Ft | 1:48.40 | D9F | 8 | G.E. Arcaro | 128 |
| American Derby | 1 | / Landlocked | 2 | ||||||
| 1954 | |||||||||
| 05.07 |
|
USA | Belmont Park | Ft | 1:11.80 | 6F | 7 | O.E. Guerin | 126 |
| Allowance | 1 | / Laffango | 11/2 | ||||||
| 05.15 |
|
USA | Belmont Park | Ft | 1:35.20 | 8F | 9 | O.E. Guerin | 130 |
| Metropolitan Handicap | 1 | / Straight Face | neck | ||||||
| 08.16 |
|
USA | Saratoga | Sy | 1:24.80 | 7F | 3 | O.E. Guerin | 137 |
| Oneonta Handicap | 1 | / First Glance | 9 | ||||||
| 年 | 馬齢 | 出走 | 1着 | 2着 | 3着 | 以下 | |
| 1952 | 2 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | |
| 1953 | 3 | 10 | 9 | 1 | 0 | 0 | |
| 1954 | 4 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | |
| 合計 | 22 | 21 | 1 | 0 | 0 | ||
| ダート | 22 | 21 | 1 | 0 | 0 | ||
ホープフルS (米、ダート6.5F) ベルモントフューチュリティーS (米、ダート6.5F) ウッドメモーリアルS (米、ダート9F) プリークネスS (米、ダート9.5F) ベルモントS (米、ダート12F) トラヴァーズS (米、ダート10F) アメリカダービー (米、ダート9F) アメリカメトロポリタンH (米、ダート8F) サラトガスペシャルS (米、ダート6F) ゴッサムS (米、ダート8.5F) ウィザーズS (米、ダート8F) ドワイヤーS (米、ダート10F) アーリントンクラシックS (米、ダート8F) 2着−ケンタッキーダービー (米、ダート10F) |
| 年度代表馬、最優秀2歳牡馬
(米) (1952) 最優秀3歳牡馬 (米) (1953) 年度代表馬、最優秀ハンディキャップ牡馬 (米) (1954) 競馬の殿堂 (米) (1963) |
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ネイティヴダンサーの生涯成績は、22戦21勝という文句の つけようのないもので、これだけでもマンノウォー、セクレタリ アト、サイテイションなどと並び称される資格は十分にありま す。 しかし、他のスターホースと違うのは、ネイティヴダンサ ーが競馬ファンだけでなく、全国の 「お茶の間のアイドル」 で あったことでしょう。 時代は1950年代初め、ちょうどこの頃、各家庭に白黒テレ ビが普及し始め、芦毛で目立つ上にとてつもなく強いネイティ |
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ヴダンサーの名は、この新しいメディアを通じて一気に全国に広まりました。 体高16.2ハンド(約165cm)、 馬体重1200ポンド(約544kg)を超える芦毛の巨体が躍動する姿は、競馬ファンだけでなく、一般の人々に も強く訴えかけるものを持っていたのでした。 また、あだ名の 「灰色の幽霊 (Gray Ghost of Sagamore)」 は、競走序盤は後方にいるのに気付かないうちに芦毛の馬体が背後に迫っていることからつけられました。 ディスカヴァリー産駒の牝馬に何かをつける、というアルフレッド・ヴァンダービルトJr.氏の考えにより、ディ スカヴァリー産駒でアメリカで11戦して1勝を挙げたゲイシャに、プリークネスSの勝ち馬ポリネシアンが種 付けされました。 こうして1950年3月27日、ダン・スコット氏がケンタッキー州レキシントン郊外に所有す る牧場で生まれたのがネイティヴダンサーでした。 そしてじきに馬主であるヴァンダービルト氏が所有する メリーランド州のサガモア・ファームへと移りました。 1945年のプリークネスSを制したポリネシアンは、スピード溢れるタイプの馬でした。 一方、ネイティヴダ ンサーの母系は、アメリカ血統で最も成功しているサイアーラインのひとつであるファラリスにまで遡ります。 