Man O' War  (マンノウォー)  牡   栗毛 sire line family
Fair Play Hastings Spendthrift Australian West Australian
Emilia
Aerolite Lexington
Florine
Cinderella Tomahawk King Tom
Mincemeat
Manna Brown Bread
Tartlet
Fairy Gold Bend Or Doncaster Stockwell
Marigold
Rouge Rose Thormanby
Ellen Horne
Dame Masham Galliard Galopin
Mavis
Pauline Hermit
Lady Masham
Mahubah Rock Sand Sainfoin Springfield Stalbans
Viridis
Sanda Wenlock
Sandal
Roquebrune St. Simon Galopin
St. Angela
St. Marguerite Hermit
Devotion
Merry Token Merry Hampton Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Doll Tearsheet Broomielaw
Mrs. Quickly
Mizpah MacGregor Macaroni
Necklace
Underhand Mare Underhand
The Slayer's
Daughter
 
 Born - Died 1917.03.29 (Nurserry Stud) - 1947.11.01 (Faraway Farm)
 Breeder August Belmont II (Kentucky) USA
 Trainer Louis Feustel USA
 Owner Glen Riddle Farm (Samuel Doyle Riddle) USA

 

日付 開催国 競馬場 馬場 条件 勝時計 距離 騎手 斤量
 競走名 格付 1着馬 / 2着馬 着差
1919
06.06 USA Belmont Park Ft 2 0:59.00 5F - J. Loftus 115
 Allowance 1 /- 6
06.09 USA Belmont Park Sy 2 1:05.60 5.5F - J. Loftus 115
 Keene Memorial Stakes 1 /On Watch 3
06.21 USA Jamaica G 2 1:06.60 5.5F - J. Loftus 120
 Youthful Stakes 1 /On Watch 21/2
06.23 USA Aqueduct Ft 2 1:01.60 5F - J. Loftus 130
 Hudson Stakes 1 /Violet Tip 11/2
07.05 USA Aqueduct Ft 2 1:13.00 6F 3 J. Loftus 130
 Tremont Stakes 1 /Ralco 1
08.02 USA Saratoga Ft 2 1:12.40 6F - J. Loftus 130
 United States Hotel Stakes 1 /Upset 2
08.13 USA Saratoga Ft 2 1:11.20 6F - J. Loftus 130
 Sanford Memorial Stakes 2 Upset 1/2
08.23 USA Saratoga Ft 2 1:12.00 6F - J. Loftus 130
 Grand Union Hotel Stakes 1 /Upset 1
08.30 USA Saratoga Sy 2 1:13.00 6F - J. Loftus 130
 Hopeful Stakes 1 /Cleopatra 4
09.13 USA Belmont Park Ft 2 1:11.60 6F - J. Loftus 127
 Futurity Stakes 1 /John P. Grier 21/2
1920
05.18 USA Pimlico Ft 3 1:51.60 9F 9 C. Kummer 126
 Preakness Stakes 1 /Upset 11/2
05.29 USA Aqueduct Ft 3 n 1:35.80 8F - C. Kummer 118
 Withers Stakes 1 /Wildair 2
06.12 USA Belmont Park Ft 3 n 2:14.20 11F 2 C. Kummer 126
 Belmont Stakes 1 /Donnacona 20
06.22 USA Jamaica G 3 1:41.60 8F 2 C. Kummer 135
 Stuyvesant Handicap 1 /Yellow Hand 8
07.10 USA Aqueduct Ft 3 n 1:49.20 9F 2 C. Kummer 126
 Dwyer Stakes 1 /John P. Grier 11/2
08.07 USA Saratoga Ft 3 1:56.60 9.5F - E. Sande 131
 Miller Stakes 1 /Donnacona 6
08.21 USA Saratoga Ft 3 2:01.80 10F - A. Schuttinger 129
 Travers Stakes 1 /Upset 21/2
09.04 USA Belmont Park Ft 3 w 2:40.80 13F 2 C. Kummer 126
 Lawrence Realization Stakes 1 /Foodwink 100
09.11 USA Belmont Park Ft 3+ n 2:28.80 12F 2 C. Kummer 118
 Jockey Club Gold Cup 1 /Damask 15
09.18 USA Harve De Grace Ft 3 c 1:44.80 8.5F - C. Kummer 138
 Potomac Handicap 1 /Wildair 11/2
10.12 CAN Kenilworth Ft 3+ c 2:03.00 10F 2 C. Kummer 120
 Kenilworth Park Gold Cup 1 /Sir Barton 7

