Danehill  (デインヒル)  牡   鹿毛 sire line family
Danzig Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Pas De Nom Admiral's Voyage Crafty Admiral Fighting Fox
Admiral's Lady
Olympia Lou Olympia
Louisiana Lou
Petitioner Petition Fair Trial
Art Paper
Steady Aim Felstead
Quick Arrow
Razyana His Majesty Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Flower Bowl Alibhai Hyperion
Teresina
Flower Bed Beau Pere
Boudoir
Spring Adieu Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
 
 Born - Died 1986.03.26 - 2003.05.13
 Breeder Juddmonte Farms (Kentucky) USA
 Trainer Jeremy Tree (Beckhampton, Wiltshire) GB
 Owner Khalid Bin Abdulla SDA

 

日付 開催国 競馬場 馬場 条件 勝時計 距離 騎手 斤量
 競走名 格付 1着馬 / 2着馬 着差
1988
07.07 GB Newmarket G-Sf 2 1:15.97 6F 10 Pat Eddery 126
 E. B. F. Fulbourn Maiden Stakes 2 Chief's Image shd
08.18 GB York G 2 1:13.82 6F 9 Pat Eddery 126
 Moorestyle Convivial Maiden Stakes 1 /First Secretary 11/2
09.18 FR Longchamp G-Sf 2c&f 1:25.00 1400M 9 Pat Eddery 56
 Prix de la Salamandre G1 8 Oczy Czarnie 51/2
1989
04.19 GB Newmarket G 3 1:27.57 7F 9 Pat Eddery 127
 Ladbroke European Free Handicap L 1 /Folly Foot 2
05.06 GB Newmarket G-F 3c&f 1:36.44 8F 14 Pat Eddery 126
 General Accident 2000 Guineas Stakes G1 3 Nashwan 11/2
05.20 IRE Curragh G 3c&f 1:37.50 8F 12 Pat Eddery 126
 Airlie/Coolmore Irish 2000 Guineas G1 4 Shaadi 41/2
06.22 GB Ascot F 3+ c 1:12.95 6F 12 W. Carson 112
 Cork & Orrery Stakes G3 1 /Nabeel Dancer 3
07.13 GB Newmarket G 3+ 1:09.82 6F 11 Pat Eddery 123
 Carroll Foundation July Cup Stakes G1 3 Cadeaux Genereux head
09.02 GB Haydock G-Sf 3+ 1:12.75 6F 9 Pat Eddery 131
 Ladbroke Sprint Cup Stakes G1 1 /Cricket Ball 2

 

馬齢 出走 1着 2着 3着 以下
1988 2 3 1 1 0 1
1990 3 6 3 0 2 1
合計 9 4 1 2 2
9 4 1 2 2
G1 5 1 0 2 2

  スプリントC (英G1、芝6F)
  コーク&オーラリーS (英G3、芝6F)
   首位種牡馬 (豪) (1994/95-96/97,99/00-2004/05) (9)
   首位種牡馬 (仏) (2001,02,07) (3)
   首位種牡馬 (英愛) (2005-07) (3)
   首位種牡馬 (英) (2005,07) (2)
   首位種牡馬 (愛) (2005-2007) (3)
   首位種牡馬(母父) (英) (2010)

 

