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日々雑感2005-7
LAST UPDATE 2005-07-28

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638 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月27日(水)23時14分26秒
◆今日は妻の誕生日。昨夜遅く、子どもたちが寝静まったあと、レンタルDVDで「ブリジッドジョーンズの日記〜2」を観て、ひそかに準備しておいたプレゼント。なんと妻も俺にプレゼント。眠い目をこすりながら出勤し、クラブと読書。ワインを買っていつもより早めに帰ったら、今宵の来客計9人。内、泊まり客3人。我が家が5人家族なので、賑やかなお祝いになった。もうすぐ第三子が生まれるが、毎日がお祭りのような日々がやってくるのだろう。
◆書きなぐりのような文ばかりが続いている「時の話題」だが、もう少し「読み物として面白い」体裁のコラムにしたい。が、時間と能力が伴わない。せめて、月に一本でもそれなりに練った文を書き下ろしたいものだ。テーマもある程度絞ったほうがいいだろう。そして小論文を書き溜めて、何かに使うことができればいいのだが。

637 by:kurochan携帯@旅行中  投稿日: 7月24日(日)08時12分6秒
◆津市内のホテルに滞在中。昨夜、津の花火大会を親子で見に来たのだ。浜辺の土手がスポット。海越しの 3000発は奈良ではけっして味わえない壮観さ。赤ん坊が生まれるとしばらくは旅行に出かけられないので、この週末が最後のチャンスかもと昨夕急きょ荷物をまとめて、宿を見つけてやって来たのだ。妻はいつ産気づくかわからないのだが、ここからなら二時間で帰れるし、いざという時の荷物はすべて車に積んである。今日は御在所で景色を楽しんだり、子どもたちにニホンカモシカなどを見せたりしようと思うが、天気が心配。
◆ロンドンではテロ、東京では地震となると、優位に立つのはニューヨークというのは穿った味方に過ぎるだろうが、これをチャンスとする連中もいるんだろうなぁと思う。ロンドンや東京においても不安を背景に狭量な異質排除の政策や無用な災害対策工事がもたらされないことを願う。

636 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月22日(金)23時42分43秒
◆こと歴史教育に関していえば、産経新聞や扶桑社の主張は政治的に歪められたものばかりといっていいぐらいだ。最近では読売新聞の歪みも目に余る。朝日や毎日に対しても、理念と経営のズレに憤りを覚えることもままあるのだが、産経や読売の確信犯ぶりは犯罪性を帯びている。ところが、素朴に産経を鵜呑みにしている人々もいて、それが教員だったりすると空恐ろしくなる。今日、県立高校のある教員と話していて、「東アジア近現代史歴史教材集(仮)」の担当原稿の締め切りに追われていることを話すと、「扶桑社みたいな本?」と聞かれた。「扶桑社とは正反対です」と返すと、「えっ?自虐的な本?」だって。「僕は扶桑社は大嫌いですから」と答えておいたが、産経を読んでいるところを時折見かける彼は、「自虐的」などという「自己中史観」が好む洗脳用語に取り付かれているようだ。俄然、執筆に意欲が湧いてきたkurochanなのである。彼は「何が本当か分からない」とはぐらかしていたが、そんなことはない。産経や読売が得意げに朝日や毎日を批判している歴史的論点はほとんどがウソ、間違った歴史認識を正当化する、時に巧妙なトリックなのだ。

635 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月21日(木)23時07分25秒
◆生徒たちは今日から夏休み。僕ら教員は通常勤務だが、やはり気分的な余裕はある。例えば今日の kurochanの業務→クラブ指導(今日は一瞬のぞいただけ)・一学期出欠統計の県教委報告資料作成・勤務校Webサイトの更新作業・日本史の欠点補習・県外教歴史教材作成プロジェクト会議用の資料作成etc.だ。今宵は子ども達を妻の生家とその近くの祭に連れて行ったので遅くなったが、昨夜同様夜な夜な資料読みと原稿執筆である。

634 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月17日(日)23時50分45秒
◆赤目四十八滝に家族で出かけた。予定日はまだだが、とっくに臨月スタイルの妻に誘発すべくの外出だったのだが、まだまだ激しく動く第三子はまだ今が居心地良いようだ。その子の従兄ソウタのお誕生日会がすぐ近所であり、昨夜の職場の飲み会に続き、 kurochanはいつも以上にお酒を楽しむおじさんなのであった。
◆「中高生のための東アジア近現代史(仮題)」の担当原稿の締切りが迫ってきた。「ケータイと青少年」関連の本や資料ばかり読んでいるが、実はこちらが優先なのだ。昨日、公式試合出場の担任に代わり学期末の三者(保護者)懇談を務めた僕が生徒たちにくどくどと説いていたのが、夏の課題や進路に向けての「段取り」についてだったが、僕自身の段取りの実際を自らに問う必要もあるのであった。

633 by:kurochan  投稿日: 7月12日(火)19時04分3秒
◆学期末の成績処理に関わる細かな作業の数々がようやく終わった。あとは8月末まで、いくつかの原稿や講演準備をほぼ10日おきにこなしていく夏となる。しかし、僕には手に余る仕事ばかりだし、だいだいこうした準備作業には限度がないので、この夏はひたすら読み書きにいそしむことになりそうだ。早速、〆切が迫っている原稿を今夜書き上げよう。
◆中山文部科学大臣の「従軍慰安婦」発言の数々は、いちいちつき合う気も失せるほどレベルの低い話なのだが、一国の教育行政長官の発言であるだけに、笑い飛ばすだけではすまない話だ。どこぞの歴史改竄派に洗脳されたカナダへの留学生のメールも嘆かわしいが、それを得々と紹介する中山大臣には、しっかりと真面目に歴史のお勉強をしてもらわねばならない。