息子に芦毛を伝えた母のゲイシャは、ネイティヴダンサーが登場する前はヴァンダービルト氏の最高傑作と 呼ばれたディスカヴァリーの娘でした。 このディスカヴァリーの祖父が、マンノウォーを生んだフェアプレイで あり、父系に足りないスタミナを補っています。 初出走へ向けてカリフォルニア州のサンタアニタで調教を積んでいる頃から、ネイティヴダンサーはタイム 計測者の注目を浴びていました。 なにしろ、初出走前の馬が併せ馬で400mを23秒で走るのだから無理 もありません。 1952年4月19日、ジャマイカ競馬場で行われた初出走戦は単勝2.4倍の1番人気に推され、4馬身1/2 差で快勝。 そしてこの後、2年後の現役最後となる馬券の発売されないエキシビション競走を除いては、 ネイティヴダンサーの単勝倍率はすべて2倍を切る圧倒的1番人気となりました。 その初出走戦から4日後、ユースフルSで6馬身差の勝利を挙げましたが、その後屈腱炎を発症して3ヶ 月以上の休養を余儀なくされました。 しかし、復帰戦となったフラッシュSを2馬身1/4差の勝利で飾ると、 ネイティヴダンサーの才能はこの夏のサラトガ開催で一気に爆発しました。 サラトガスペシャルSでは馬場 の悪さも全く問題にせず3馬身1/2差で勝利。 さらにグランドユニオンホテルSでは、126ポンド(約57.2 kg)を背負ってやはり3馬身1/2差の勝利を挙げました。 怒涛の8月はホープフルSでの2馬身差の勝利 で締めくくられました。 その後3週間の休養を挟んで、ネイティヴダンサーは一般戦をステップに大舞台のベルモントフューチュリ ティーSに挑みました。 これまでで最強のライヴァルがそろったとはいえ、それでもネイティヴダンサーの行 く手を阻むには至りませんでした。 序盤で不利を受けながらも、直線1300mを1分14秒4という世界同記 録で、後続を2馬身1/4差ちぎって優勝しました。 さらにステイクスをもう1勝して無敗の2歳シーズンを終えたネイティヴダンサーは、満場一致で最優秀2歳 牡馬に選出されました。 23万495ドルは2歳馬の獲得賞金としては新記録で、ワンカウントと並んで年度 代表馬にも選出されました。 エクスペリメンタル・フリーハンデでは130ポンド(約59kg)に格付けされまし た。 |
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カリフォルニア州で冬を過ごしたネイティヴダンサーは、4月18日のゴッサムSから3歳シーズンをスタート させました。 ここを2馬身差で勝ち、さらにその翌週にウッドメモーリアルSで連勝記録を11に伸ばしました。 こうして迎えたのが、忘れることの出来ないケンタッキーダービーだったのでした。 1953年のケンタッキーダービーは、例年にも増して大きな注目を集めていました。 その中心にいたのが、 ここまで11戦無敗という輝かしい成績を収めていたネイティヴダンサーでした。 ソーシャルアウトキャストと 同枠のネイティヴダンサーは、単勝1.7倍を切る1番人気に推されました。 彼が無傷の12連勝でケンタッ キーダービーを制覇する様子を、誰もが当然のように思い描いていました。 ところが、スタートが切られると、 ウィリアム・ウィンフリー調教師とエリック・ゲラン騎手が恐れていた最悪の事態が現実となりました。 最初のコーナーでネイティヴダンサーは、伏兵マニーブローカーと激しく接触。 しかし、そこから持ち直し、 先頭を行くダークスターとコレスポンデントとの差を徐々に詰めていきました。 そして前が開くと、ダークスタ ーの追撃を開始。 一瞬、ネイティヴダンサーが見事期待に応えるかと思われましたが、ゴールではわずか にアタマ差届きませんでした。 ケンタッキーダービーの結末は、競馬史上に残る連勝記録に終止符を打っただけでなく、この芦毛のアイ ドルを信奉していた何千というアメリカ人にとっても衝撃的な敗北でした。 ニューヨークタイムズ紙は、「1919年のサンフォードSでマンノウォーがアプセットに敗れてからというもの、 1頭の馬の敗戦がこれほど世間を揺るがした例はなかった」 と報じています。 また、後にタイム誌は、ネイ ティヴダンサーについての巻頭特集で、「彼がアタマ差でケンタッキーダービーを落とした瞬間、国民は皆悲 しみにくれ、一部は涙さえ流してテレビ画面から目を背けた。 そして、ネイティヴダンサーのもとには何百人 という老若男女からの手紙やカードが届き、小さな女の子たちによるファンクラブまであった」 としています。 しかし、その落胆も長くは続きませんでした。 ウィザーズSを4馬身差で楽勝し、さらに2週間後には、プリ ークネスSでダークスターと再戦。 