  デインヒルは現役時代、短距離馬として活躍しましたが、そ
 の真価を発揮したのは種牡馬となってからでした。 というの
 も、デインヒルはその特異な血統から、大変な大物種牡馬に
 なってもおかしくない可能性を秘めていたのでした。
  父ダンツィグは、ノーザンダンサー産駒の種牡馬の中でも特
 にスピードに優れた産駒を出すことで有名な大種牡馬でした。
 母ラジアナは、リボーの後継馬の1頭であるヒズマジェスティ
 ーの産駒で、イギリスで走り3戦0勝。 その母、スプリングア
 デューはノーザンダンサーの半妹にあたります。 つまりデインヒルは、ノーザンダンサーの母ナタルマの3×
 3というインブリードを持ち、この20世紀を代表する大種牡馬の近親に当たるのでした。
  1986年にアメリカのケンタッキー州で生まれたデインヒルは、サウジアラビア王家の一員であるカーリド・
 ビン・アブデュラ王子の所有馬として、イギリスのジェレミー・トゥリー調教師のもとに預けられました。 引退
 間近の経験豊富な調教師で、デインヒルの母ラジアナも彼の管理馬でした。
  デインヒルという馬名を提案したのは、アブデュラ王子のレイシングマネジャーを務めていたプリチャード・ゴ
 ードン氏でした。 デインヒルというのは、英語で 「デンマークの丘」 という意味ですが、ゴードン氏はイギリス
 のサセックス州にある小さな村の名前から取ったのだといいます。 かつてゴードン氏はこの村のすぐ近くに
 住んでいて、その景観の美しさを思い出し、この馬の名前にしたのだそうです。 その後の大種牡馬の活躍
 によって、その小さな村は一躍有名になりました。
  デインヒルは1988年の7月に、ニューマーケット競馬場での未勝利戦でデビューしました。 しかしここは
 惜しくもハナ差で2着に敗れてしまいました。 翌月、今度はヨーク競馬場での未勝利戦に出走し、今度は
 2着に1馬身半差をつける完勝で初勝利を飾りました。
  トゥリー調教師はデインヒルの資質を非常に高く評価していたので、その初勝利から1ヶ月後の9月18日
 には、早くもフランスのロンシャン競馬場で行われるG1、サラマンドル賞に挑戦させることにしました。
  しかし、序盤は比較的スローペイスで流れたこの競走で、デインヒルは終始行きたがるそぶりを見せ、鞍上
 のパット・エデリー騎手との折り合いを欠いてしまい、直線を向いてもまだ大きく頭を振っていたほどでした。
 結局、勝った牝馬のオクジーツァルニから大きく離され、後ろから2頭目の8着に終わりました。
 
  このように、2歳時にはまったく目立たなかったデインヒルでしたが、その存在は翌年の春になって急に注
 目を集まるようになります。
  4月のニューマーケット開催では、春のクラシック競走の前哨戦がいくつか開催されます。 その中の1つ
 のヨーロピアンフリーHにデインヒルは出走しました。 ここには前年のミドルパークSの勝ち馬モントレソール
 なども参戦していました。 競走ではそのモントレソールが抜群のスタートを切ってリードを奪うと、そのまま
 逃げ切り態勢に入ります。 折り合いが心配されたデインヒルでしたが、今回はエデリー騎手がそれに集中
 していたこともあって、ほとんど問題なく出走9頭中のほぼ真ん中につけました。 そのまま絶好の脚取りで
 抜け出すと、ゴールではフォリーフットに2馬身差をつけ、1分27秒57の好時計で見事優勝を飾りました。
 G1馬モントレソールはさらに1馬身離された3着に終わりました。
  最後はエデリーが手綱を緩めるほどの完勝は、その能力の高さを周囲に知らしめるのに十分でした。 そ
 して精神面での成長も見られました。 過去20年間、この競走の勝ち馬からは英2000ギニーの勝ち馬は
 出ていないとはいえ、今後の重賞戦線での活躍が大きく期待される内容でした。 この後デインヒルは、予
 定通り英2000ギニーに駒を進めました。
  ここで単勝4倍(3-1)の1番人気を集めたのは、これが年明け最初の出走となるナシュワンでした。 7ヶ
 月ぶりの競走とはいえ、2歳時の2戦がいずれも楽勝だったことと、春先から調教でいい動きを見せていた
 ことから支持を集めました。 かつてイギリス王室の調教師を務めた車椅子の名伯楽、ディック・ハーン調教
 師がほれ込んだ逸材ということも、人気を後押ししたかもしれません。 他には前哨戦のクレイヴンS(英G3)
 を無敗で制したシャーディ、アイルランドのテトラークSを勝ったサラトガンなどが対抗馬と見られていました。
 エデリーがクレイヴンSで2着に入ったエクスボーンよりも、同じ馬主のデインヒルに騎乗する方を選んだとい
 うことで、当初は単勝34倍の穴人気でしかなかったのが、最終的には10倍(9-1)にまで下がりました。
  競走は、アブデュラ王子が用意したペイスメイカーのグリーンスミスがハイペイスを作り出し、ナシュワン
 騎乗するウィリー・カーソンは落ち着いて3番手あたりにつけ、デインヒルは中団やや後方から進みました。
 そして残り2ハロンでナシュワンが抜け出すと、これをマークしていたのか、エデリーもすかさずデインヒルに
 合図を送りました。 デインヒルは力強い加速を見せて、外側からナシュワンに並びかけます。 しかし、
 シュワンはものが違いました。 デインヒルと、同様に差をつめてきたマークオブディスティンクションの2頭を
 数完歩で置き去りにすると、そのまま抜群の手応えでぐんぐんと差を広げていきました。 最後にエクスボー
 ンが鋭い末脚で追い込んだものの、ナシュワンはゴールではこれを1馬身差退けて完勝したのでした。 デ
 インヒルは最後はエクスボーンにかわされたものの、半馬身差で3着に入り、4着にはマークオブディスティ
 ンクションが入りました。
 
