メキシコ放浪記
LAST UPDATE 2001-02-26 11:04

太陽のピラミッド

 メキシコシティーから北へ車で約1時間、世界で3番目に大きいティオティワカン遺跡の太陽のピラミッドに行こうと、バスに乗った。世界的遺跡だから、大勢の人が降りるだろうと思っていたが、どのバス停でもそこそこの人が降りる。「ここかなあ?」と思ったのだが、3〜4人しか降りないので、俺は降りなかったが、それが間違いだった。

 バスは左にカーブを描いて、太陽の方角が180度入れ替わってしまった。前の席の女性に、少しは喋れるようになったスペイン語で「エンケ ディレクシオン ピラミッド?」(ピラミッドはどっちの方角ですか?)と聞くと、気の毒そうな表情で後ろを指さすではないか。やっぱりそうか!バスは約60キロで走っているとして、1分1キロ、一刻も早く降りなければならない。

 バスの運ちゃんに、降ろしてくれと頼みに行くが、追い払われる。それでも食い下がると、バスを止めてくれて、ある方向を指さした。何か言っているが、スペイン語はそんなに理解できなかったので、進行方向からして何か変だなと思いつつも、そっちの方角にまっすぐに歩き出した。やがて大きな道に出た。

 あとから考えたら、あれは、往路で通った道だったのだが、いろんな人に道を聞いたら、あっちだとかこっちだとかまちまちで、もうわけが分からなくなっていた。ピラミッドはあっちだが、ここから近いバス停はこっちだとか、いろんなことを言っていたのだろう。車で送ってやるというおっさんもいた。信用していいかどうか疑問を感じたので、断って通り過ぎ、バスの運ちゃんの行った方角にまっすぐ歩くことにした。

 ひたすら歩いた。丘陵地帯の小さな山や谷や川を越えて歩き続けた。強烈に暑かった。気がつくと、岩とサボテンしか広がっていないところだったり、異邦人がまず来ないだろう村落の中を、鶏や山羊に追いかけられて通り過ぎたりしていた。それでも歩いた。やがて、ある集落で雑貨店があり、シルベサ(ビール)を買って、そこのおじさんに聞いてみた。ピラミッドならあっちだよと、指さす方を見たら、世界で3番目に大きい太陽のピラミッドが遙か彼方に、かすんで見えていた。

 あのすぐ前を通り過ぎたのに、と思ったが、それでも進むべき方向が決まったら心鎮まるものだ。左後方に向かって、またまた丘陵地帯を何時間もひたすら歩いて歩いて、途中、羊飼いのおじさんがいて、「アディオース」(こんにちわ)と言葉を交わしたくらいで、孤独な猛暑の徒歩旅だった。

 街中に出ると、逆に建物で方向が分かりにくくなる。そこで、ある大発見をした。あんまり人が歩いていないので、仕方なく、愛想の悪そうなおばさんに道を聞いたら、そっけなく「あっち」と指さす。何と分かりやすいことか。言葉が充分通じない所では、道は愛想の悪い人に聞くべし。

【「お笑いずっこけ体験辞典」の「て」の項を転載】2000-12-21執筆

 5世紀を中心に前2世紀から7世紀まで栄えたティオティワカン文明は今もって謎につつまれた巨大都市文明だ。ケツァルコアトルのピラミッドやケツァルパロトルの神殿などが有名だが、何といっても、この太陽のピラミッド。階段があって、てっぺんまで登れる。てっぺんで日向ぼっこをしている白人夫婦なんかが多かった。

 そこへ登ってきた年輩の集団があったが、いきなり「マンセー、マンセー」と叫びだした。朝鮮(韓国)語で「万歳」の意味だ。kurochanは、当時たまたま朝鮮語講座に通っていたので、何か話しかけようと思ったが、「うるさいな〜」という周囲の視線に、引いてしまった。「朝鮮人と間違われる」と言えば差別だが、この時ばかりは「俺は違うんだ」と思ってしまう自分の意識をどうとらえるべきか、考え込んでしまった。まあ、あの時の状況そのものは、アジア人の集団行動は(日本人も含めて)、欧米人から見れば奇異に見える、という単なる文化の違いだけれども。個と民族を意識のなかで、どう整理できているかが、民族差別の解消のヒントなのだろうか。

 その後、一人で「さっそう」とその辺を歩いている俺を、ちらちら見ている白人女性がいた。彼女の夫らしき男性が「You shoud marry a Japanese!」とか何とか言っているのが聞こえてきて、な〜んかいい気分のkurochanだった。外国に行くと民族を意識させられることがままある。ごく普通の生活で人々が民族を意識している姿もよく見かける。在日日本人のkurochanは、そのへんがまだ鈍い。

(2001-2-23追加筆)