ここでもダークスターは逃げを打って直線までリードを保ったものの、そこ からずるずると後退して最後は5着に沈みました。 そして競走後に腱を負傷しているのが発見され、引退を 余儀なくされました。 一方のネイティヴダンサーは、ジェイミーケイをクビ差抑えて勝利をものにしていました。 出走7頭中、単勝1.2倍という圧倒的1番人気に推されていたため、掛け金プールは当時史上最高記録とな る4万6012ドルの赤字を出しました。 ダークスターの引退によって、ネイティヴダンサーに同期の敵はまったくいなくなり、ベルモントSでも、再び ジェイミーケイをクビ差抑えて優勝。 この時の勝ち時計、2分28秒6は当時競走史上3番目の記録でした。 続いて出走したドワイヤーSでダービー後5連勝を達成した時には、ネイティヴダンサーの単勝倍率は何と 1.05倍にまで下がっていました。 アーリントンクラシックSのためにシカゴへ向かうと、今度は馬なりで9馬 身差の圧勝。 さらにニューヨークへ戻って、トラヴァーズSでも5馬身1/2差をつけて優勝しました。 主戦のゲラン騎手が騎乗停止になったため、プリークネスSとベルモントSでジェイミーケイに騎乗していた エドワード・アーカーロ騎手が、アメリカダービーでネイティヴダンサーの手綱を取ることになりました。 ここ でも128ポンド(約58.1kg)を背負ったネイティヴダンサーは、6馬身後方から直線だけで楽にかわしてい き、最後は2馬身差をつけて優勝しました。 アーカーロ騎手は、「圧倒的なパワー、としか形容しようがな い」 と、初めてまたがった最強馬を称賛しました。 シーズン後半には、この年無敗を続けていた古馬の最強馬トムフールとの対戦が期待されましたが、アメ リカダービーの後にトムフールの左前脚に挫傷が発見されたために実現しませんでした。 このため、最優 秀3歳牡馬の座は手に入れたものの、年度代表馬の栄誉は10戦全勝を記録したトムフールに譲りました。 |
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![]() 米メトロポリタンH |
古馬となって初の競走となるベルモントパー クの一般戦も、ネイティヴダンサーは楽勝しま した。 130ポンドを背負った米メトロポリタン Hでも、いつもの鋭い差し脚を繰り出し、先頭 を行くストレイトフェイスとの間にあった7馬身 の差を一気にひっくり返してクビ差で勝ちまし た。 ところが、サバーバンHへ向けて準備は万端 |
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と思われた矢先、今度は右前脚にソエが出ました。 仕方なく3ヶ月間は休養に専念した後、現役最後の競 走となるオネオンタHでは、138ポンド(約62.6kg)を背負いながら9馬身差で勝ちました。 あまりの人気 のために馬券は発売されませんでした。 秋には凱旋門賞への挑戦が予定されていましたが、競走後にソ エが再発し、ヴァンダービルト氏もアイドルの引退を決意しました。 前年に取り損ねた年度代表馬の称号も手に入れたネイティヴダンサーは、サガモア・ファームで無事に種 牡馬生活を開始しました。 そして種牡馬成績では2位が最高でしたが、1966年のケンタッキーダービー、 プリークネスSの勝ち馬カウアイキングなど、44頭のステイクス勝ち馬を送り出し、当時としては最高の種付 け料を誇りました。 さらに後継種牡馬の顔ぶれはそうそうたるものでした。 レイズアネイティヴ(ミスタープ ロスペクター、エクスクルーシヴネイティヴ、アリダーの父)、エタン(シャーペンアップの父)、ダンキューピッド (シーバードの父)など、息子たちが次々と種牡馬として活躍しました。 また、名種牡馬ノーザンダンサーの 母の父としてもその血を後世に伝えています。 1963年に競馬の殿堂入りを果たしたネイティヴダンサーは、1967年11月16日、疝痛がもとで18歳で 世を去りました。 かつての 「灰色の幽霊」 も、すでに真っ白な体になっていました。 |
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| 繋養地 Sagamore Farm (USA) (1955-1967) |
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| 兄弟姉妹 | 生年 | 父 | 勝ち鞍 | |
| Performance | 牡 | 1951 | Amphitheatre | Stallion |
| Face East | 牡 | 1965 | Polynesian | Stallion |