  ハイレベルな決着となった英2000ギニーで3着を果たしたデインヒルは、専門家だけではなくファンの間
 でも高い評価を受けました。 その2週間後、トゥリー調教師はデインヒルを愛2000ギニーに出走させること
 にしました。 英ダービーへ向かうナシュワンはここには出走せず、プールデセデプーランを制したケンドール
 も不在。 その中でデインヒルは単勝2.5倍(6-4)の1番人気に支持されました。 アブデュラ王子はデイン
 ヒルのために、2万2000ポンドの追加登録料を支払ってタッツフィールドというペイスメイカーを出走させまし
 た。
  競走はそのタッツフィールドが引っ張り、後続馬もほぼ一団となって進む展開。 デインヒルは終始行きた
 がるそぶりを見せましたが、鞍上のエデリーは苦労してそれを抑え、後方につけて馬群に隙間ができるのを
 待っていました。 ゴールまで残り500mほどで先頭を走っていたタッツフィールドが失速し、そのすぐ後ろを
 追走していたウォルター・スウィンバーン騎乗のシャーディが楽な手応えのまま抜け出しました。 そこから
 シャーディはほとんど馬なりのまま後続を突き放していき、最後は2着に2馬身半差をつけて快勝しました。
  一方デインヒルはといえば、直線で待ち望んでいた隙間が開いたものの、そこから今ひとつ伸びきれませ
 ん。 序盤で折り合いを欠いたことによる消耗が響いたのか、ゴール前では脚いろが一杯になってしまい、
 4着が精一杯でした。
  期待されたクラシックでのこの結果は確かに残念ではありましたが、陣営はここで視点を切り替えることに
 しました。 序盤から行きたがって鞍上との折り合いを欠いてしまうこれまでの走りからは、マイルは少し長
 すぎるかもしれないと判断されたのでした。 そこで、思い切って距離を短縮してみることにしたのでした。
  愛2000ギニーからほぼ1ヶ月後の6月22日、デインヒルは6ハロンのコーク&オーラリーSに出走するた
 め、ロイヤルアスコット開催に姿を現しました。
  パドックでのデインヒルは他馬を圧倒していました。 もともと見栄えのする馬体の持ち主でしたが、それに
 加えてロイヤルアスコットの観衆の熱気を前にしてもまったく動じない落ち着き払った態度は、同じ競走に出
 走する古馬と比べてさえも器が違うという感じでした。 ここまで重賞勝ちはひとつもないとはいえ、クラシック
 で好走した実績から、デインヒルは単勝2.4倍(11-8)を切る1番人気に推されました。 唯一、デインヒルに
 不利な要素があるとすれば、彼の走りを知り尽くしたエデリーが、今回は古馬のナビールダンサーに騎乗し
 ていることくらいでした。 代わりにデインヒルの鞍上はカーソンが務めることになりました。
  競走は、ナビールダンサーとデインヒルの先頭争いから幕を開けました。 ハイペイスの展開はデインヒル
 の望むところです。 途中から控えたナビールダンサーに代わって単騎先頭に立ったデインヒルは、そのまま
 快調に飛ばしていきます。 残り1ハロンでカーソンの軽い合図に応えて加速すると、追い上げてきたナビー
 ルダンサーに最後は3馬身差をつけて楽勝を飾りました。
  この日の勝ち時計、1分12秒95は競走レコードでした。 それでも、引き揚げてきたデインヒルはほとんど
 息も乱していないほどで、笑顔で迎えたトゥリー調教師を感嘆させました。 「もちろん、このまま短距離路線
 を使っていくつもりだよ。」 と、トゥリーは距離短縮が功を奏したことを喜びました。 高い資質を秘めた良血馬
 は、ようやく自分にとって最適の距離を見つけたようでした。
 
