<宇部軽便鉄道>
明治43年6月8日、西新川朝日町の教念寺説教所で宇部電気株式会社の重役会席上で鉄道を敷くことを提案した。その発起人に渡辺裕策、庄栗太郎、村田増太郎、高良宗七、俵田早太郎、新川元エ門、氏らであった。
その人たちによって時を移さず調査を始めた。その間中止を訴える厚東川下流の農民達によってかなり難航したようだ。しかしながら用地買収も着々と進み着工後一年余りのあと、大正3年(1914)1月9日に宇部新川―宇部間で開通した。藤山村松崎と厚南中開作間の厚東川の鉄橋656フィートの架設工事はクレーンがない時代で伝馬船を利用し満潮時に担ぎ上げようといった作業で行われた。
<船木鉄道>
大正5年(1916)、宇部―船木間に船木鉄道が開通した。
<宇部鉄道株式会社に名称変更>
大正10年12月17日、 宇部が「村」から一躍「市」となった大正10年11月1日から約一ヶ月後に宇部軽便鉄道の臨時株式総会が開かれ、総費用150万円をかけて宇部新川―小郡間の鉄道を敷く事を決議した。それと同時に会社名を宇部鉄道とした。工事は小郡までを三期に分けて行い
一期は宇部新川―床波間で大正12年(1923)8月1日
二期は床波―阿知須で大正13年(1924)8月17日
三期は阿知須―小郡間で大正14年(1925)3月26日
に開業した。
総工費が当初の予算をはるかに超える182万という膨大な金額となった。
そのために開道と同時に現在の東岐波の若宮海岸に食堂やトイレ、テニスコートなどを備えた岐波浦海水浴場などを開いた。
昭和3年(1928)7月、宇部―小郡間の全線を電化した。
<宇部電気鉄道(株)の創立>
昭和2年(1927)7月、 同仁病院跡を利用した昔の商工会議所(ツタヤがあるところ)の東隣あたりに東宇部所を設置した。
昭和16年(1941)に宇部鉄道に吸収合併
<国鉄に買収>
昭和18年(1943)、宇部鉄道はバス車業部もあったが国鉄はこれは買収しなかった。自動車の部は宇部市に譲渡され後の宇部市営バスとなった。
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