| Bay Middleton (ベイミドルトン) 牡 鹿毛 | sire line | family |
| Sultan | Selim | Buzzard | Woodpecker | Herod |
| Miss Ramsden | ||||
| Misfortune | Dux | |||
| Curiosity | ||||
| Alexander Mare | Alexander | Eclipse | ||
| Grecian Princess | ||||
| Highflyer Mare | Highflyer | |||
| Alfred Mare | ||||
| Bacchante | Williamson's Ditto | Sir Peter Teazle | Highflyer | |
| Papillon | ||||
| Arethusa | Dungannon | |||
| Prophet Mare | ||||
| Mercury Mare | Mercury | Eclipse | ||
| Tartar Mare | ||||
| Herod Mare | Herod | |||
| Folly | ||||
| Cobweb | Phantom | Walton | Sir Peter Teazle | Highflyer |
| Papillon | ||||
| Arethusa | Dungannon | |||
| Prophet Mare | ||||
| Julia | Whiskey | Saltram | ||
| Calash | ||||
| Young Giantess | Diomed | |||
| Giantess | ||||
| Filagree | Soothsayer | Sorcerer | Trumpator | |
| Young Giantess | ||||
| Golden Locks | Delpini | |||
| Violet | ||||
| Web | Waxy | Pot8os | ||
| Maria | ||||
| Penelope | Trumpator | |||
| Prunella |
| Born - Died | 1833 - 1857.11.17 | ||
| Breeder | 5th Earl of Jersey | GB |
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| Trainer | James Edwards (Newmarket, Suffolk) | GB |
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| Owner | 5th Earl of Jersey | GB |
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| Lord George Bentinck | GB |
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| 日付 | 開催国 | 競馬場 | 馬場 | 条件 | 勝時計 | 距離 | 頭 | 騎手 | 斤量 | |
| 競走名 | 格付 | 着 | 1着馬 / 2着馬 | 着差 | ||||||
| 1836 | ||||||||||
| 04 |
|
GB | Newmarket | 3 | 6 | J. Robinson | ||||
| Riddlesworth Stakes | 1 | |||||||||
| 05 |
|
GB | Newmarket | 3 | 8F1Y | 6 | J. Robinson | 126 | ||
| 2000 Guineas Stakes | 1 | /Elis | neck | |||||||
| 06 |
|
GB | Epsom | 3 | 12F | 21 | J. Robinson | 126 | ||
| Derby Stakes | 1 | /Gladiator | 2 | |||||||
| 06 |
|
GB | Ascot | 3 | J. Robinson | 128 | ||||
| Buckhurst Stakes | 1 | /Muezzin | 2 | |||||||
| 10 |
|
GB | Newmarket | 3+ | 2 | J. Robinson | ||||
| Grand Duke Michael Stakes | 1 | /Elis | 1 | |||||||
| 10 |
|
GB | Newmarket | 3 | 2 | J. Robinson | 124 | |||
| Match Race | 1 | /Muezzin | ||||||||
| 年 | 馬齢 | 出走 | 1着 | 2着 | 3着 | 以下 |
| 1836 | 3 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 |
| 1837 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 合計 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | |
| 芝 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | |
イギリス2000ギニー (英、芝8F1Y) イギリスダービー (英、芝12F) |
| リーディングサイアー (英愛) (1944,49) (2) |
| 父サルタンは英ダービーの2着馬で名種牡馬。 母コブウェ ブは無敗の英2冠牝馬で、繁殖牝馬としても3頭の英クラシッ ク勝ち馬を送り出しました。 ベイミドルトンは、生産者であり馬主の第5代ジャージー卿 の馬を管理するジェイムズ・エドワード調教師のもとへ送られ ました。 エドワード師は、ベイミドルトンの母コブウェブも管理 していました。 入厩当初のベイミドルトンはとても手に負えない性格で、誰 |