  7月13日のジュライCに向かったデインヒルは、出走11頭中の中で今回も単勝2倍(1-1)の1番人気に推
 されました。 パドックでは相変わらず素晴らしく、光り輝く馬体にうっすらと汗を浮かべ、なめらかな歩様で周
 回していました。
  好気配は競走中も衰えませんでした。 再び鞍上に戻ったエデリーは、序盤を引っ張るガリックリーグのす
 ぐ後ろで、いつでもかわせる態勢を整えていました。 ところが、ゴールまで残り2ハロンの地点で馬群を抜
 け出して先頭に立ったのはデインヒルではなく、その直後につけていたパットの弟、ポール・エデリー騎乗の
 カドージェネルーでした。 あまりの楽な行きっぷりでこのまま楽勝かと思われたそのとき、後方から1頭の
 馬が飛んできました。 フランスのアンドレ・ファーブル調教師が管理する3歳牝馬のゴールデンオピニオン
 でした。 デインヒルはこの2頭に完全に後れをとりました。 ゴール前は怒涛の末脚で追い込むゴールデン
 オピニオンと、このまましのぎきろうとするカドージェネルーとの激しい一騎打ちとなり、結局カドージェネルー
 がアタマ差で1着を死守しました。 デインヒルはその2頭の2馬身半後方で、3着で競走を終えました。 と
 はいえ、1分9秒82の勝ち時計は、1987年のアジュダルの記録を1秒02も上回る驚異的なレコードとなり
 ました。
  絶好の仕上がりだったにもかかわらず完敗を喫した原因について、ゴードン氏は次のように説明しました。
 「タイムを見ても分かるように、速すぎる馬場が敗因だろうということで我々の意見は一致した。 だからと
 いって、馬場次第ではカドージェネルーに勝てたなどと言うつもりもないが、どうもデインヒルは非常に硬い
 良馬場では力を発揮できないタイプのようだ。」
  デインヒルが秋シーズンに向けて英気を養っている間に、カドージェネルーは翌月のスプリントチャンピオン
 シップも快勝していました。 そしてデインヒルは、約1ヵ月半の休養を経て、ヘイドック競馬場でのスプリント
 に登場しました。 競走では実績以上に人気になることの多かったデインヒルでしたが、この日単勝2.75
 倍(7-4)で1番人気に支持されたのは、スプリントチャンピオンシップでカドージェネルーの2着に善戦した4
 歳牝馬のシルヴァーフリングでした。 デインヒルは単勝4倍(3-1)で2番人気でした。
  ホルストとシャトルコックコーナーという馬がペイスメイカーの役目を果たす一方、エデリーはデインヒルを後
 方で待機させました。 今回は折り合いも完璧でした。 前を行くシルヴァーフリングが先に仕掛けて一気に
 先頭に立つと、そのまま押し切る態勢に入りました。 デインヒルはまだ後方のらち沿いで、外に持ち出すこ
 とができずにいました。
  しかし、馬の力を信じていたエデリーは冷静さを失いませんでした。 馬群に隙間が開くのを待ってから外
 に持ち出すと、残り1ハロンから追い上げを開始しました。 ここまで終始順調に走っていたデインヒルの豪
 脚が一気に炸裂。 見る間に先頭との差は縮まっていき、シルヴァーフリングを並ぶ間もなく抜き去りました。
 そのデインヒルに続いて後方からクリケットボールが追い込んできましたが、まだ手応えに余裕のあるデイン
 ヒルにどおしても追いつけません。 デインヒルは最後まで余裕を残したまま、そのクリケットボールに2馬身
 差をつけて楽勝しました。
  G1初勝利となったデインヒルに、観衆は大歓声を送りました。 この競走にカドージェネルーが出走してい
 なかったのが惜しまれましたが、対決の楽しみが先に延びただけのことでした。 約1ヵ月後には凱旋門賞
 に沸くロンシャン競馬場でアベイドロンシャン賞も行われます。 1度は敗れているデインヒルも、次の直接対
 決でカドージェネルーを逆転することは十分に考えられました。
  しかし、デインヒルはついにその舞台に立つことはできませんでした。 直前まで出走を予定していたデイン
 ヒルでしたが、競走の前の週に突然、トゥリー調教師が出走回避を発表したのでした。 打撲によって関節を
 痛めたというのがその理由でした。
 