 

馬齢 出走 1着 2着 3着 以下
1919 2 10 9 1 0 0
1920 3 11 11 0 0 0
合計 21 20 1 0 0
ダート 21 20 1 0 0

  ホープフルS (米、ダート6F)
  ベルモントフューチュリティーS (米、ダート6F)
  プリークネスS (米、ダート9F)
  ベルモントS (米、ダート11F)
  トラヴァーズS (米、ダート10F)
  ジョッキークラブゴールドC (米、ダート12F)
  トレモントS (米、ダート6F)
  ウィザーズS (米、ダート8F)
  スタイヴェサントH (米、ダート8F)
  ドワイヤーS (米、ダート9F)
  ローレンスリアライゼイションS (米、ダート13F)
   アメリカ最優秀2歳牡馬 (1919)
   アメリカ年度代表馬、最優秀3歳牡馬 (1920)
   アメリカ競馬の殿堂 (1957)
   リーディングサイアー (米) (1926)

 

  1917年3月29日の深夜、ケンタッキー州レキシントンにあ
 るナーサリー・スタッドで生まれたマンノウォーは、現在のアメ
 リカ競馬を創り上げてきた立役者の一人であるオーガスト・ベ
 ルモント2世の生産馬でした。 純粋なオーナーブリーダーと
 して、強い馬を生産し、育てることを何よりの楽しみとし、実際
 に何頭ものチャンピオンを世に送り出していましたが、晩年に
 は第1次世界大戦での母国の危機に際して軍務を志願し、ス
 ペイン補給部隊の長を務めました。 ちょうどマンノウォーが生
 まれた直後のことでした。 そのため、1917年生まれのベル
 モントの生産馬は、これまでの慣例に反してせりに出されるこ


マンノウォーとクラレンス・クマー騎手

 とになりました。
  父フェアプレイもベルモントの生産馬で、ブルックリンダービーローレンスリアライゼイションSなどを勝ち、
 ベルモントSは15戦15勝の名馬コリンの2着でした。 アラビア語で 「よい便り」 を意味する母マフバーも
 ベルモントの生産馬で、5戦して未勝利戦の1勝のみでした。 その父ロックサンドは英3冠馬で、ベルモン
 トが2万5000ポンドという高額で購入し、ケンタッキーで供用されていました。
  結婚前はエレノア・ロブソン(Eleanor Robson)という名で女優をしていたベルモント夫人は、所有馬すべて
 の名付け親でした。 そして軍務を志願した夫をたたえて、この栗毛の牡馬に 「My Man O' War」 という名を
 送りましたが、登録の段階で最初の一単語が抜け落ちてしまい、正式な馬名は 「Man O' War」 となってしま
 いました(「Man-O'-War = Man-Of-War」 は、英語で 「軍艦」 の意味)。
  1918年のサラトガ・イヤリングセールに出されたマンノウォーは、ペンシルヴァニアのサミュエル・リドル氏
 の代理として、現代を代表する馬の画家であるエド・バーラー(Ed Buhler)氏によって5000ドルで落札され
 ました。 このときのせりの平均価格は1038ドル、最高価格は1万5600ドルでした。
  父フェアプレイの調教助手、母マフバーの調教師としてベルモントの下で働いていたルイス・フューステル
 調教師に預けられたマンノウォーは、第1次世界大戦の痛手から急速に復興しつつある競馬界で、ベーブ・
 ルースやジャック・デンプシー、レッド・クレーンジなどと肩を並べる歴史的アスリートであることを瞬く間に証
 明して見せることとなります。
  2歳時のマンノウォーは、10戦して9勝。 デビュー戦を6馬身差の圧勝で飾り、その3日後にはキーンメモ
 リアルS、さらにその12日後にはユースフルSを、ともに父の宿敵だったコリン産駒のオンウォッチなどを相手
 に楽勝しました。 2日後のハドソンSでは21ポンド(約9.5kg)も斤量差のある牝馬のヴァイオレットティップ
 に1馬身半差をつけて優勝。 その後もトレモントS、ユナイティドステイツホテルSと連勝を続けたマンノウォ
 ーでしたが、サンフォードSで、ハリー・ペイン・ホイットニー(Harry Payne Whitney)所有のアップセット(番狂
 わせの意味)に生涯唯一となる先着を許しました。 しかし、これも15ポンド(約6.8kg)の斤量差に加えて、
 レース中に決定的な不利を受けたためでした。
  続くグランドユニオンホテルSでアップセットに雪辱を果たすと、不良馬場となったホープフルSではその後
 米シャンペインSCCAオークスを勝つことになる牝馬のクレオパトラに4馬身差をつけて圧勝。 さらにベル
 モントフューチュリティーSも制して2歳シーズンを終えました。 デビュー当時は1020ポンド(約463kg)
 だったマンノウォーは、翌年1150ポンド(約522kg)にまで成長して戻ってくることとなります。
  この間、マンノウォーの唯一の敗戦となったサンフォードSは、一部では八百長の匂いさえすると噂された
 ほどで、ジョニー・ロフタス(Johnny Loftus)騎手は、おそらくこの時の騒ぎがもとで、翌年騎手の免許更新
 を拒否し、マンノウォーの主戦騎手はクラレンス・クマー(Clarence Kummer)が務めることになります。