632 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月10日(日)16時58分52秒
◆今日は陸上競技の国体予選。もちろん、もはや選手として出場しているのではない。生徒引率と競技役員だ。橿原陸上競技場は断続的な雨。24年前、僕自身が少年A男子3000メートルの奈良県代表をめざしてスタートから先頭をぶっとばし続け、最後の直線100 メートルで、脚の筋肉がバラバラに分解しそうな感覚に襲われながらもライバルを振り切ってテープを切ったことを思い出す。「こんな感覚初めてだ!」と、ラストスパートをしながら感動していた。この時は県代表の枠に入れなかった(陸上競技は全種目の県チャンピョンが国体に出られるわけではない)が、あのラスト100の感覚が、今も熱い感動と共によみがえるのだ。あれから俺はどうかわったんだろうか?どう成長したんだろうか?何を失ったんだろうか?当時を知る人たちが今も競技場で審判をしている。走っていた俺についての昔話を俺に語ってくれる。幸せなことだ。しかし、熱い心を目一杯込めて、文字通り力のかぎり走り抜いたあの9分間の俺は、今も同じだけの純粋さを失わずに疾走しているんだろうか?と自問しながら、今日は監察係として若い選手達を見つめ黄色い旗を振っていたのだった。

631 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月 9日(土)22時00分7秒
◆覚醒剤所持容疑で逮捕された教員が昨日懲戒免職された。現任校と前任校の校長も訓告処分された。これ以外の形はないように思われるのだが、どうにも釈然としない。輝かしい実績と激務で崩れた体調、知ってか知らずかそんな彼をめぐる人事の確執。彼には罪がある、されど彼を追い詰めた者達は裁かれはしない。輝かしい実績を持つ彼と、名もなき僕を比べるのはおこがましいが、自信と誇りがつまらぬ意地やプライドにすり変わる瞬間が僕にもある。内なる闇にいち早く気付きつまらぬ意地やプライドをポイと投げ捨てる勇気と、それが許される状況があれば救われもするのだが、過信と期待に身を崩すことが有り得るということは想像に難くない。どんな形でもいい。彼が笑顔でゆったりと微笑むことができる日が来ることを願わずにはいられない。

630 by:kurochan  投稿日: 7月 7日(木)17時33分52秒
◆「県政なら」という奈良県内全戸配布の県の広報誌がある。その7月号に太字で僕の名前が載っている。ポスターやパンフレットも大量に印刷されているようだ。やはりどうも僕には荷が重い気がしてならない。20冊近い書籍を順次読んで頭の整理をしているところだが、評論家になってもしかたがない。現場に即し展望がもてる発言ができればと願っている。
◆4歳のユウヒに続いて2歳のアユムも水疱瘡。外出もままならず、ちょっと親戚に預けるわけにもいかない。第3子の出産も間近で、あまりにも慌ただしい日々が過ぎていく。
◆東アジア近代史教材集の執筆担当の原稿締め切りも近づいてきた。これまた僕には荷が重いのに。
◆生徒対象のWeb作成講座の準備もしなければならない。コンパクトな入門教材を作っておかねば。
◆今日で勤務校の期末考査も終了し、クラブ活動が再開した。この日曜日もさっそく試合だ。ところが顧問の僕は膨大な採点に追われている。成績処理のコンピュータ係としても仕事が詰まっている。
◆おまけに県教委の教育課程研修会用の資料作成や、その他の原稿執筆もいくつか依頼されている。これはもう、充実というより、激務に過ぎる。昨日42歳の誕生日も、ひたすらパソコンに向かって仕事に追われていたkurochanであったが、それでもささやかなパーティーを開いてくれた愛する妻に感謝!

629 by:kurochan携帯@愛犬散歩中  投稿日: 7月 3日(日)22時15分21秒
◆七月に入り、やや憂鬱な面持ちでサイト管理をしているというのが偽らざる本音。BBSの賑やかさがこのところ遠退いているのは、みな忙しいのだと言い聞かせられるし、幸い僕はBBSへ心理的に依存してもいない。むしろ、このところ何かと自慢げなレスにつきあいきれないと訪問者に思わせただろうと反省しているのだが、憂鬱さの正体は別にある。かねてからめざしてきた「ネット上の人権文化創造に一役買いたい」という、当サイトはもちろん、他に管理しているサイト群や、だいたい僕個人とインターネットとの関わりが、そんなに展望と効果が期待できるのか?という自問に答がでないからだ。以前なら素朴ではっきりとした答を書き、信じた僕だったはずだが、「ケータイと青少年」をテーマにした書物を次々と読むうちに、どうも自信が薄れてきたのだ。明るい展望を持ち自他に道筋を示したいと願いつつ、僕の発してきたコンテンツは、「都合よく切り取られたネット上の人間関係」にどんな効果をもたらしてきたのだろう?と問い返さずにはおれなくなってきたのだ。もちろん僕は大まじめにやってきたが、それさえ切り貼りの対象となれば、送り手の意図は限りなくかすんでしまう。それでも今は、発し続ける意味を求めながらサイト管理を続けるしかないと気付いてはいる。気付いてはいるのだが苦しいのだ。