  その直後、アイルランドのクールモアスタッドとオーストラリアのアローフィールドスタッドが共同で、アブデュ
 ラ王子からデインヒルを種牡馬として購入したという発表がなされました。 価格は400万ドル。 デインヒル
 は引退し、初年度からシャトル種牡馬となることが決定したのでした。 その血統的背景と、競走で見せた非
 凡なスピードは、世界のサラブレッド生産者にとって大きな魅力でした。
  しかし、いくらクールモアの期待の新種牡馬とはいえ、当初は決してトップクラスの繁殖牝馬が集まったわ
 けではありません。 それでもデインヒルは最初から活躍産駒を送り出しました。
  特にオセアニアでの種牡馬成績は素晴らしく、初年度からゴールデンスリッパーSの勝ち馬ダンゼロやロー
 ズヒルギニーの勝ち馬デインウィンといったG1勝ち馬を輩出。 この初年度産駒の活躍で1994/95年にい
 きなり豪リーディングサイアーに輝き、96/97年まで3年連続でその座を守りました。 その後2年連続リー
 ディング2位を挟んで、再び99/00年から2003/04年まで5年連続のリーディング。 しかも、自身の現役
 時代の勝ち鞍は6ハロンから7ハロンに限られましたが、産駒の距離適正はずっと幅広く、クラシックディスタ
 ンスも十分にこなすという万能ぶりでした。
  1996年には日本でも供用されたデインヒルは、このような南半球での活躍にやや遅れる形ではあります
 が、ヨーロッパでの産駒も徐々に大競走で頭角を現し始めました。 その人気の火付け役になったのがデザ
 ートキングの活躍でしょう。 デザートキングは1997年にグランディー以来22年ぶりとなる愛2000ギニー
 愛ダービーの2冠を達成したのでした。
  2001、02年にはディアヌ賞の勝ち馬アクワレリストBCフィリー&メアターフの勝ち馬バンクスヒル、そし
 て英2000ギニー愛2000ギニーなどG1を7連勝したロックオブジブラルタルなどの活躍により、フランス
 でもリーディングサイアーとなりました。
  これからはデインヒルの時代、世界中の生産者がそのような実感を抱き始めた矢先の2003年5月14日、
 悲劇は突然に訪れました。 クールモアによる公式発表は衝撃とともに全世界を駆け巡りました。
  「チャンピオンサイアーのデインヒルは今朝、クールモアスタッドで致命傷のけがを負い、予後不良と診断さ
 れました。 ダンツィグ産駒の17歳の種牡馬は、放牧場で引き綱をつけて放牧されている最中に事故に遭
 いました。」
  それでもデインヒルの産駒は活躍を続けました。 2004年にはノースライト英ダービーを制すると、200
 5年には愛チャンピオンSの勝ち馬オラトリオなどの活躍により、ついにイギリスとアイルランドでも、13年に
 わたってその座に君臨していたサドラーズウェルズにかわってリーディングサイアーとなりました。

  繋養地
   Coolmore Stud (Fethard, Tipperary, IRE) (1990-95,97-2003)
   Arrowfield Stud (Scone, New South Wales, AUS) (1990/91-2001/02)
   East Stud (Urakawa, Hokkaido, JPN) (1996)

 

兄弟姉妹 生年 勝ち鞍
Euphoinc 1989 The Minstrel Prix Amandine (FR-L)
Eagle Eyed 1991 Danzig Arlington Classic S. (USA-G2)
Anziyan 1993 Danzig Stallion
Harpia 1994 Danzig Shirley Jones H. (USA-G3)
Nuclear Freeze 1996 Danzig Stallion
Shibboleth 1997 Danzig Criterion S. (GB-G3)