 
  リドルと、その姪を妻に迎えていたウォルター・ジェフォーズ(Walter M. Jeffords)の名は、その後マンノウォ
 ーが供用されたケンタッキー州レキシントンのファラウェイ・ファーム(Faraway Farm)と切り離されることなく語
 られていきますが、当時は東部のホースマンにとってケンタッキーはまだ西部という感覚でした。 ケンタッキ
 ーダービーでさえも、マンノウォーが登場する4年前に、ホイットニーが東部から無敗の牝馬リグレットを送り
 込み、優勝をさらったことで一躍全国区の知名度を獲得したばかりでした。
  リドルにとっては、どうしても自分の馬を出走させたいタイトルとは程遠く、また126ポンド(約57.2kg)を
 背負っての10ハロン(約2012m)は3歳春の段階では負担が大きすぎるとして、ためらいもなくケンタッキ
 ーダービーの出走回避を決めました。 実は、ケンタッキーに生まれ、ケンタッキーの伝説となったマンノウォ
 ーですが、現役時代にはダービーに限らず、ケンタッキーのレースには1回も出走していません。
  その代わり、プリークネスSに出走したマンノウォーは、約8ヶ月ぶりのレースにもかかわらず、単勝1.8倍
 の圧倒的な1番人気に推されました。 スタートから先頭に立ったマンノウォーは直線入り口ではリードを4馬
 身にまで広げ、最後はアップセットを1馬身半差抑えて楽勝。 これが3歳時の11戦11勝の皮切りとなりま
 した。 続くウィザーズSを全米レコードで制したマンノウォーは、ベルモントSに出走。 しかしあまりの強さに
 出走してきたのはわずかに1頭。 その相手に20馬身差をつけ、11ハロン(約2213m)の全米レコードとな
 る2分14秒2で優勝。 このタイムは前年のサーバートンの記録を3.2秒更新する圧巻のレース内容でした。
  スタイヴェサントHでは、単勝倍率は1.01倍。 そして32ポ
 ンド(約14.5kg)も斤量差のあるイエローハンドに8馬身差を
 つけて優勝。 ジョンピーグライアーとのマッチレースとなった
 ドワイヤーSでは、残り200mまで並走となり、そこからいった
 んは前に出られたものの差し返し、またしても全米レコードで
 優勝。 後にこのジョンピーグライアーはマンノウォーを本気に