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| も乗ることが出来ませんでした。 そこで、すでに英ダービー5勝を挙げていた名騎手、ジェイムズ・ロビンソン と偶然ロンドンで会ったジャージー卿は、彼にベイミドルトンに乗るために厩舎へ行くように頼みました。 その 後、厩舎へ向かったロビンソンは、ベイミドルトンを見て神に感謝したと言います。 しかし、ベイミドルトンとロビンソンがすぐにうまくいったわけではありませんでした。 なんとかベイミドルトン に乗れるようにはなったものの、調教になると先導馬を追いかけようとしません。 調教は思うようには進みま せんでしたが、それでも次第にお互いを理解し合うようになると、気性の悪さは競走での闘争心へと変わって いきました。 ベイミドルトンのすべての競走で手綱を取ったロビンソンは、「ベイミドルトンはどんな距離を走っ ても、決して息が切れることはなかった。」 と述べています。 こうして3歳になったベイミドルトンのデビューは、ニューマーケットでのリドルズワースSとなりました。 こ の時の馬名は、「Brother to Nell Gwynne (ネルグウィンの弟)」 でした。 そして後の英1000ギニー勝ち 馬デスティニーなどを相手に馬なりのまま楽勝しました。 続く英2000ギニーで単勝1.7倍(4-6)の圧倒的な1番人気に推されたベイミドルトンは、後の英セントレ ジャーの勝ち馬エリスをクビ差抑えて優勝しました。 勝ち時計は1分30秒だったという話もあるほどで、他 の4頭の出走馬はその速さについていくことが出来ず、大きく離されていました。 そして、ジャージー卿の 所有馬で英ダービーの勝ち馬ミドルトンにちなんで、「ベイミドルトン(鹿毛のミドルトン)」 と名付けられたの はこの競走の後でした。 エプソムでの英ダービーへ臨んだベイミドルトンは、ここでも単勝2.75倍(7-4)の1番人気に支持されまし た。 競走では中団追走からタッテナム・コーナーで3番手につけました。 そこからロビンソンがベイミドルト ンに合図を送ると、直線で前を行くグラディエイターとヴェニスンをわずか50ヤードほどでかわしてしまい、最 後はグラディエイターに2馬身差をつけ、余裕の表情でゴールに飛び込んだのでした。 こうして、1813年の スモレンスコ、1825年のキャドランドに続く、史上3頭目の英2冠を無敗のまま達成しました。 アスコットのバックハーストSでは、英ダービーにも出走していた快速馬ミューエジンなどを相手に、斤量差 も問題にせず楽勝しました。 その後しばらく休養していたベイミドルトンは、10月にニューマーケットのグランドデュークマイケルSに出走 しました。 ここには当初21頭の登録馬がありましたが、無敗の英2冠馬ベイミドルトンと、英セントレジャー を2馬身差で楽勝してきたエリスが出走するとあって、結局2頭だけの競走となってしまいました。 そしてこ の競走ではベイミドルトンの強さだけが目立つ結果となりました。 エリスの鞍上でジョン・デイ騎手が何度も 鞭を使い、必死に追っているその前を、ベイミドルトンはロビンソン騎手に1度合図を送られただけでゆうゆうと 大きな歩幅で走っていきます。 結局1馬身差をつけてベイミドルトンがこの一騎打ちを制したのでした。 さらにベイミドルトンは300ギニーの賞金を賭けたミューエジンとのマッチ競走へと向かいました。 バック ハーストSでは9ポンド(約4.1kg)だった斤量差は、ここでは13ポンド(約5.9kg)に広がっていました。 し かし、結果はベイミドルトンの大楽勝に終わり、デビューからの連勝を6に伸ばしました。 |
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この競走の後、ベイミドルトンは、ジョージ・ベンティンク卿に4000ギニーという高額で購買され、翌年の アスコットGCを目指すこととなりました。 しかし、結局故障のため出走することは出来ず、そのまま引退す ることが決まりました。 ベイミドルトンは、ベンティンク卿がドンカスターに新たに作らせた種馬場で種牡馬入りしました。 初年度 の種付け料は30ギニーでしたが、他の多くの優秀な競走馬が種牡馬としては成功したかったのと同様に、 ベイミドルトンも種牡馬としては成功しないだろうと思われていたため、その後種付け料は格安の10ギニー に下げられました。 しかし、ベイミドルトンのために良質の牝馬を買い集めたベンティンク卿の努力もあり、英2冠馬ザフライン グダッチマン、英1000ギニーの勝ち馬アフラダイティ、英ダービーの勝ち馬アンドーヴァー、英2000ギニー の勝ち馬ザハーミットと4頭の英クラシック勝ち馬を送り出すなど成功を収め、1844年と49年にはリーディ ングサイアーに輝きました。 種付け料も晩年には50ギニーにまで上がり、当時これに匹敵するのは自身 の最高の後継馬であるザフライングダッチマンだけでした。 1848年にベンティンク卿が46歳で急逝した後は、エドワード・モスティン氏に購買され、ハンプシャー州 のデインベリースタッドに移りました。 その後、長い間脚の病気を患っていたベイミドルトンは、1857年11 月17日に24歳で世を去りました。 ベイミドルトンは馬屋のそばに埋葬され、さらにその隣には名牝クルーシフィクスも埋葬されました。 2頭 の墓は区画され、そこには花と杉の木が植えられたのでした。 |
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繋養地 (Bentinck's Sutd) (Doncaster, Yorkshire, GB) (1838-48) Danebury Stud (Stockbridge, Hampshire, GB) (1849-57) |
| 兄弟姉妹 | 生年 | 父 | 勝ち鞍 | |
| Young Emilius | 牡 | 1828 | Emilius | Stallion |
| Achmet | 牡 | 1834 | Sultan | 2000 Guineas S. (GB) |
| Phoenix | 牡 | 1835 | Buzzard | Stallion |
| Jersey | 牡 | 1839 | Buzzard | Stallion |
| Clementina | 牝 | 1844 | Venison | 1000 Guineas S. (GB) |