ドワイヤーS
 させた唯一の馬という評価を得ました。 そしてこのレースが行われたアケダクト競馬場で、マンノウォーが
 ジョンピーグライアーを抜き去った地点のポールは、「マンノウォー・ポール」 と呼ばれるようになります。
  トラヴァーズSでもアップセットやジョンピーグライアーを相手に圧勝を飾ったマンノウォーの前にもはや敵は
 なく、ローレンスリアライゼイションSでも相手は1頭のみ。 ここではなんと約100馬身差という記録が残っ
 ています。 勝ち時計の2分40秒8も13ハロン(約2615m)の世界レコードでした。
  ジョッキークラブGCを15馬身差で制したマンノウォーは、続いてポトマックHに出走。 ここはケンタッキー
 ダービーの勝ち馬ポールジョーンズやメトロポリタンHの勝ち馬ワイルドエアなどの強敵を相手に138ポンド
 (約62.6kg)という酷量を背負ってのレコード勝ちで、マンノウォーのベストレースとも言われています。 こ
 のレースで脚の腱を痛めたマンノウォーでしたが、フューステル調教師はあと1レースだけ使うことに決めま
 した。
  生涯最後のレースとなったのはケニルワースGCで、カナダのオンタリオ州にあるケニルワース競馬場で
 開催されました。 マッチレースの相手であるサーバートンはその前年に、後に米3冠と称されることとなる
 ケンタッキーダービープリークネスSベルモントSを制していました。 斤量はサーバートンが126ポンド、
 マンノウォーが120ポンド(約54.4kg)、距離はダート10ハロンで行われました。 しかし、レースは誰もが
 期待したような熱戦とはならず、マンノウォーが馬なりのままサーバートンに7馬身差をつけ、従来の記録を
 6.4秒更新するコースレコードで圧勝しました。
  21戦20勝をあげたマンノウォーの通算獲得賞金は、24万9465ドルで当時の新記録でした。
 
  種牡馬入りしたマンノウォーは、最初のシーズンをヒナタ・ファームで送り、翌年からファラウェイ・ファーム
 移りました。
  リドルは後に、マンノウォーにふさわしいレベルの繁殖牝馬と配合する配慮を怠ったことで、この名馬の種
 牡馬としての経歴をだめにした、という非難を浴びることになりますが、それでもマンノウォーはサラブレッド
 の血統地図に消えることのない名声を刻んでいます。 また、マンノウォーの3代父であるスペンドスリフトの
 母エアロライトがアメリカ血統であり、1913年のジャージー・アクト(1949年廃止)のため半血系とみなされ、
 イギリスでの血統登録を拒否されたことも不運でした。
  マンノウォーの産駒の最高傑作は文句なしにウォーアドミラルでしょう。 オーナーブリーダーのリドルは、
 この頃にはケンタッキーダービーへの態度を軟化させていたため、ウォーアドミラルは父とは異なり、1937
 年に米3冠を達成することが出来ました。 他にも380頭の産駒からは、アメリカンフラッグベルモントS)、
 クルセイダー(ベルモントS)、エディスキャヴェル(CCAオークス)、バトー(CCAオークス)、クライドヴァン
 デュセンケンタッキーダービー)、バトルシップ、ウォーレリックなど64頭のステイクス勝ち馬が出ています。
 1926年にはリーディングサイアーとなり、母の父としても8頭のチャンピオンを含む128頭のステイクス勝
 ち馬を出しています。 1957年には、アメリカの競馬の殿堂入りを果たしました。
  マンノウォーは16年間に及ぶ後半生をアメリカ国民に広く愛
 されて過ごしました。 ファラウェイ・ファームには何千人という
 ファンがつめかけ、その威厳あふれる姿に魅了されました。
 1947年11月1日、マンノウォーが心臓麻痺のため30歳で世
 を去ると、2000人以上の人が参列したその葬儀の様子は全
 米にラジオ中継されました。 第1次世界大戦の最中に命名さ
 れたマンノウォーは、次の大戦をも生き抜いたのでした。
  彫刻家のハーバート・ヘイゼルタイン(Herbert Hazeltine)は、

ケンタッキー・ホースパークのマンノウォー像
 マンノウォーの死の6年以上も前に、リドルからその彫刻を依頼されていましたが、物資も人材も不足してい
 たこの時代のこと、彼が作品に取りかかることが出来たのは、モデルの死後1年以上近くたってからでした。
 英雄の姿を余すところなく伝えるその彫刻は、完成後にその墓を飾ることになりました。
  それから30年近くたってから、彫刻はケンタッキー・ホースパークへと移されました。 現在もそれは変わ
 らずそこにあり、偉大な競走馬の息吹を感じようと毎年その地を訪れる何千人もの訪問客の姿を一人一人
 入り口の上から見下ろしています。

  繋養地
   Hinata Farm (Kentucky, USA) (1921)
   Faraway Farm (Lexington, Kentucky, USA) (1922-47)

 

兄弟姉妹 生年 勝ち鞍
Playfellow 1918 Fair Play Stallion
My Play 1919 Fair Play Jockey Club Gold Cup (USA)